The Sense Of An Ending by Julian Barnes / 若い時代の過ちに追いつかれて
先日聴きに行った臨床心理士の方の講座で、「思春期というのは病的なものです」という言葉を聞いた。多くの人がきわめて不安定な精神状態を経験するこの時期は、後年思い出される時にはすっかり"漂白"されて−思い出すことすら恥ずかしいような多くの記憶には蓋がなされて−語られていることが多いという。いくつかの実験結果をもとに議論されていることには、人はその瞬間の感情によって、思い出す内容を、とる選択を、世界の見え方を大きく左右されるという話もあった。人の記憶とは、精神とは、全く正確性に欠けた不可解に見えるもので、それをどうにかして定性・定量的に判断しようという試みを、生理学的な見地も含めながら続けているのが現代の心理学である。
これを書いている私も、自分の記憶の不確かさを、年を重ねるほど頻繁に感じるようになってきた。特に心理的な抵抗がある若い時代の記憶については、自分の中で反芻するうちにどこか自分にとって心地のいいものに少しずつ改竄がなされているような気がしてならない。当時書いていた日記なんかもわずかながら残っていたりもするのだが、何回見返しても自分と同じ人間が書いたとは…うーん…思えなくもないけれども…という感じ。とにかく、若い時代というのは晩年になって見返せばちょっとした狂気である。恐ろしいのは、どんなに離れて見える自己が過去にあったとしても、それが連続した自分そのものである以上、すべての行動の責任がほとんど一生ついてまわるということだ。
終わりの感覚がやってくる
Julian Barnesによる小説 "The Sense Of An Ending" は、こういった記憶の不確かさや、個人の歴史を語ることの不可能性、また若い時代の過ちをテーマとして扱った作品。文学少年だった主人公のTonyが、非常に賢く、哲学的な思考に耽る少年だったAdrianという友人について語る回顧録のような形式をとっている。歴史とは何か?という問いについて、少年Adrianが発した答えは、この作品全体にかかる前提として印象的だった。
私たちが歴史を語るとき、その正確性には限界があり、それは歴史の最大の問題の一つとみなされている。そしてこれが主人公によって語られる物語という形式にかかったとき、読者はこの作品全体が、信用できない語り部(unreliable narrator)の上に成り立っていることに気付かされる。Tonyは仲間たちの間で最大の哲学者だったAdrianを美化し、自分の過去を美化し、かつて捨てたものを小さく見積り、今手元に残ったものを最大化して見つめていることに気付いていく。そして物語は、若い日の一時の感情が引き起こした一連の出来事と、その責任を40年越しに明らかにしていく…という構成。
年老いた後に振り返られる若い日の描写が素晴らしく、激情を伴う少年時代から、どこか退屈にさえ思われる老後の日々に移っていく表現の変化がとても鮮やかな作品だった。序盤は読んでいてヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」を思い出したけれど、"The Sense Of An Ending" の物語はより深く取り返しのつかない、ひょんなことから生じてしまった呪いのような問題に根を下ろしていく。とりわけ、若い日の過ちと恐怖の象徴的なものとして、望まない妊娠と自殺が繰り返しテーマとして出てくるわけだけれど、これは生殖能力の成熟に精神の成熟が追いついていない若い時代の罪悪感の取り上げ方としてかなり生々しく、優れていると感じた。
自分が都合よく自分に語り続けてきた記憶の、自分自身の物語の不確かさが繰り返し語られ、新たな人物や文書の開示によって、語られたはずの物語は何度もひっくり返されていく。Unreliable narratorの作用を最大限に引き出した作品ゆえに、最後まで混乱と驚きが続くようになっている。
物語の終わり方は少々スッキリしない…というか、点と点を繋ぐことによる推測は十分できるようになっているものの、果たして"責任の連鎖"はどこまで大きく広がっているのか、あの出来事はどのようにして起こったのか…と、いくつかよく分からないまま終わるところもある。記録の不完全さを題材にした作品ゆえに、あえてルーズなところを残しているのかもしれない、とも考えたけれど、これも憶測でしかない。
水が川を遡るとき
作中で象徴的に語られる現象に、イングランドの南西部で見られるSevern Boreというものがあった。全く知らなかったので調べたところ、その名の通りセヴァーン川でまれに見られる、潮流が川を逆流させる現象だという。最近では発生に合わせて川を遡る波に乗るサーファーたちもいるようで、結構な一大自然イベントと化している模様。もともと汽水域だったところを超えて遡ってくるなら川の生態系に結構影響してそうな現象だけれど、どうなんだろう?
一方向にしか流れないとされてきた川の流れが、川を逆向きに遡っていく現象。不可能が可能になること。時を遡ること。これらを含有した物語の象徴として素晴らしいものを取り上げるな〜と感心した。私の世代が幼い頃に学校のイベントとして日食を見守ったりしたように、朧げな記憶のランドマークとして機能しているのかもしれない。