親の呪縛に気が付いたら何もかも意欲ゼロになった話

突然、気が付いたら、周囲に何にも見えない、波もない大海に一人、ベタ凪の中、浮いていた。
そんな感じです。

心の変化を促す気づきが、怒涛のように押し寄せ始めた数か月前。ここ一か月は特に、それがさらに加速した大激流の時間でした。
まだ頭の整理が追いついていないのですが、
自由にならない感情に懸命な誰かや、
まとわりついている無色透明なものに気づかず何でかうまく行かないと悩んでいる誰かの、
何かの役に立つかなあ、立ったら良いなあと思って、頑張って言語化してみます。


鬱病対策には、認知行動療法のトレーニングを

私が鬱病を診断された、当時の学校卒業直後からもう十数年。薬に一切頼らない自己管理を自分に施して過ごしてきました。

こうなれるまで、みっちり一年間。毎週のカウンセリングで教え導いて下さった、あの時の臨床心理士の方には感謝してもしきれません。

自分で自分の状態を認識し、対応方法を適宜・的確に選択する事に太鼓判を押されるほどになった私は、その後も自分で知識をアップデートし続けながら、その時々の最善と思われる選択と行動を取り、振り返り反省し、再発の顔をのぞかせる鬱の悪化をなんとか食い止めて過ごしてきました。


どんな鬱に効くの?

色々な原因で鬱病になる方がいらっしゃると思います。

私の場合は、自分が心の奥底ではやりたかった事を全部辞めて選んだ進路で完全挫折した事と、突如婚約破棄された事が、同時期に重なった事が最初のきっかけでした。

その後も今まで色々ありましたから、読んで下さっている皆様のお悩みにも、一つくらい近いものが――お気持ちに寄り添えるものがあるかもしれません。

原因となった前彼からの揺さぶり・新しい職場でのストレス・別彼との結婚・旧価値観の色濃く残る親戚づきあい・流産・キャリアの断念・大震災・出産後、肥立ちは悪く(※二か月以上出血が止まらなかった)・夜泣き含め非常に育てにくい第一子(数年後、自閉症と判明)・上司が変わりブラック職場化(※なぜパートタイマーが一日の〆作業をさせられ、数字が合わなくていつまでも帰れない状態になるの??)・一年以上毎日一日の睡眠時間が合計で三時間半(※『合計』。連続三時間半ならまだ良かった。鬱キャリアには最悪の状態)・夫は家にいられる時間が長くて六時間という夫婦ともに激務・幼稚園の厳しい担任と相性が悪く第一子精神不安定(※親としては何か感じつつもまだ自閉の診断は下りない)・夫緊急入院で手術・巨大台風の豪雨被害(※連日にわたる全国放送レベル)・世間はコロナ禍の開始・第一子不登校、自宅以外ではうなずく程度の意思表示すらできず完全硬直する緘動&緘黙(※そのため何年生になってもトイレと言えずもらすほど)のため預け先もない・第一子の理解者と療養方法を探し歩く日々・私は仕事休職状態・夫の病気再発・再入院・退院後は夫まで鬱病発症(※発症直後の劇症期で別人格のように家庭内暴力、本人は記憶なし)・肉親のガン発覚と手術・クレジットカードの不正利用被害・目をかけていたはずが下の子供は夜驚症が悪化の一途・義理父の自宅看護と看取り・ついに夫完全休職により家計赤字化・傷病手当期間満了を迎えたが夫の復職ままならず・貯金が底をつき親族に借金・現在も返済中……

こんな十数年を、時々ぐっと来ながらも、何とか乗り越えてこられたというだけで、自己流ながら十分うまくやっていた、うまくいっていたと言って良いでしょう。

ところが。

一~二年ほど前から、出来事には対応しても、何だか気持ちが落ち着かなくなり始めました。


「自分の好きな自分」と「心がホッとする時」が違う人は要注意

心がモヤモヤする。
どうしてなんだろう? 
私は何を望んでいるんだろう?

こんな疑問を持ってしまった時、人生相談でも自己啓発系でも自分探しでも占いでも必ず聞かれるであろう問い――自分に問いかけて、自分が心から納得できるものを見つけなければならない答えがあります。

・自分の好きな自分は?
・心がホッとするのはどんな時?

