渡辺俊幸さん「事故で一命を取りとめた後、瞑想に出会った」
作曲家・編曲家・指揮者の渡辺俊幸さんは、20代前半、アメリカ留学中に自動車事故で一命を取りとめました。この事故がきっかけで自分を省みたという渡辺さん。帰国後に始めた超越瞑想(TM)のこと、ご自身が感じるTMの効果についてお話をうかがいました。
若き日、さだまさしさんとの出会い
私が音楽活動を始めたのは18歳の時です。フォークグループ『赤い鳥』のドラマーとしてでした。脱退した前任のドラマー、村上“ポンタ”秀一さんの後釜として抜擢され、『赤い鳥』に加入したのです。そして事務所に所属したのですが、同じ年にさだまさしさんと吉田政美さんのデュオ『グレープ』がデビューしました。さださんと私は事務所の同期だったんです。その後、『赤い鳥』は解散し、『グレープ』も解散することになりました。その解散ツアーにキーボードで参加したのが、さださんとの最初のお仕事です。ツアー中に話し合った結果、さださんはソロアーティストとして、私は彼のプロデューサー、編曲家として活動することになりました。50年以上続くパートナーシップの始まりでした。21歳の時です。
『未知との遭遇』の音楽に魅了されて
その後、さださんのアルバムを4年の間に4枚制作しました。ポップスのアレンジは独学でしたが、次第に編曲家としての自信をつけていきました。ところが、3枚目のアルバム(『私花集(アンソロジィ)』)をアメリカでレコーディングしている最中に転機が訪れたのです。
ある日、レコーディングの後にさださんと一緒に映画を観に行きました。スティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』(1977年)です。訪れたコロンビア・ピクチャーズ直営の映画館には、両サイドに特注のスピーカーが置かれていました。私は映画音楽の巨匠、ジョン・ウィリアムズの音楽に魅了されました。とても壮大で緻密、幅の広い音楽的世界…オーケストラの世界にすごく惹かれたんですね。そして「ジョン・ウィリアムズのような音楽を書きたい」と思ったんです。ですが、オーケストレーションは独学では間に合わない。「一度仕事を中断してでも勉強しないと短期間では習得できないな」という思いが膨れ上がってきました。それでさださんに「アメリカに留学して勉強したい」と話したところ、彼は「わかった。僕の分まで勉強してきてくれ」という言葉とともに、笑顔で私を送り出してくれました。
バークリーに留学、事故で一命を取りとめる
24歳の時、アメリカのバークリー音楽大学に留学しました。2年半ほど、夏休みも返上して勉強し、かなり知識を習得できたという実感を持った頃に、また転機が訪れました。
ある日、大学の図書館で日本の雑誌『ジャズ・ライフ』を読んでいたところ、ハービー・ハンコックが映画音楽を担当するという記事に目が留まりました。そこには彼が映画音楽のためにオーケストレーションを勉強すると書いてありました。ハービー・ハンコックと言えば超一流のジャズプレイヤーです。その人が師事する、その先生というのは相当の力量の方だろうと思いました。それで、「私もその先生に就きたい」と思ったんです。そのような先生から学ぶことは絶対に役に立つだろうと考え、そのためにロサンゼルスに移ることにしたんですね。
そしてロサンゼルスに移るときに東海岸から西海岸へ自分の車で旅したら楽しいだろうと思い、それを実行したんです。ところが、そのアメリカ横断の旅の三日目に、車が大破するほどの交通事故を起こしてしまいました。寒い時期で、高速道路はみぞれまじりでしたが、私は120キロくらい出して無謀な運転をしていました。ハンドルが取られてスリップしてコントロールが効かない状態になり(ハイドロプレーニング現象)、車が道路から外れて、林の方へ滑っていき、木に激突してしまったんです。それで車が真っ逆さまになって、自分の頭が地面にガーンと叩きつけられるような状態で止まりました。私はその時、一瞬カメのように頭を引っ込めたので、頭をコツンとぶつけただけで済んだのですが、後になって、「1cmずれていれば頭蓋骨が割れていただろう」と思いました。ギリギリのところで命が助かった経験でした。
