4月を目前に「静動」と「緩急」から子どもたちの見守りを考える
4月は次の一歩を踏み出す大切な季節。
特に入園、入学、進学、就職へと段階を進める子どもたち、若者たちにとっては、これまでの限られた小さな世界から、計り知れない大きな空間へ翔び立つ期待と緊張と不安の時期でもあります。
当然、そこには夢があり希望があり、日々一秒々が向かう先への階段であり、今日が,、明日が、そして未来の「生」が約束されなければなりません。
彼らを見守る立場と目線、そして掛けてあげられる言葉も様々と異なりますが、共通の想いは、
「元気で健康に気をつけて、自らの不注意による事故などがないように。」
だと思っています。
対比として私自身の名をあげるのは烏滸がましくて申し訳のない限りですが、彼ら子どもたちに伝えたい言葉として、「静動」と「緩急」の各々の対比と感じるものがありましたので、皆さまへお伝えしてみたいと考えた次第です。
「静」と「緩」
今を急がず、静かに深く温かく見守る形。「詩」の形態で子どもたちへの想いを表現されている、
子どもと先生と保護者の幸せ研究所さんの「俄雨」。
私が感じたのは、今直ぐに彼らに全てが届かなくとも、いずれ時が経過して振り返る瞬間が生まれた時に、必ずや見守ってくれた先生方の優しさに心を打たれ、感謝の気持ちが込み上げてくると思ったことです。
「俄雨」は、そんな深い思いが込められた「詩」だと感じてなりません。
「動」と「急」
「新一年生を守る」をテーマにした交通安全川柳で詠んだ「句」ですが、表現したかったのは、対象年齢の子どもたちを持つ親御さんが、当たり前に普通に「安全にね」、「注意しなさいよ」と子どもたちに伝えるのでは足らず、このせっかくの大切な時期(年齢)に簡単に命を失ってはならない、それが第一番に考えて欲しいこと、絶対的なことだと強く深く印象付けたいという想いの言葉でした。
そんな視点から、まさしく今直ぐに子どもたち(相手)の心に刻むという意味で「動」と「急」として対比させていただきました。
ここでの対比は、どちらの優劣という意味では決してなく、形態や言葉は違えど、両極から目指す想いを共有しているという点を感じていただきたいという主旨です。
おわりに
子どもたち(若者)たちの尊い命を守り、希望を抱いて輝く未来に歩む姿を見守るのは大人の責任です。
見守る立場や形は様々ですが、何か少しでもプラスになることをという想いに駆られて仕方がありません。
冒頭に申し上げた「4月は次の一歩を踏み出す大切な季節」。
子どもたちの尊い命を守る言葉や行動など、身近でご自身ができること何でも結構です。
何か一つでも思考を巡らせていただく機会となれば幸いです。