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食べものの買い方をかえて数年 食品ロスと廃棄物を減らせると気づく
はじめに
料理をつくりながらだれの口にもはいらずに廃棄物になっていく。極端な言いかたになってしまい失礼かもしれないが、何割かは捨てるために畑でつくり売り調理しているかのよう。もちろん生産や流通にロスがあるのをのぞいて。
ひとごとではない。わたしもとうぜんのごとく当事者のひとり。なんとかならないか。じつはズボラなわたしはゴミステーションへのゴミ出しすらおっくう。ゴミを出さないですむほうが楽だとはじめた。
きょうはそんな話。
日本では…
いまだにあっさり廃棄される食品の量ははてしなく多い。農水省の調べではわが国での食品ロスは年間600万トンをこえるという。
さまざまな場面でアナウンスされているにもかかわらず。わずかずつ減りはしている。しかし見かたをかえれば髙いのままといってよいほど。
日本全体で国民ひとりあたりにすると年間50キログラムほど。1日あたりひとり100グラムあまり(スマホひとつぶん)のたべられるものをわたしたちはみすみす処分していることになる。家だけでなく店でも。
まだたべられるはずなのにあっさり店から姿を消して処分されていく。原因のひとつは賞味期限が半分すぎると流通しなくなるしくみが足かせかもしれない。食品のあり方を見なおすときがすでにきていると思う。
廃棄まぎわの食べものを買う
1週間に1回、まとめて食品の買い出しにいく。職場に通勤してその昼休みや仕事が終わったのちに店による。
わたしの買う店ではヒトビトは商品を手にとりながらふつう反時計まわりに進んでいく。そのながれにはのらずにいきなりなかほどの処分品コーナーをめざす。
目的は店から廃棄物をへらすこと。そこを中心にあらかじめ買いものリストのメモに記したものを参考に選ぶ。たまに予期せぬものに出会い献立が変わるのもしかたない。それは心得ているつもり。するとかごのなかはセール品の赤いシールの貼られたものばかりになりがち。おとといの5,6品はほとんどそればかり。
たったひとりでやったとしても確実に廃棄するぶんはわたしたち家族の胃ぶくろにおちつく。かなりすてる方のひとりぶんを平均値に近づけるにすぎない。それでもいい。
立ちよる店は3か所のうちのどれか。通勤の帰宅時間にあわせてつかいわけている。
自己満足にすぎないかもしれないがそれでもしないよりはまし。
買ったものを食べつくす
買ってきたものはほぼ古い順にたべていく。すると献立にタガがはまるのであれこれ悩まずにつくれる。これは予想外。むしろメニューに頭をなやませなくていいべんりな方法だと感じている。
それからかならず食べてしまう。食べのこしをせずにすむようにつくりすぎない。もちろんみかんの皮などの生ゴミはステーションには出さずに、すべてわが家の庭のコンポストにいれている。種々のみかんの皮は、オレンジピールや干して風呂に入れて香りをたのしんだり。かぼちゃの種子はフライパンで乾いりするとおいしい。
1週間で買う食べものの予算を決めてから店にはいるので、買いすぎずにすんでいるのかもしれない。
おわりに
数年ほどつづけるとふつうになってくるし、なにも処分品コーナーでの買い物にうしろめたさやはずかしさはない。むしろ店の維持に貢献しあたりまえで当然のことと感じている。
よいこともある。くだものなどは処分品コーナーのものはたいてい熟してたべごろになっている。家ですぐにたべられるので存在をわすれてしまう前にたべてしまう。あじもよい。
なにより店から感謝される。実際にこのコーナーのものを手にとると「たすかります。」などと棚整理中の店員さんとはなしたことも。
もちろん鮮度のよいものとの使いわけもだいじ。生でたべてよいもの、火を通したほうがいいもの、ゆっくり熟れてからたべるとよいものなど食品の素性を知れると、おいしくたべる情報によりくわしくなれる。ふと思うけれどこれって生きものとして本来そなえているのでは。
それらの行動でとくに不便を感じたり、めんどうだとは思わない。むしろむだづかいせずにすんでいる。なにより食品ロス減らしにわずかでも貢献できているという点できもちにプラスにはたらく。
参考にした資料
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