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どうせクレクレ星人ですけど、何か?「与える人になろう」の本当の意味。

若村紫星です。
先日、ある動画を見ていたら、「人から何かをもらうだけじゃダメで、人に何かを与えられる人にならないといけない」と言う話をしていました。
もちろん、これは、自分が楽しく好きなことでやりたいことを仕事している人がと言う前提で、配信者も話しているわけですが、受け止め方によってはちょっと危ないなあと思うのです。
他の投稿でも書きましたが、わたしは、男性から、「あなたはいつも自分自分だ」と言われてきました。
これすなわち、「おまえ、クレクレ星人だな」って言われているってこと。
これが恋愛の話だと、「愛情、クレクレ」って状態になっているというのです。

「与える人になろう」と言うのは、一見麗しい言葉なのですが、もし、自分に自信がない人がこういう情報を自分に取り入れてしまうと、「わたしには、与えられるものなんか何もない。そうだ、せめて、お金を支払おう」となってしまう、つまり、課金勢化してしまうのです。
「自分はあげられるものなんかないんですけど、お金ならもらっても困る人いませんよね?だから、せめてこれだけでも納めてくだせえ、お代官様~」となってしまうわけ。
平たく言うと、自己肯定感が低い、自分は価値がないと思っている人はそういう反応をしがちなのです。

どうして、こんなにひねくれてしまうのでしょう?

おそらくですが、それはこれまで育ってきた環境のせいだと思うのです。
何でも親や周囲にいた大人――保護者のせいにして…と言われそうですが、やっぱり、小さい頃からの刷り込みは強いもの。
小さい頃、そばにいた大人たちが何かしてもらったらお金を払うとか、時給制とかに意識が縛られていた場合、「なんにでもお金がかかる」、「働かざるもの食うべからず」、「ただでもらってはいけない」という固定観念が育って、それに基づいた反応をしてしまうのです。
これはお金持ちの家庭か、そうではないかなど関係なく、周囲の環境がどうだったかがトリガーとなります。
しかし、「世の中どうせお金なんだ」と大人や社会から学習してしまった子どもが大人になるにつれ、やはり、この世には、お金では手に入らない幸せがあるということを心のどこかでは薄々気づきます。

ここで、大きな挫折や絶望感に襲われるのです。

だって、そんな幸せはとてつもなく、「高価」だと思っているから。
それを手に入れることができるのは、素晴らしく才能あふれる人で、自分にはそんな価値がないと思っている。
だから、せめて自分がそれを得るには「お金払わなくちゃ」となってしまう。
そして、たくさんお金を払い、そして、お金が払えなくなると、そんな自分を嫌悪することになるのです。

わたしは、「人に何かを与えられる人になろう」とか、そういう標語は遠回しに「お金を支援してほしい」と言っている言葉に聞こえてくるんですよね。
(わたしも、だいぶひねくれているのですね汗)。

――だけど、若村さん、愛情は?愛は無条件に与えるものですよね?

そうかもしれないけど、思い出してみてください。
本当に好きな人や大事な存在に対しては、自然と体が動いちゃいませんか?
例えば、母親は自分の赤ちゃんがごはんを食べていて、口の周りが汚れたら、それを拭き取ったりしますし、幼いわが子が転んだら、駆け寄って慰めたり傷の手当したりしますよね。
そういう場合、別に見返りのことは考えてないと思うのです。
多くの母親は子ども育てるのに必死ですし、いちいち、これが愛だとか愛情表現だとか考えずにしていることでしょう。
子どもでなくても、誰かのためにお茶やコーヒーをいれるとか、悲しそうな友人を見て「どうしたの?何かあったの?」と尋ねるとか。
そういう特に「これが愛情だ」と意識しないでやっている、日常の何気ない言動があると思うのです。
だから、わたしが思うに「与えている」っていう意識が入っていない時、もっとも愛を与えているのですね。
逆を言えば、「与えている」って意識が入っている時点で、それは損得の計算がどこかにあって、ビジネスやマーケティングの一環かもしれなのです。

結論として、もし、これを読んでいる人で、「自分ってクレクレ星人かも~泣」と悩んでいる人がいたら、もしかして、それ巧みな何かの戦略ハマってない?って、ちょっと考えて見て欲しいです。

これはある見方の話で、誰かのやり方が悪いと言う話ではないんです。

だから、「クレクレ星人かも」と落ち込んだら、あるいは、「誰かにクレクレ星人になってませんか?」って問われたら、言いましょう、
「そうです、わたすが『クレクレ星人』だす」って。(笑)
または、「はい。クレクレ星人ですけど、それが何か?」って。
そもそも、本当に人から奪うことしか考えていない人っていうのは、こういうことで悩みませんから!
「自分ってクレクレ星人かも?」って悩んでいる時点で、違いますからね!

それでも、精神的に、現在、「なんかクレクレ星人になっている気がして落ち着かないんですけど…」と言う人は、もしかしたら、今、自分のなんらかの感情を抑圧しているのかもしれません。
自分はこれを「クレ」って思っていると思っている、その「これ」が本当に欲しいものなのか?
それとも、それに隠れた別の感情があって、それが「これを欲しい」、「これをクレ」って衝動に変換されているのかもしれません。
静かな落ち着ける場所で、自分の深いところにある望みや自分自身について理解してみるのがよいでしょう。
そうやって出てきた望みは、おそらく、人から何かを奪うものではなく、人に何かをしてあげる、ある意味「与える」、無償の愛かもしれないし、事実、意外とそうだったりします。
単に自分で気づいていないだけで…。

だから、自分を必要上に悪く考えることはないんです。
そして、もし、本当に欲しいものがわかればいいし、わからない場合はまた少したってから考えればいい。
ともかく、自分が変に割を食う結果にならないように、自分を誘導してあげること。

自分を愛することも、時にはこういう抜け目ないやり方が必要なんですね。
それが、同時に、今の社会で生き抜くには大事なことでもあります。


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