私はいつも、この答えが全く一致していなくて困っていました。それがモヤモヤの理由なのだろうと漠然と感じつつ、違和感の原因もさっぱり分からずに悩んでいました。

自分の好きな自分は?
→事件が起こってしまった時の、肝が据わった別人感。普段の目立ちたくない引っ込み思案なんかどこへやら。武者震いさえ覚えて、燃える心意気にわくわくまでしながら、「皆さぁーん、かくかくしかじかで、大変なので、どうかどうか、ご協力、お願いします!!」と恥も外聞もなく誰にでも言えて頭を下げて、自分も「うぉりゃぁぁあああ」と大車輪で働く。

心がホッとするのはどんな時?
→現実では思いつかないので想像。だぁれも通らない山道の道端に、お地蔵さんのようにどっかと腰を下ろし(あ、お地蔵さんは立ってるか。じゃあただの道標岩で(汗))、ふもとに暮らすみんな(私=岩の存在など知りもしない気にもかけていない)の色んな幸せを遠くから眺め、自分も一緒に幸せ感にひたりながら、さやさやと鳴る木々の葉ずれの音を聴き、風に吹かれてうとうとしている想像。雨降りも雪が積もっても楽しめる。

どちらも、確かに、自分らしいと思っていました。

ですが、突然、気がついてみると、私は鬱病を通り越して鬱病になりかけていたのでしょう。いや、もうなっているか。

大事件というほどでなくとも、日常のちょっとした対人関係だけで、今の私には凄まじい消耗です。非情に楽しかったと思って用事から帰ってきたはずなのに、たいてい、翌日から寝込みます。
数時間の用事の後は、数日。
丸一日の用事の後は、一週間以上。
数日間続く用事の後は、数か月。

元気がないから静かにしていよう……と思って断れない用事に出かけたはずが、とっても盛り上がって興奮し、勝手にどこまでもテンションが上がっていって、後はつるべ落としだなんて、躁以外の何物でもないでしょう。


キーワードは【低め安定】

ベテラン鬱サバイバーの私が、実体験やらこれまで色んな方のお話を聞いて思う事は、鬱病を悪化させない方法はただ一つ。心のアップダウンを作らない事。

これは、やっと気持ちが上向いたと思っても、そこから鬱状態へ戻る変化が急な事が多く、制御が難しいからなのです。

ですが、それで言えば、躁→鬱だけでなく鬱→躁の変化も急激な、躁鬱病の人も同様なのではないでしょうか。

調べて見ると、確かに、躁鬱とうまく共生していらっしゃるベテランさんが心がけているキーワードは【低め安定】のようです。


【低め安定】の難しさは、意外なもの

その【低め安定】を知る前の事ですが、じつは数か月前に私は、一日出勤しては寝込む、をすっかり繰り返すようになってしまっていたため、思い切って仕事を辞めました。
急に落ち着きました。

金銭的にはピンチですが(誰か助けて下さーい! 私にできる事で、人とやり取りの必要の無い仕事を下さーい! 汗)。

うきうき感はありませんが、悪くなってもいかない。【低め安定】の状態です。事件も起こりません。とても平和です。

引き寄せの法則でよく言われる「たとえ無意識でも、自分が思っている事が現実化している」に照らし合わせると、「躁状態の別人感」を味わいたいという思いが、私の人生をここまで大小さまざまな事件だらけにしていたんでしょう。

※それでも、私はとてつもなく運が良いです。
前出の事件達はもちろん、書ききれていない小さな出来事も含め、いよいよピンチという時に、ひれ伏したくなるような驚愕の奇跡的な助けが寄越されるのです。お助け下さった知人の皆々様、加えて何か大きな存在にはいつも感謝しきれない思いでいっぱいです(涙)。

でもね……今……つまんないのー!!

あんなに安定したいしたいと思っていたはずなのに、これはいったいどういう事でしょう。


気づきは、準備が整ったときに起こる

私の今の状態は、何だか『躁・依存症』のように思えてきます。快楽物質が出ているわけですから、そこまで外れた表現ではないと思いますが(笑)。

また、別な視点から解説してみれば、人生相談でも自己啓発系でも自分探しでも占いでも(二回目。苦笑)、表現は違えど同じく言われる事――気づいて変わろうとする人に訪れる『お試し期間』『以前の状態に戻ろうとするホメオスタシス』『エゴの抵抗』というものなのでしょう。

つまり、私は今、
躁の状態を私にとっての“最良”としない
目指さない、という事を学ぶ時なのでしょう。

そんな気づきや、自分の状態を把握するなんて、簡単じゃないのにどうやるの? と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

