鬼であることを受け入れたのは、誰より優しい縄文人の末裔・マタギ(又鬼)
・青森県の白神山地のマタギが営む秘湯宿
以前、青森県の白神山地の秘湯に泊まったことがあります。
秘湯の宿を営むのは、マタギの統領であり、山ガイドのご主人。
マタギとは熊狩りをする人たちのこと。でもただ熊を殺すわけではありません。マタギたちは、「熊」を山の神からの贈り物として受け取ります。
そして狩った熊の毛皮、肉、肝などのすべてを大切にいただきます。
熊を狩る際も、狩猟は春先のみ行う、など細かい決まりがいくつもあります。そして無駄に狩りません。
そんなマタギは、森に住んだ縄文人の末裔と言われ、「又鬼(マタギ)」という漢字であらわします。
自らを「又鬼」という、「鬼」だと悟っているマタギたち。
その理由は、自らが生きるために、罪のない動物の命を奪い、糧を得なければ生きていけないから。
殺す動物が憎いからころすわけではない。
生きていく糧を得るために、憎しみも何もない動物をを殺すということは、心を鬼にしなくてはならない。
だからこそ狩る際は、少しでも熊を苦しめないよう、一瞬で息の根をとめ、情け無用であの世に送る。それが又鬼(マタギ)と呼ばれる由縁。
山の神は、山菜、キノコ、薬草、そして鹿や熊など、さまざまな恵みをもたらします。それらをただ感謝して、受け取る。
そして狩猟することは、動物の命の尊厳を奪うことだと、マタギたちは理解しています。
・アイヌ民族がキンムカムイ(山の神)と呼んだ、信仰と猟の対象・ヒグマ
また、縄文直系のアイヌの人たちにとって、ヒグマは「キムンカムイ(山の神)」であり、信仰と猟の対象でもありました。
数年前、北海道に行った際、阿寒湖のアイヌコタンを訪れ、そこで「イヨマンテ~♪」という音楽を聞きました。
コタンとは、アイヌ語で「村」のこと。古くから阿寒湖のほとりにはアイヌコタンと呼ばれる、アイヌの人たちの村がありました。
そして、イヨマンテとは、アイヌ民族の熊の魂送りの儀式。
ヒグマを屠る際、アイヌの人たちは、音楽を捧げてヒグマに感謝し、山の神に畏敬の念をあらわします。
屠ったヒグマの毛皮は寒い冬を乗り越える服となり、肉は貴重なたんぱく源。そしてヒグマの肝は、胃腸病をはじめ万能の薬となります。
ヒグマの命を受け取り、そのおかげで衣服、食物を手に入れ、生きていく。アイヌの人たちのイヨマンテの儀式は、ヒグマの魂鎮めであると同時に、恵みをもたらす自然への感謝でもありました。
・争いを好まず東北に移り住んだ古代の縄文人
命を奪って生きる人間・・。だからこそ、めぐみをもたらす山の神や、屠った動物への感謝を忘れない。
一見矛盾した考えのようですが、それは古くから縄文人の心にありました。
そしてそうやって狩猟生活を行う縄文人は、いつの日か、自分たちもまた狩られる立場になることへの覚悟もあったといいます。
だからなのでしょうか? 武力を尊ぶ渡来系の民族が日本にやって来た際、縄文の民は、戦うことなく、逃げることを選びます。
どこに逃げたかというと、寒く厳しい気候の東北地方や北海道。
日本書紀では、縄文人を「愛瀰詩(えみし)」と書きます。
これは、三文字とも麗わしい文字を使用しており、「えみ」しの「え」は愛をあらわし、「瀰」は水の盛んなさまをあらわし、「し」は「詩」です。
愛瀰詩(えみし)は、古代の人々が「えみし」にあてた、尊称でした。
日本書紀は愛瀰詩を「一人で百人に当るほど強いが、戦わない人々」と伝えています。
詳しくは前回のブログに書いていますので、お時間のある方は読んで見てください。
争いを避け東北に逃げた縄文系の話は、意外と多いです。
なんと邪馬台国の女王・ヒミコも、戦争を好まず東北に移り住んだという逸話があります。これは「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」という古文書に書かれており、現在、この書物は偽物とされていますが、その内容は東北の郷土誌と一致するそうで、真偽が研究されています。
・鬼であることを受け入れた、縄文の末裔・マタギ(又鬼)
生きるために、罪もない動物の命を奪うということは、いつの日か、自分たちも狩られる立場になるかもしれない。それを覚悟していた縄文人たち・・。彼らの奥底にあったのは、狩る動物への深い感謝と畏敬の念。
そして狩猟で動物の命を奪いながら、生きることへの矛盾。
それらから目をそらさず、むきあう真摯さ。
だからこそ「鬼」である自分を受け入れ、マタギ(又鬼)として生きました。
鬼は邪悪なイメージ。それを承知しながら、鬼として生きるマタギ(又鬼)は潔く、どこかかっこいい。
縄文を調べていて感じるのは、縄文人の生きる覚悟。
縄文人は決して争いを好まない。けれど命を無駄に捨てるようなことはしない。狩猟で動物の命を狩り、屠ることもある。
そこにあったのは、悲しみをいっぱいに抱えた命への尊さ。
四季のように命が巡り、狩って狩られて生きていく。
だから「マタギ(又鬼)」という鬼である自分を受け入れた。
鬼は悪というイメージですが、鬼であることを覚悟し受け入れたマタギ(又鬼)たちの心は、優しく、あたたかいものでした。
そして日本書紀にエミシ(愛瀰詩)と書かれた縄文人たち。
「一人で百人に当るほど強いが、戦わない人々」と、うたわれた古代のエミシ(愛瀰詩)。糧を得るために狩猟するけれど、争うためには戦わない。
そこから見えるのは、争いを好まないことは、弱虫でなく、ひとつの覚悟だった、ということ。
戦争をしないということは、弱肉強食の世界で、狩られる立場になることを意味します。そしてそれは、自分たちが主流でなく、滅びゆく立場になることでもありました。
現在、本州に住む日本人の縄文DNAは約10%。残りの90%は渡来系の遺伝子です。また、アイヌ民族や沖縄に住む人たちの縄文DNAは約70%。
日本の先住民でありながら、主流から外れていった縄文人たち。
強さがありながら、それすら受け入れた縄文の人たちって、やっぱりすごいなと思うんです。