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日が暮れるときよりも夜あけに時間がかからないこの季節のかわりめにでまわるはずのものが気になる

(加筆あり。2023.9.25)

いつもお読みいただきありがとうございます。

はじめに

 もうすぐ秋分の日。急速に日がみじかくなってきたとかんじる。あかるいあいだがみじかくなり惜しいにもかかわらず、ひるまは夏がいすわっているかのようにあつい。

秋のくだもののきせつのはずなのに例年とはようすがことなる。

きょうはそんな話。

季節感が…

 あきらかに秋がみじかくなっている。残暑のひとことでかたづけるにはくびをひねる日々がつづく。その一方で1日ごとに日がみじかくなるとかんじる。ちょうど夕方に生徒たちを出むかえるしごとのためか。おなじ時刻のはずなのにそとのあかるさのちがいに気づきやすい。

店にはこの時期ならではのくだものがつぎつぎと登場する。季節のへんかに気づきやすい。ところがことしはどうだろう。運動会のシーズンと青い皮のごく早生みかんのかおりがわたしのなかではしっかりむすびついている。すきなくだもののひとつ。

西日本のここはこれからりんごよりもみかんがめだつ。いれかわりたちかわりさまざまなの品種がみせにならぶ…はず。ところがことしのごく早生みかんは例年とくらべてちいさい。価格も高いまま。天候の影響をうけているのはまちがいない。

さつまいもは

 秋といえばいも。ずいぶんむかしはつるを植えてほぼ手入れなしでさつまいもがとれていた。自家用ならば放任でかまわない。ところがはたけだけでなく庭でさえ動物害が深刻になりまったくつくれなくなった。

1個も収穫できない年がつづきつくるのをあきらめた。皮肉なものでつくりやすいはずの作物のさつまいもをつくれない状況。じゃがいもはなんとかすこしの被害ですむがさといもでとどめをさされ、農業をやめるきっかけになった。

もはやわたしにとっていも類はあこがれの対象。つくるだけでない。店ではこんなに高い値段で売っているのかと思うほどなかなか買えない。ごく小さいいものふくろをごくたまに買えるぐらい。

農業をやっていたころはきれいにそろったいもを販売所にならべ、細すぎたり、小さすぎたりするものを食べていた。つまりわたしはサイズのそろった充実したいもをほとんど口にした経験がほとんどない。

くりはどうだろう

 この時期以降は山ぎわの林のくりをひろいに行っていた時期。秋の種まきやなにかがひととおりおわり、山のほうへと足がむかう。くりは熟れて茶色くなるとその多くがいがのまま木からはなれておちる。くり林では上をあおぐのではなく、地面をみて収穫する。標高の高いほうからはじめていく。ほぼ1~2日おきにおなじところをまわる。

するとちょうどいいぐあいにちゃいろく色のかわったイガが根元のまわりにおちている。周囲にはけもののにおい。いのししがちかくにいるのはまちがいない。すずやラジオなど音のなるものをたずさえ、草かげをみわたしながらじゃまをするぞと山に入り作業する。

地域の販売所でいちばんくりをたくさん出していたから、もっとも山に入るリスクの高いのはおそらくわたしかなと思っていた。それだけ値がつく。

落ちているのはほとんどイガのままで、すこし木をゆするとくりの実でおちてくる。ともに要領よくあつめてさっとひきあげる。これを2,3週間にわたり、山をくだりながらひろっていく。途中天然のやまぐりを手に入れ、こちらはほとんどわが家用に。味がこい。むいてくりごはんにする。こういうのを滋味ぶかいというのかな。

おわりに

 そのくりがなかなか店に出てこない。あつさで実の充実がおくれているのかも。買えるわけではないがやっぱり心配。

上にしるした山ぐりのおちる場所を数年まえによそのヒトに気づかれてしまった。見慣れないくるま。地元でここのくりをひろうのは山ぎわにはたけのあるわたしか家族だけだったのに。つまりこの山にはいる集落のヒトはすでにいなくなっていたということ。

ここ数年、この時期に見知らぬくるまが道ぎわにとまっていた。おちているはずのくりもない。近寄るのはこわいので、いるときにはこちらから遠目でみつつ退散。いのしし以上になにをされるかわからない。


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