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B006_「いま、何時?」あなたの答え方次第で 相手はきっと感動する(Ⅱ)
前回の続きです。
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時間をたずねたのには理由がある(おさらい)
相手はなぜ時間を知りたかったのか、その理由を考えてみます。
① なんとなく、いま何時かを知りたかった
② 今からでも、間に合うかどうか知りたい。
③ 相手のせいで、時間が無駄になったことを非難したい。
④ 良いことが起きる予定の時刻を超えた、その喜びを分かち合いたい。
⑤ 今日中に帰宅できるか心配で、状況が変化したかどうか知りたい。
※ このnoteでは③について触れていきます。
③ 時間が無駄になったことを非難したい
(イライラした様子で)「いま、何時!?」
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想像力を膨(ふく)らませてください。
「いま、何時!?」とイライラしながら尋(たず)ねてきたこの方は、
なににイライラしているのでしょうか。
試しに、私が想像してみますに…
A 「長い時間、待たされている」という苛立ち(いらだち)
B 「今から急いでもどうせ間に合わない」という絶望感
C 「22時以降は大きな音を立てないというルールを破られた」という憤怒
D 「門限を破ったこども」に対する親の心配と安心が入り混じった怒り
E 「いくら言っても起きないこども」に対する親のあきらめ混じりの怒り
などが考えられます。
では、これらに共通することは何でしょうか。
共通することは「当然にすべきことを相手がしない」ということです。
ここでいう「すべきこと」とは、「私が思う『すべきこと』」です。
これは重要です。
「すべき」とはあまりにも主観的なものです。
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私:「私のことをこんなに待たせるなんて、ひどい!人を待たせるにも限度がある!こんなに待たせるんだったら、何か事前に連絡をよこすなり、今連絡をくれるなりすべきなのに、それすらしない。何のために携帯電話の番号を教えたと思ってるんだ!」
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私:「本来であれば、もっと早く連絡をよこすべきだったのに。こんなに待たされて、今更連絡をもらったところで、もうどうせ間に合わない。なぜ、もっと早く連絡してくれなかったのか。もうどうしようもない。
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私:「みんなで決めたルールなのだから、当然に守るべきなのに。あの人たちは平然とルールを破る。あの人たちがいる限り、静寂を楽しむことすらできない。守れないなら最初からルールを決める際に守れませんと言うならまだしも、『守りましょう』と言っておきながら、自分たちが守ってないじゃないか。信じられない。
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私:「門限を破るなんて本当にひどい。決めたことをちゃんと守れないならどうしようもないじゃないか。夜遅く出歩くのが昔ほど安全ではなくなった今、出来る限り明るいうちに帰宅すべきなのに。まったく・・・どうしたらいいんだろう。
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私:「もう、いい加減毎朝同じことの繰り返し!もういい加減にしてほしい…。そもそも朝なんて自分の力で起きるべきなのに…。私がいつも声をかけて心配して、もう本当にこんなことバカらしくてしたくない…。
『怒り』
怒りは、わたしの「すべき」がないがしろにされている(=自分自身が、自分の正しさ・常識・大切にしていることが不当に扱われている、攻撃されている)ことに対する反射的反応と言えます。
よって、怒っている人から発せられる言葉は、『許せない』であり、
怒りがエネルギー源になるときは『正さなきゃ』の意識で行動します。
※「怒り」をテーマにすると、これだけでもういくらでも広がってしまいますので、今回のテーマに直接関連する範囲に限って、お話を進めます。
わたしは
「怒りとは、独りよがりの善である」と定義しています。
怒りは極めて主観的です。そして、独善的です。
怒っている方は、「我に正義あり」の心情です。
これらを踏まえ、どのような返答をすれば「相手を感動させる」に繋げられるか、書きます。
相手の「正義」に共感する
共感です。同感ではありません。
共感とは「あたかも、相手が感じているように私も共に感じること」です。
同感とは「相手の感じ方、思い、考えが私の感じ方、思い、考えと同じだと感じること」です。
つまり、「共感しているからといって、同感できるとは限らない」のです。
相手の「正義」とはつまり、相手の思う「正しさ」です。
相手の持つ「正しさの基準」を受け入れること。
これが怒る人に対する思いやりのあり方だと考えると、いろいろなことが見えてきます。
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(友達同士の会話)
A:「いま、何時!?」
私:「本当にごめん!!申し訳ない!!気が付いたら携帯の電池がなくなっちゃってて、連絡できなかった。本当にごめん!すごく待ったよね。お詫びにこの後の喫茶店代は全部持つから!」
連絡をよこさなかった理由も分かり、お詫びに喫茶店代も持ってくれる…。
待たされたことへの苛立ちがすぐに消えるわけではないかもしれませんが、ひとまず、今日一日、一緒に過ごそうという気持ちにだけはもう一度、なってくれるのではないでしょうか。
またしても、途中で2千文字を超えてしまいました。
お話はまだ途中ですが、続きはまた次回に持ち越したいと思います。
あまり長い文章になってしまうと、お読みになられる際、疲労がたまってしまわれるかもしれませんので。
今回もあなたの貴重な時間を、このnoteに割いていただき、
ありがとうございました。
次回はこちらです。「喜び」を話題にしています。