私の答えはこうです。
答えに辿り着く事を焦らず、自分に問いかける

問いの立て方なんか、難しく考えなくてかまいません。
ふと感じた疑問を無視しないという事だけ、意識しておきます。

さて、
火事場の馬鹿力を毎日発揮して生きるのが良い生き方、みたいな私の価値観は、いったいいつからだったんでしょう。

※原因が判明しても、過去は変えられませんから、この作業に何の意味があるのだと思う人はいらっしゃるでしょう。
ですが、思い出す事が可能なら、大きな意味があると私は思っています。
その出来事に対する認識は、変える事ができるからです。

思い起こして見ると、私の上記の性質は、小学校の時からずっとそうでした。
友達と遊ぶより本を読んでいたい(市立図書館の児童書一万冊超を五年生までで読み切りました)。登下校も一人で考え事をしていたい。

なのに非常に活発・闊達で、なんでもできる、引き受けてくれるという評価。先生方の間で「ピンチの時のハルコちゃん頼み」があったと、ずっと後になって知りました(もちろん、苦労の方が多かった)。

さらにさかのぼって思い出してみると、ああ、親だな、と……。

※何があった、という具体的な事はお話ししません。
話せるのは、自分の中できちんと整理がついた時です。そこは、焦らないようにしたいと思っています。自分を自分で揺らがせないためにも、ぜひ、皆さんにそうしていただきたいと思っています。

話を戻しまして。

つまらなくとも、最近は、過去の猛烈な頑張りを思い出して自分を奮い立たせるよりも、ホッとする想像の方を優先して思い出すようにしていました。

だから気づけたのでしょう。

脳は(心は)自己防衛が強いものです。受け入れる準備が整った事しか、意識に上りません。それまでは、見えても、つきつけられても、理解ができません。
これまで、前出の臨床心理士の人とのやり取りから始まって、その後も自力で何年もかけて幾度となく気づいては泣きながら手放して来た、親との関係の問題。そのラスボス級の気づきを、
「もう【安定】は分かったよね。できるようになったよね。揺らがされても戻れるよね」
と、私の中の私は、見せたのでしょう。


呪縛は、何重にもある

私が躁状態を発揮していたのは、馬鹿力を出すのが楽しかったからじゃない。
親が理解できそうなタイプの人になろうとしていただけだった。親がびっくりして慌てふためきそうなぐらいの問題、それを私が自力で――親の力を借りずに――解決したら、感心とともに認めてもらえるような気がして。

それに気がついた時、「なぁーんだ」と、全ての意欲がなくなりました。
このnoteの投稿でさえ、私にとっては立派な『対人関係』、いわば躁のもとです。
じつはsns系は別名義でいくつも、あちこちで全く違う内容で発信しているんですけれど、そのどれもが一挙に放置になりました。

部屋の片付けができたから、お片づけブログに書こう。
楽器の練習が進んだから、記録として上げよう。
今日も予算内で家族が大好きなおかずいっぱいの晩ごはん!
でもその度に、何かが違うような気がしていたのです。

元々、投稿は見られたいけど見られたくない、という謎の感情に支配されていたのですが、今回、その、自分の場合の理由がパッと分かってしまったのです。

私がしていた事は、親に「ねぇ絵かいたんだよ、見て、見て」と訴える子供。つまり、親からの、素の自分への全肯定を、未だに求めていたんです。返ってこないという事は、それへの期待とともに過去の気づきと手放しで知っていながら。

だから、sns閲覧数を伸ばすには、というアドバイスによくある「他者の求めている物を知りそこに寄せる」などするつもりが本当に一ミリもないのも、さもありなんです。
自分ではない性質を取り繕ったり、親の機嫌を取って認められても、意味がないから。

また、多く読まれるためには誰に向けて発信したいのかをはっきりさせましょう、の答えが、考えれば考える程分からなくなっていたのも当然です。
親へ、でありながら、同時に私のような人へ――いえ、私自身へ――私一人へ向けられていたのですから。


それでも、夢は全て叶っていた

今回、記憶のある限り昔の3~4歳の頃からを思い出せるだけ思い出してみて、気が付きました。
「こうだったら良いな」と思って忘れていた事、全て、叶っていました。

絶対に叶わないと思っていた、ウルトラマンの彼女になる事も。

別に宇宙人の彼女になる事が希望だったわけでも、円谷プロの人と知り合いたかったわけでもなくて(爆笑)、でも、「こういう性質の人が良いな」と想像して憧れた性格・性質そのまんまの夫である事に、最近気が付きました。
驚いて「うわぁぁぁ」と変な声を上げてしまったくらいの一致率でした。

