"Intermezzo" by Sally Rooney / 立体的な現代人のポートレート
新作を待つ日々
The New Yorkerに"Intermezzo"からの抜粋 "Opening Theory" が掲載されてからというものの、予約注文したApple Booksの画面をちらちらと眺めながら発売日を待つ時間があった。使っているiPadの保護カバーをペーパーライクな質感のものに貼り替えたりしつつ、いそいそと準備万端で発売日を迎えたのでした。
今回はAmazonで物理書籍の注文ができなくなっていたこともあり、せっかくなら電子書籍に親しむきっかけにしようと購入した。Apple Booksのデザインがかなり読みやすくて好みなことに加え、本当の紙のような質感の保護カバーが功を奏し、かなり快適に読み終えることができた。実は発売後、遠方に住む恋人が今作のハードカバーをプレゼントしてくれる(しかもサイン本!!)というサプライズがあり、またまたひっくり返ったりしていたけれど、とりあえず電子で読み始めたので初読は電子で……という形になった。再読は物理で行こうと計画中。
立体的な現代人のポートレート
"Conversation with friends" や"Normal People"で知られるSally Rooneyは、劇的なストーリーテリングというより、リアリスティックな人物のポートレートというべき作風が特徴の作家。最新作である"Intermezzo"を読んだ初めの感想として挙げたいのは、その人物描写のあり方が、過去作と比較して飛躍的に重厚さと複雑さを増しているというところ。特に、主人公の一人であるPeterの病的な自己矛盾や偽善を含んだ多面的な描写は今までにないほど精緻であり、一人の人間を、表層的なキャラクターではなく、自分自身ですら全容を把握できない複雑な構造として描写しているようだった。読んでいて思い浮かんだのは、キュビズムの絵画たち。一人の人間を、一つの角度から一つの平面に収めることの不可能性。"矛盾しないキャラクター"の浅さ。この点については、Peterに関わる話のほとんどが一人称視点で描写されていることもかなり効果的であったように思う。Peterは読み進めるほど立体的で魅力的な人間として感じられたけれど、その魅力は彼が倫理的に優れていることや言動の愛おしさのためではなく、彼が生きて動き回る、生の人間として描かれているためだ、と感じた。
人物の多面性の描写については、Peterの弟Ivanについても素晴らしい場面が多くあった。Ivanの人物描写について特に興味深かったのは、その場で対面している相手によって、Ivan自身の印象が大きく変化するところ。恋人のMargaretと接しているとき、Ivanがすらすらと迷いなく話すことや自己開示をすることは最も簡単に感じられる。一方で、兄のPeterと接するIvanの印象は幼く、世間をよく知らない萎縮した少年にすら見える。友達のアパートでビール瓶を片手に軽口を受け流すIvanは年相応の若者といった感じだ。こういった変化は自分自身の生活を振り返ると親しみのあるものだけれど、それをフィクションの中でここまで克明に描写した作品は決して多くないように思う。
恋愛とセックスの話
"Normal People"、"Beautiful World, Where Are You"に引き続き、現代人の恋愛のあり方は大きなテーマとして取り上げられていた。"Intermezzo"では、年齢差に悩むMargaretとIvan、遊びと本命、ポリアモリーの難しさに直面するNaomi、Sylvia、Peterの2つのカップル(とスラプル throuple)が登場する。ロマンチックなやり取りが多く、避妊についても互いの合意とともに明確に描写されているMargaretとIvanに対し、ほとんどシュガーダディのような、"使う-使われる"関係に落ち着いているNaomiとPeterの関係は対照的だった。経済的な基盤のない学生であるNaomiがPeterに"使われる"ことによって安心を感じる場面は、とりわけ強く印象に残っている。後のPeterのモノローグによっても示されることだけれど、社会の中で生き残る術が他にないNaomiにとって、自分の魅力的で若い肉体を金持ちの男に使わせることだけが、彼女の暖かい食事と、服と、寝床を守ることができるのだ。実際のところPeterとNaomiの間には愛情があるのだけれど、お互いを利用するというラベルのもとで、自分の気持ちを誤魔化しながら関係を続けていくしかない。
Peterはエリートたちの世界の中での"ふつう"(= 誰からも称賛される、差別や迫害を受けない立場)であることに固執する人物として描かれる。しかしそれゆえに、恋人との関係が旧来の(文中でconventionalと表現される)ものに当てはまらなくなることを受け入れ難いのだろう。Peterにとって、恋人との関係は性行為を伴うモノポリーでないといけない。性的な欲求と愛情の座標のずれというか、一直線にいかないが故の混乱というのは、少し前に読んだMargeret Atwoodの"Heart Goes Last"でも中心的な話題として扱われていた。たった一人の愛する人と、セックスをして愛を確かめないといけない…なんていうのは、実際にところ自分たちにそう言い聞かせているだけなのかもしれない。性愛と婚姻、恋人関係がどのように捉えられてきたか、歴史を遡って調べてみたら面白いかも。
共感できる登場人物って
"Intermezzo"を読んでいて面白かったのは、私自身と全く異なる属性の登場人物たちに強く共感する体験ができたところ。私は日本育ちの日本人で、 20代の女性で、性愛の対象にこだわりがなく、大学院生、専門は分子生物学、趣味は読書と散歩。作中に登場するPeterやIvan、Margeretとは全く異なる世界で生きているわけだけれど、私が最も共感しながら読むことができた人物はPeterだった。よりにもよって一番遠く見えるこの人に!
Sally Rooneyの文章は、詩が的確にあるものを掴み取って表現するように、彼らの心情や置かれた状況を象徴するシーンをふとした瞬間に見せてくれるのが素晴らしいと思っていた。しかし"Intermezzo"においては、このpeakと言いたくなるような表現が頭から尻尾までミッチミチに詰まっており、素晴らしい表現を挙げると本当にいとまがない。結果として、自分が近しい立場であるが故の、文中にない要素の無意識な補足が読者に無くとも、しっかりと共感しながら読める作品になっているのかも。天才の文章じゃん……。
雑記 今回の雑・文学メシ
PeterがNaomiに家にあるものでサッとフレンチトーストの朝食を作る場面を読んでいたらお腹が空いてしまった。焼けたバターとベーコン、コーヒーの匂いって幸せの香りかも。この日以降、時間に余裕のある日はすぐにパンを卵液に浸すようになってしまった。
SylviaとPeterが大学の近くを紙カップのコーヒー片手に歩く場面。私もやる!!!!!!と思って大学のカップ自販機に走った。リアルタイムで読んでよかった〜と思ったことの一つに、"Intermezzo"が発売日と同じ9月始まりの物語であるところがある。カエデの葉が乾いた音を鳴らす晩秋に、Dublinと同じ(かどうかは微妙だが)結構湿っぽい気候の街でコーヒーを飲むことができてハッピー。