![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170166928/rectangle_large_type_2_d279b538c9b4ed6e6cf548a5ec78ed5f.jpeg?width=1200)
Cathedral by Raymond Carver / 人生の底に下りていく話
高校生の時はなんだかかなり不安定な思春期を過ごしていた。貧しかったし、家族ともうまくいっていなかった。何か失敗するたびに、寄るべなく足元がガラガラと崩れていくような感覚があった。崩れた足場が落ちていった先は真っ暗で底が見えない、というイメージが常に頭の中にあった。一時期、こっそり学校の屋上に出て下の地面を見下ろす習慣があったけれど、あれはおそらく、落ちていった底に何があるのか見たかったのだろうと思う。もしや自殺を考えているのでは…と心配した先生に止められてからはやらなくなった。(本当に手のかかる生徒だったと思う。先生ありがとう…。)
地面を見つめ続けて考えついたことは、たとえ真っ暗な底まで落ちたとしても何も変わらないということだった。どんなに最悪な状況になっても、(たとえうっかり死んでしまっても)世界はかなり平常運転で続いていくはず。どんなに破滅的な行動に出ようが、実際破滅しようが、とりあえず自分の二本の足で立って歩かないといけないことには何も変わりない。まだ子供だった私はそれにちょっとかなりがっかりしたけれど、そのおかげで10メートル下の地面を見つめなくても歩いていけるようになったのだから、よかったのかもしれない。
この時の経験があってか、地面に、地下に下りていく話がかなり好きだ。下るという行為は死に近づくこと、辛い状況に陥ることのメタファーとして用いられることが多く、大抵はもといた場所に帰ってくることで回復を意味する物語になる。最近ハマったものだと「ダンジョン飯」は黄泉下りによって死んだ妹を取り戻す話だし、この前読んだPaul Austerの"The Book of Illusion"では、家族の遺物を地下の倉庫に下ろす行為が、死を受け入れる行為として描かれていた。生きていると時々この"底"を覗き込んだり、実際に下っていったりしないといけない時がある。Raymond Carverの短編集"Cathedral"に収められた話の多くは、この人生のdownfallというべき場面を、より現実的で日常的なものとして描いている。底まで下ってみてわかることは、それでも何一つ、ちょっと嫌になるくらい終わらないということ。
Cathedral by Raymond Carver
Raymond Carverの作品集は、それぞれが少し他の作品集からは独立したテーマを持ってまとめられているように思う。以前読んだ"Will You Please Be Quiet, Please?"は孤独と家庭の不和の話が多かったし、"Elephant"は夫婦関係と死に関わる話が多かった。共通する部分も多いものの、明らかに毛色の違う作品がそれぞれ集まっている。執筆した時期とともにテーマが少しずつ変遷していったのだろうと思う。"Cathedral"は上記2つの間に出された短編集で、結婚してから時間の経った夫婦の不和、子育て、貧困、アルコール依存症などの話が多い。"Will You Please Be Quiet, Please?"が青年時代の、"Elephant"が死に向かう人の話だとすれば、その間に執筆された"Cathedral"は中年の危機の話というべきか。
気がつけばどん底にいる
"Cathedral"の登場人物たちの中で際立つのは、失職した、あるいはアルコール依存症になった夫たちの姿。彼らは今まで真面目に働いてきたし、ふつうに夫婦生活を送ってきた。ところがある日とつぜん解雇されて、あるいは特に理由もなく酒の量が増えていって、気がつけばもう戻れない位置にいる。妻の稼ぎでなんとか今日のパンを買えても、明日はどうなるか分からないでいる。"Preservation"は失職して(canned)からソファーの上から何ヶ月も動かなくなった夫を見る妻の話で、妻は、夫がこの先何十年もこのまま過ごすのではないかと危惧する。"Chef's House"、 "Careful"、 "Where I'm Calling From" はどれもアルコール依存症が原因で家庭を追われた夫の話だ。私は特に、住み込みの断酒会を舞台にした"Where I'm Calling From"がお気に入り。断酒会に放り込まれた男のひとりであるJ. P. は、人生で欲していたもの全て(やりたい仕事、持ち家、愛する妻、子供たち)を持った生活をしていたが、特に何の理由もなく飲酒量が増えていき、次第に問題を起こすようになって家を追われてしまう。この「特に何の理由もなく」が依存症の恐ろしいところで、気がついた時にはいつの間にかどん底まで下りている、という話は現実にも決して珍しくない。J. P. が語った少年時代のエピソードは象徴的で、それでいてわずかな希望を灯すものでもある。ある日J. P. は家の近くの井戸に落ちてしまう。どんなに声を上げても誰も助けに来てくれず、壁を登ることもできない。しかしどれだけ絶望的でも、真上に見える円形の空だけは変わらず美しくあった。しばらくして父親がロープを持って助けに来たことで助かったJ. P. だったが、この時に見た空だけはずっと覚えているという。収録作品を通しで読むとわかるのだけれど、"Cathedral"には、底に下りていった人間たちだけでなく、そこから回復する希望を描いている作品も多く含まれている。
![](https://assets.st-note.com/img/1736922151-ntX9Gp6azEx8WsMCfIejNS32.jpg?width=1200)
少し前に読んだ、早期-中期の依存症患者を診察する内科医の本がかなり面白かった。
行き場のない人々の話
Raymond Carverらしい作品としてかなり好きだったのが、底に降り立ったはいいものの、そこからどこに向かっていいのか分からず立ちすくむ…という話たち。先述の"Preservation"のほかに、 "The Compartment" や "The Bridle" なんかがこのテイストになっている。 "The Bridle"は私のお気に入りで、競馬に入れ込んで家も農場も失った夫が、今度は深酒をして大怪我をし、引越しの時に大事にしていたはずの手綱(bridle)を置き忘れて行ってしまう、という話。家も土地も失って、最後には人生の手綱も失った男の話。この後に続く表題作の "Cathedral" は、信仰の行き場を失った現代人の話として興味深かった。ある男が、盲目の男性に大聖堂 (cathedral) がどのようなものか説明しようとするが、全くうまい言葉が出てこない。
"You'll have to forgive me." I said. "But I can't tell you what a cathedral looks like. It just is't in me to do it."
回復に至らないまま終わる話や、望ましい回復を拒否するような話がいくつも収録されているのは、Carverらしい現実的でクールな視点の持ち方だと思う。こういう話、かなり好み。
![](https://assets.st-note.com/img/1736922310-iqUAf3D4gZJPyb8SmTlKCYRW.jpg?width=1200)
最近の読書環境のこと
少し前に、「🍌さんは土日にデジタルデトックスしてそう」というかなり良い偏見をもらったことがあるのだけれど、全然できていない。何なら電子の読み物の割合が増えてますますデジタルにどっぷり。何なら、リラックスを求めて電子焚き火動画の世界に片足を突っ込んだりしている。焚き火動画たちはYoutubeで巨大な界隈を成しており、"campfire" "fireplace" なんかで検索するとすごい再生数の動画が山ほど出てくる。こだわりの強い視聴者は、"real fire" "no loop" などのワードを付け足して、合成ではない本物の暖炉で木が燃えていく動画に絞って視聴している。どこまで行っても電子媒体なのに、アナログの温かみを求めてしまう矛盾。私もそういう視聴者の1人として、木がパチパチ爆ぜる音を聞きながら本を読んだりお茶を飲んだりしている。
![](https://assets.st-note.com/img/1736922758-zN9QwJeR6bdlaDIS8VH7Gv1g.jpg?width=1200)