教育フォーラムというよくわからないもの

 教育フォーラムに参加した。
 なんじゃそら。
 私の意見が採用されたのかどうか知らないけれど、データ活用や実践方法を学校に合わせてカスタマイズしましょうとか結果に一喜一憂しないようにしましょうとか言っていた。それならフォーラムいらんじゃん、(東京人でもなければ50代だけど)そう思った。これは主催する側、発表する側の自己満足の産物であることを自分たちで言ってしまっている。始まる前のおべんちゃら合戦で聞こえてきたのがある指導主事が準備が大変で仕事ができていないという嘆き(プチ自慢?)だった。こんなことしている暇があるのなら他にすることいっぱいあるだろう、何してんだよと思ったわけです、大人だから口には出さなかったけど。

 こんなことに時間を割いても何も生まれてこない。その後の実践報告でも学校同士がわかりあうことは必要ですと言って学校間の連携についてこれだけやってますよと品評会をしていたけれど、それはやっているだけで中身のないまさしく這い回る経験主義そのものだった。もう少し過去に学ぶ、書物に学ぶ、歴史に学ぶ、他業種・他文化に学ぶ、そういう価値観があっても良いのではないか?たこつぼ型を紹介している記事を見て一体いつの時代の話しているんだよって思ったけれど、そんな日本文化の前提のようなことも知らない人たちというのがいて、自分たちがたこつぼ型になっていることに気がついていない、良いとか悪いとかではなく変われ変われと掛け声をかけている方が変わり方の前提をよく理解していないのである。若い子なら仕方ないよねと思うけれどある程度歳を取り経験を重ね偉そうなことを言って人の前に立ち(象徴としても実際のフォーラムでも)それなりの地位にいる人間がそれではちょっとどうなんだろうと思うんです。たこつぼ型であることを知らない。そんな人間がこれなんだか知っていますか?と自慢げにどうでも良いその場限りの自己解釈のデータを問うて悦に入る、そりゃ「ものの順」がわかっていないだろう、そういうことです。

 こんなことを繰り返していても、その場限りの出来事でしかない。定例でやっているからという理由でこんなムダなことに時間とカネとマンパワーを割くことを是とするような集団に発展性があるわけがない。動員しておいて盛会はないだろう。労働組合が強制動員をやらかして自分たちで組合離れを生み出しておいて文句を言うみたいなマッチポンプ手法をこんなところで採用するなよ>教育委員会。ということです。

 内輪受けの傷の舐めないの毎年恒例みたいなフォーラムはそろそろやめないと中身のないことに尽力している人間を無関心な周りの人間は実はよく見ています。そしてそうした人間をくだらないことに加担している人間だというふうに評価しているということを忘れない方が良い。そういうことです。

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