自分に厳しすぎる性格をやわらげたい
そのようなことがあって、自分自身を振り返った時に「私は自分に対してイライラしたり、厳しくしすぎるところがある」と思い至りました。人に対して厳しく接するということはあまりないのです。ですが、自分に対してはとても厳しく、勉強していても目標を立てた通りに進まない時など、自分にイライラしてしまうんです。そんな時は「何やってるんだ!」と自分で自分の頭や足を叩いてしまったり、自分を痛めつけるようなことがありました。
私は幼少の頃から宗教的な書物を読むのが好きだったのですが、そういった書物を読むうちに、「自分で自分を傷めつけると、その行為がよからぬことを呼び込んでしまう」ということに気がつきました。それで、私は自分に対してイライラしていたために、車で事故を起こすという結果を作り上げてしまったのではないかと思ったんです。これはもうなんとかして自分に厳しすぎる性格を改善しなければならないと思いました。
ですが、宗教的な書物を読むだけではなかなか性格を改善することはむずかしい。そんな時に瞑想について書かれた本を読んだんです。TMは思考を超越して、純粋な意識の状態を体験する。そのことで、心と体が自然に良い状態に改善されていく。自分一人で静かに座って行うことができて、それでマイナス面が改善していくなら素晴らしいな、と思ったんです。そしてそれからしばらくして帰国し、再びさださんの仕事に戻ったのですが、なんと当時さださんのバンドにいたあるミュージシャンの方がTMをしていたんです。それで、その方におすすめいただいたこともあり、TMを試してみようと思いました。
音楽を通して宇宙的な平安を表現する
27、28歳の頃にTMを学びました。それで毎日実習していたのですが、私は瞑想しても気分が良くなるとか、生活の中で劇的な効果を感じることはありませんでした。「簡単には信じないぞ」という気持ちと、「これが本物かどうか追求したい」という気持ちがありました。それで、TMの上級プログラムである「TMシディコース」を学んでみようと思ったんです。「TMシディコース」にはヨーガのフライング(注:瞑想中の心のインパルスによって体が浮く)というテクニックがあります。それは本当にあるのかどうか、確かめてみようと思ったんです。それでテクニックを学ぶ2週間の合宿に参加しました。
合宿中は自然の豊かな環境で、長い時間瞑想を行います。一週間ほど経ったある日、散歩の時間にルームメイトと山を歩いていたところ、辺りに咲いている草花が光っているように見えました。おどろいてルームメイトにそのことを伝えると、彼も同じように花が光って見えていると言いました。TMを行うと神経系からストレスが取り除かれ、クリアになることで、より微細なものを認識できるようになると聞いていましたが、そのことを目の当たりにしたわけです。
合宿中はまわりでフライングする人が出てきましたが、私にはフライングは起きませんでした。でも、花が光って見えた体験だけでも、TMの効果の大きさにおどろきました。また、合宿に行く電車の中に口紅の広告があったのですが、帰りの電車で同じ広告を見た時に、口紅の色あいがものすごく強く感じられました。色彩感覚がすごく鋭敏になっていたんですね。「うわ、こんな色だったんだ!」とおどろきました。そして帰宅してからも合宿で学んだテクニックの実習を続けたところ、一ヶ月もしないうちに家でフライングを体験しました。その後、パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』(注:世界最古のヨガの手引書)を読み、TMは古代からの伝統的な技術であるということを再認識しました。
自分に厳しすぎる性格は次第に落ち着いていきました。今でも時折、花が光って見えることがありますよ。本来、人間の能力は計り知れないもの。神経系がクリアになれば誰もがそれまでとは違った感じ方ができるのではないかと思います。音楽に関しては、集中するのがより簡単に、スムーズになったかもしれないですね。音楽はその人の人格が出てくるもの。瞑想することで自分が純粋な状態に近づいていけば、音楽を通して宇宙的な平安を表現できるのではないかと思っています。