食が細過ぎて、もっと食べろ早く食べろと言われる食事の時間が苦痛で、頑張らなくてもいくらでも食べられちゃうような美味しいものがどこかにないかなあと思ったものでした。
今、子供の頃の田舎のお堅い家(時代遅れとも言う)では想像もしなかったような料理(現代の日本では珍しくもない料理です)、自分でパッと思いついた食べたいものをパッと作れるようになっています。

エスニックが楽しめる場所があちこちにある程度には都会が良いな、でも自然もある場所が良いなと思っていたら、今そういう場所に住んでいるし。

もっと山が良ければ、夫の実家は完全に山の中で、山歩きし放題だし、ムササビ飛んでるし。それでいて地盤がめちゃ強固で、地震も土砂降りも心配ないし。こいつらに食われて死ぬなら本望だと思うくらい大好きなオオカマキリとナナフシとショウリョウバッタといつでも会えるし(※不完全変態の昆虫が好き。若虫もLOVE)

また、大好きなクレヨン王国を子供と共有できたら良いなと思い、シリーズ全47冊を、数年かけて、毎晩、子供に少しずつ読み聞かせしたら、自閉症の第一子が書く絵で初めて目鼻(表情)がついたり。素直じゃない所がまたカワイイなぁと思っていた第二子が、聞きながら声を出して笑ったり、こっそり涙を拭いていたり。
47冊を読み終わる頃、子供に「はっと我に返ってみるとキモイくらい、お母さんとは別人の声で、おじいさん数人の会話が口から出てくるんだもん。声優になれば良かったのに」と、合計百人くらいの登場人物全ての声を、一人も被る事無く演じ分けられていた事を子供に指摘されたり。
声優さんだって好きな仕事ばかりなわけはないだろうに、私は一番おいしい部分を堪能した事になります。大好きな物語の、大好きな登場人物を、全キャラ、シリーズ終わりまで演じきる事ができて、理想のファンである我が子に、大絶賛をもらえた。なんて幸せでしょう。

ちなみにこの件、聴覚情報処理障害の子供に特化した読み聞かせの方法として、私が子供の反応を見ながら試行錯誤して得た事柄や読み上げのコツをまとめて、講談社さんに上記の件とともに何かコンテンツにできないか相談申し上げましたが却下になりました。利益出ないと難しい問題ですからね。でも、講談社さんで会議の議題に取り上げてもらえたらしいです。三十秒で却下だったかもしれませんが、それでも私としては奇跡です。


気が付いただけで変わる

ピアノ、ホルン、和声学、教育学、栄養学、各国の食文化、民族音楽、ミサンガ作り、裁縫の小物作り、製パン、製菓、フルーツカットアート、占い……。

学んだものも趣味もいくつもあって、どれものめり込んで、数年というわりと短期間でそれなりになり、仕事にしたらと言ってもらえる位できるようになったものもあります。
少なくとも、どれも、始める前に「このぐらいまではできるようになりたい」と思ったレベルには達しています。

けれどそれは、どれも無意識に『できそうなもの』を選んでいただけだったのかもしれません。
「できたよ見て見て」と言うために。

未だに親の承認を求めていたなんていう砂漠に水をまくような不毛な事は、気が付いただけでバカバカしくなって、スッと卒業できたようです。

私にとって、投稿を含む対人関係は、親に求める無条件の全肯定を、他人、しかも多くの他人に求める、親の代替えへの訴えである時点で、既に間違っていたんです。
その事に無意識ながら私は気が付いていた、それが消せない違和感の正体で、趣味をそれ以上に極めるつもりもなく次々と移り変わる理由でもあり、ひどく疲れる理由でもあり、投稿すら止める理由にもなったのでしょう。

我が子の笑顔に悲しくなって涙がこぼれる事も、なくなりました。
そう、自分がしたような思いは子供に連鎖させない、と、賢明に“親業”をし続けてきました。
幸せな事に、我が子達はいつもキャッキャと笑って、私と一緒にくっついて寝たがります。なのに、その心底楽しそうな顔を見るたびに、説明できない悲しさで涙があふれてくるのです。
そんな事も、もうなくなりました。

心穏やかすぎて、およそ欲といわれる類が、何にもなくなってしまいました。
今度こそ自由に、好きな事をやろうと思い出してみたら、夢もこのように全部叶っていました。

今までのやり方でできる心の修行は終わった、次のステージに行け・レベルを上げろという事なんでしょうか。次は、何をしたら良いんでしょう?

うっかり躁スイッチが入らずにできる事が降って来るまで、目の前の事――家事でもする……で、良いのかしら。