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【新刊紹介】「この私」をただ肯定するために「妄想」を挟み撃つ―不信や迷いをそのままにできる居場所を自分につくる、その手立てについて |山本浩貴(いぬのせなか座)

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今回ご紹介するのは『「この私」をただ肯定するために「妄想」を挟み撃つ―不信や迷いをそのままにできる居場所を自分につくる、その手立てについて 』(山本浩貴(いぬのせなか座))です。

本書では「妄想」について、二つの角度から語られています。一つは、自分の「妄想」を捨てることなくかたちにし、それを社会に流通させてゆく表現者としての在り方、またそのような活動を持続的におこなってゆくための場について。もう一つは、言うなれば「妄想」を「妄想のままに留めない」方法を示した前者に対し、「妄想」を「妄想のままで肯定的に捉える」方法を探ってゆきます。

ここでは、二つの角度のうち「「妄想」を「妄想のままで肯定的に捉える」」ことについての紹介を行いたいと思います。

「妄想」が「妄想」としてただ肯定されるわけではない。むしろ「妄想」が「妄想」でなくなる瞬間を前提に「妄想」が肯定されるというねじれた構造が、「妄想」肯定の言説には生じているのではないか。

山本さんが『妄想講義』に寄せてくださったこちらの問題提起は重要です。そして、この問いは少なくない他の原稿への問いかけとしても機能します。すなわち「現実的な課題解決の一助となったり、あるいは金銭的利益を生むような“生産性”を持たなければ「妄想」に価値があるとは言えないのか?」ということです。

「妄想」が肯定的に語られるとき。そのもっともスタンダードなかたちは「いっけん非生産的に見える「妄想」が、現実になにかをもたらす生産的な役割を果たす」というものです。つまり「最終的には「妄想」の域を超えるからこそ、「妄想」が評価される」ことになっている。著者は、このねじれた構造へ「これで良いのか?」と問いを投げかけます。

はたして今後、個人の抱く「妄想」は、あるいはその塊のようなものとしての芸術や文学は、ただ「妄想」であるだけで肯定されることはないのでしょうか? 社会に役立つかどうかという点でその是非を測られるほか、もはやないのか?

ここから興味深い議論が展開されていくなかで提示された「妄想の定義」は「なぜ「妄想」は想像や空想ではなく「妄想」なのか」という、根本的な問いにもスッキリと答えたものになっています。きっと、誰もが納得できるはず。

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