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140字小説

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2016年10月の記事一覧

ちらちらと雪の舞う日。自販機でホットレモンを買って飲んだ。甘酸っぱい味が口いっぱいに広がった。その朝まで心にあった淡い希望は、脆くも崩れ去った。幸せそうに並んで歩くあいつと君の姿に、僕は拳を握りしめた。冷たく濡れた胸の内に、ホットレモンの熱が沁みた。 #140字小説 #レモンの日

老人がふいに道を横断しようとし、僕は急ブレーキを踏んだ。車を降りて老人の姿を探したが、どこにも見当たらなかった。翌日の新聞を読んで驚いた。昨夜老人に出くわしたすぐ後に、近くで大きな交通事故があったのだ。急ブレーキで止まらなければ、僕も事故に巻き込まれただろう。 #140字小説

塾の帰り道。ふーっと吐き出した白いため息が空に舞った。もうじき受験日がきて、僕らはそれぞれの道へと旅立つ。あの娘は隣町の女子校を受験するらしい。新しい日々への期待とやがて来る別れへの不安が心をよぎった。ため息はいつの間にか空の彼方に吸い込まれていた。 #140字小説 #塾の日

「空き家」
小学校の近くに空き家がある。下校時刻、誰もいないはずの2階の窓に、少女の姿が見える。そんな噂が学校で流れた。僕は噂を信じなかった。でもある日の夕方、空き家の窓に少女の姿を見た。その直後、携帯電話が鳴った。淋しげな少女の声が「ねぇ遊ぼうよ」と囁いた。 #140字小説

「井戸」
みんなは本物の井戸を見たことあるかな? 先生の田舎には、とっても古い枯れ井戸があるんだ。枯れ井戸というのは、水が枯れて汲み出せない井戸なんだ。でもね、毎年お盆になると、夜中にコポコポって不思議な音がするんだよ。そして、湧いてくるんだ。真っ赤な水がね。 #140字小説

「海」
改札の向こうに麦わら帽姿の君が立っていた。「遅れてごめん」と云うと、君はふくれっ面を緩めて笑顔を見せた。蝉の声が響く海岸通の道を、二人で歩いた。やがて、視線の先にキラキラと輝く海が見えてきて、君は息を漏らした。二度とはないこの瞬間を、僕は心に焼きつけた。 #140字小説