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食育とは、どうしたら食べることがハッピーになるかを探ること。

食育ってなんだろう。

保育士をしていて、月に1回の食育をする機会はあった。そのときは、他にやらなきゃいけないことが多すぎて、食育ってなんだろう、なんのためにやるんだろう、と考える余裕が正直なかった。

子どもが生まれてから、毎日のように考えている。食育ってなんだろうって。


「食べることは生きること」と思うから、食べることを育てる、食育、は、本当に大切なことであるのはたしか。今のところ、私が思う食育は、どうしたら、食べることがハッピーになるかを探ることかな。

そんな気持ちで、ゆるく食育をしていた。




マガジンで実践してきた食育もいいけど、食事は毎日3回もあるんだから、もっと簡単にいつでもできる食育があったらいいなぁ。そんなことを思うようになっていた。

保育士という職業柄、食育を、子どもの発達における食事の意味・マナーをどのタイミングでどう伝えていくかなどなどまで難しく考えていた。だから、なかなか我が家なりのいいアイディアが見つからなくて。

1日3回も食事があるんだから、もっと簡単に楽しさを真ん中において考えたとき、新しく何か食育を始めるのではなくて、やめることに重きをおくことにした。

そんなわけで、我が家の方針は以下のようになった。

  • 大人も子どももできれば一緒に食事をすること。「おいしいね」と言い合える食卓にすること。

そして、

  • スプーンやフォークを持って食べるように言うこと

  • 苦手な食べ物を食べさせること

  • 完食を目指すこと

  • 大人が必要以上に手を出すこと

を、やめること。




そしたら、食事の時間に「ちゃんと食べさせなきゃ」という大人の気持ちがなくなり、前より食事に対しての負担を感じなくなった。

まあ、一緒に食べてるだけだしね。みたいなゆるさ。

大人が食事の時間を楽しいとさえ感じるようになった。(今まで必死だった)

その思いは子どもたちにも伝わるみたいで、子どもたちも楽しそうにのびのびと食べるようになった。

毎日の食事が食育になった瞬間なのかな、と思う。



具体的には、

①スプーンやフォークで食べたほうが食べやすいお豆腐やヨーグルトは手で食べなくなった。手でちょちょいと掴んで食べられる温野菜は未だに手で食べてるけど、大人はもはやなんとも思わない。大人も手でぱくぱくって食べちゃうときもあるしねって思うことにしてる。

②苦手な食べ物は残すときもあれば、気分がのっているときは、大人が「一口だけ食べたら?」なんて言わなくても勝手に食べてる。

③完食にこだわらなくなったら、なぜか完食することが増えた。

④枝豆をむかずに食事に出していたら、気がついだら自分でむけるようになってた。大人が手を出すことをぐっとこらえたら、子どものできることが増えた。

ときどき豆が勢いよく飛び出て、ホームランしてしまう。

こんなかんじで、変化と成長を実感しているところ。




これらの変化は、大人は前よりちょっとだけ食事が楽になって、楽しくなった。子どもは前よりちょっとだけできることが増えて、だからこそ楽しくなった。そんな我が家をもたらした。

今、すごくいい循環の中にいるな〜〜と思う。





これからも、このやめる食育を継続して、「食べることは生きること」「食べることをもっとハッピーに」を子どもたちに伝えていけたらいいなぁと思う。




明日もいい1日になりますように。




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