ついに会社に「退職」を伝えます。その前に思うことを綴ります。
ついに、退職!
退職をすることは、
休職に入った時点で決めていたことだった。
もうすでに、退職するのは決めていたこと
だからとわかってはいたけれど、
いざ実際に退職届けを書くとなると、改めて怖くなるというのが本音だ。
俺の20年は何だったのか、
これからはどうやって生きていくのだろうか。
とても、不安を感じる。
このまま、一生無職で働くことが
できなくなってしまうのではないかそんな妄想をしてしまう。
子どもたちにとって、
情けないオヤジになってしまわないかと、
やはり恐怖と心配があるのは
まぎれもない今の自分の気持ちだ。
かといって、
半年も離れていた仕事を今さらできる自信も、
そして、やる気もない。
けれども、ここでよく考えなければならないのは、
「金曜日の夜からの週末だけを楽しみに生きていた私」
を解放してくれる、
願ってもみないチャンスではないかということだろう。
会社を辞めたい、辞めたいと思いながらも
一歩を踏み出す勇気がなく
ダラダラと会社を続けていた自分がいた。
どう考えても、あのまま続けていたいても
ロクなことにはなってなかっただろう。
ひょっとしたら、
家庭もめちゃくちゃになっていたかもしれない。
あの時の休職の選択で、
家庭を守ることはできたと思う。
共働き夫婦で、
家のことがまったく考えられないくらいに忙しく、
家庭までもが崩壊に向かって行っていたのを感じていたから、
会社を捨てて、
家庭を取ったといっても過言ではないと思っている。
休職し家のことを見れる余裕を持てたことは、
良かったと思う。
健康状態も悪化してしていてもおかしくないくらい、
深酒とジャンク菓子と、睡眠不足だったので、
身体のためにも心のためにも休息が必要だったと思う。
だから、妻公認で
会社を辞めるチャンスだととらえるのだ。
そのチャンスにのっかかるのだ、
これを逃したら、
もうチャンスはないだろう。
退職なんて、半年前からのシナリオ通りじゃないか。
退職届けも単なる形式だけのことではないか。
何もビビることはない。
すべては、導かれているのだ。
昨年のちょうど今頃、
コーチングのお試しに申し込み、初回のセッションを受けた。
その次の日にランニング中に転倒した。
この転倒をメッセージだと気づくことになった。
そして、
再度通勤前に転倒し、
メッセージは、確信に変わった。
それから、
1年後の今、私は休職を半年間し、
退職を決意している。
これは、「強制終了」であると思っている。
私の人生のシナリオ通りの強制終了だと思っている。
この強制終了によって私は、
何に気づく必要があったのだろうか。
まず、家族との時間が一番だと思う。
子どもたちとの接する時間、
忙しさゆえの不遜な態度、
大切な家族をないがしろにしていたことに
気づかせてくれたのだと思う。
そして次に、自分の健康だ。
寝れない毎日、そのための大量のアルコール。
夜にジャンク菓子をアルコールで流し込む毎日。
あの頃は、毎日身体のあちこちが痒かった。
身体中が拒否反応を起こしていたのだと思う。
睡眠不足から、思考も随分おかしくなっていたと思う。
繁忙期に、実際に電車に飛び込めば
楽になれるのではないかという妄想も浮かぶほどだったから。
そして、一見悪く見える出来事たちに導かれるように
「休職」にたどり着いたのだ。
なぜに、このタイミングで
私は休職をする必要があったのだろうか。
やはり、子どもたちと一緒に遊び、
食卓を囲み、一緒に風呂に入り、
一緒に寝ることができる年頃の今であること。
そして、年齢的にもまだ動くことができる今。
考える体力がある今に経験する必要があったのだと思う。
だから、今のタイミングで経験する必要があったのだ。
休職以前の人生では、
結婚をし、バリバリ働き、当時としては出世をし、
それなりの社内の地位を得て、
調子に乗るべきタイミングに、ちゃんと調子に乗ったのだ。
この経験は、自分の力を知るというか、
信じることができるように経験したのかもしれない。
そして、風向きが変わり、
自分に向けられていると思い込んでいた好意が
ことごとく打ち砕かれるという経験もする必要があったのだと思う。
すべては、他人の物差しであり、
自分の物差しではないこと。
評価ばかりを気にしていた自分。
他人との比較ばかりをしていた自分。
いい人になろうとしている自分に気づく必要があったのだ。
その当時の自分は、
「いい上司」「仕事ができる社員」「人気者」「順調」であることを、
誇りとしていた。
他人の物差しを、
まるで自分のアイデンティティーであるかの様に勘違いし、
心の支えとして生きていた。
そして順風な日々が陰りはじめ、
逆風が吹いた時、自分の誇りにしていたものは、
脆くも崩れ去り、
人からの評価も手のひらを返すように下がり続けた。
それを感じた私は、
ショックでそれまであった自信もどこかへ吹き飛んだのでした。
それは、まさしく「アイデンティティーの崩壊」でした。
他人に依存しているアイデンティティーなど脆いものだ。
これからは、自分に対して、
自らの主観でアイデンティティーを持つ必要がある。
人生の主役は、自分自身なんだということを強く思い出し、
自分にとって本当に大切な人、本当に大切なコトに
自分の貴重な時間を使い、
愛情を注ぎ、「私らしさ」という、
他人の基準ではない、
自分の基準、自分の軸で生き、私の能力を使い、
私らしく世の中に貢献できる様になりたい。
だから、休職は、
そのためのサナギの期間だったのだ。
青虫から蝶になるための移行期間だったのだ。
そして、このサナギの期間を経験する必要があったのだ。
後は、羽ばたくのみだ。
そのために、退職をしてケジメをつけるのだ、
いつまでも甘えてしまう自分に対しても。
在職を続けたところで、
手当支給額や、支給期間に変わりはないのだから、
在職は私にとって単なる「会社員です」と
答えられるだけの心の甘えでしかない。
主夫の生活もあまり悪いもんではないと思う。
家事も案外好きだったりする。
46歳。年齢的にも「サラリーマン人生」に
疑問を持つことも許されないと思い込んでいました。
ホリエモンも、
何も考えないで定年まで働くと
「人間関係」と「収入源」と「やりがい」の
すべてを失うリスクがあると言っていました。
私には、ありがたいことに
「考える時間」が与えられのだ。
働き盛りで無職。
これも、今しか経験できないことをやっているのだから、
いい経験だと思って楽しんでしまおう。
人生は1度きりだから。
色んな感情を味わった方が、
おもしろいはずだから。
この志村さんの
練習しすぎて声が出なくなった映像を見て、
なんだか妙に元気が出ました。
涙も出ちゃったんですけど(笑)
堂々としてて、
なんだかしんみりしてる自分が
情けないって吹っ切れました。
素晴らしい才能があったのに惜しいです。
悔やんでも悔やみきれませんね。
でも、やっぱり素晴らしいです。
才能無くても、私は、生きなきゃね。
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