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A Christmas Memory by Truman Capote / クリスマスの時期のこと

 2024年のクリスマスはなかなか心が休まらなかった。修士論文の完成に向けて作業する中、引越しの準備を進め、卒業・退去・就職のためのあらゆる連絡と書類を片付けながら、心安らかに年始を迎えるために走り回っていた。唯一楽しみにしていたのが人生で初めて交換することになったクリスマスカードの到着くらいで、ケーキを食べたりパーティーを開いたりする予定もなく過ごす冬となった。

クリスマスカードにはナカムラさん(うさぎ)もご満悦
雪だるまが集会を開いていた

 今年は雪が降りしきるホワイト・クリスマスだったが、雪国秋田においては全く珍しくない天気なので、これといった特別感がない。さらに大学で毎年あったはずの冬季用イルミネーションが撤去され、街は薄暗く沈み、妙な形の雪だるま(作者不詳)ばかりが増殖していった。いよいよ近所のスーパーにクリスマスケーキとチキンが並び始めるとき、何かせめてもう少し、クリスマスっぽいことを…と思って手に取ったのが、Truman Capoteによる短編 "A Christmas Memory"だった。以前から図書館に所蔵されているのを見て読みたいと思っていたのだけれど、絶対にクリスマスの時期に読むべきだ!と思って取っておいた一冊。

Capoteの作品集らしき上製本たちの中にあった一冊。こんなに薄いけど一冊。

カポーティのまなざし

  "A Christmas Memory"はカポーティの幼少期を元にした、自伝的な要素の強い小説。子供のように無邪気にふるまう…というより"子供として生きている"おばあさんと、"友達"であるナレーターの、最後に一緒に過ごしたクリスマスの記憶を描いた短編。素朴に生きる人間の本当に美しいところを、思慮深い悲しみを、深い愛のまなざしを持って描写している様子は、カポーティのあらゆる作品たちに通じる要素を凝縮したように感じられる。この温かなまなざしというのはカポーティに特有で、感傷的になりすぎないギリギリのバランスを保って作り上げられている唯一無二の作風だ。読み終えて図書館から帰るとき、降り続ける雪に塗れながら、なんだか不安な気持ちさえになった。カポーティの作品は美しい、それはフィクションとしての形ではあるけれども、もしかすると自分は一生、こんなにも深い愛でもって人を見ることなんてできないんじゃないか?自分の見ている世界は、彼のものに比べれば、ほとんど無味乾燥なものなんじゃないか?そんなことを思ってしまうくらい、彼の描く人間たちは美しい。"A Christmas Memory"はその中でも、極めて深い、かつ個人的な愛の表現として際立った作品として感じられた。

苦しみに敬意を払うこと

 "A Christmas Memory"に登場する"友達"の描写で素晴らしかったのは、彼女の美しさを、単純化された、幼児的なものに収めなかったことだ。彼女は精神が子供のまま、生涯雪深い田舎町から出ることなく、読むものといえば雑誌と聖書だけ、という人だが、彼女の持つ親しみや美しさは、彼女の精神が子供のように"純粋"であることに決して依存しない。そこに美しさが見出されるのは、彼女と深い愛情を持って接しているナレーターとの関係性のためであり、彼女が強い信仰心をもって自らの死を見つめるためである。彼女は苦しみを知っているし、自分が他の大人たちから見て"変な"存在であることをよく理解している。クリスマスプレゼントとして交換した凧を広い空に揚げているとき、彼女が叫んだ言葉は、自らの人生を、いずれやってくる死を、長い時間考え続けた人間のありようが詰まっていた。
"私ったらなんて馬鹿だったんだろう!今まで、神様は私が死ぬ時にその姿を明らかにしてくれると思ってた。でも違う、本当は、この世界そのものとして、いつだって私に姿を見せてくれていたじゃない!"
 おおよそこういう言葉だったと記憶している。あまりに夢中で一気読みしたので、読書ノートに抜書きもしていなかった。この解釈は現代のクリスチャンからよく聞く形で、White Jesusの問題について議論していた"The Color Purple"の主人公も、晩年に同様の結論に達していたことを覚えている。いずれの場合も、長い間苦しみの中で信心を問い続けてきた人々に、啓示のように訪れた言葉である。
 このことを考えていて思い浮かんだのが、去年のノーベル賞授賞式のスピーチで引用されていたHan Kangさんのコメント。心の傷は、治して消すべきものというより、抱きしめていくべきものだ、という話。Han Kangさんに限らないのだけれど、韓国文学では、人の苦しみに対して敬意を払うということを重視する傾向が強いように思う。人の苦しみや痛みに敬意を払うことは、その人の、いち人間としての尊厳に敬意を払うことに通じている。

“I believe that trauma is something to be embraced rather than healed or recovered from. I believe that grief is something which situates the space of the dead within the living; and that, through repeatedly revisiting that place, through our pained and silent embrace of it over the course of a whole life, life is, perhaps paradoxically, made possible.”

Award ceremony speech of Nobel Prize 2024, https://www.nobelprize.org/prizes/peace/2024/ceremony-speech/

 

 私が手に取ったエディションの後書きには、この小説がカポーティの暮らした小さな街の記憶を元に書かれていること、また作品に登場する"友達"のモデルとなった人が実在したことなどが書かれていた。彼女の名前はMiss Sook Faulk、"small town in rural Alabama"で育ち、生涯を終えた女性である。

引用 : https://en.wikipedia.org/wiki/A_Christmas_Memory

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