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「協力して小説は書けない」

 わいわい、騒ぐ、ネットでの小説祭りをやめ、本気で書いて欲しいもので
である。
 ネット上に「小説家になろう」「カクヨム」を初め、お友達と一緒にそうへ行き、おしゃべりをしながら、遊び半分で小説を書き、「小説家」気取りになっているものが多い。
 どういう現象なのだろうか?
  だいたいネットが若い人を扇動し、あなたでも十分に作家になれまをす、まずは「有料記事」で、「有料の文章を書く練習をしましょう」と煽ってきているようである。「有料記事」がここのサイトで大きくなれば、ここのサイトは売り上げで儲かるし、今度は、有料の小説を書いてみましょうと、じっくりと時間をかけ我々の意識を変革しようとうるかもしれない。
 普通、小説家は、ライター業と違い、こういうことについて書いて欲しいのですが、という依頼は受けない。
 小説家というのは、まず、なぜ小説家になるのか? 自分だけにしか言葉を使って構築できない独自のオリジナリティがあり、その価値や世界を提起したいからであろう。
 金銭では買えない独特の世界である。
 芸術家と呼んでもいいだろう。
 そういう自由な人間に、何かを吹き込み科の様に宣伝して、企業の物戦略へと彼らを引き込もうとはどういうことだろう。

 作品が良く、文章より、アニメが相応しいならアニメを勧められ、一番利潤t後して稼ぎが大きい映画製作を勧められることさえあるだろう。
 作家(原作)ー脚本家ースターが揃えば、ハリウッド波に儲かるわけだ。
 ハリウッドのようなややこしい面倒な手法を取らなくても、今はすべてネットがやってくれる時代だ。
 ネット=大金を稼ぐ、という構図ができているのだ。
 だまされて不幸になって欲しくはない。
 受験勉強の競争のために、群れを成し、勉強をしつづけているのがいまの世界ではないだろうか。
 所詮、小説は、自己責任で自己一人でとりかかり、協力者がすること何てなにもない。
 わいわい、騒ぐ、ネットでの小説祭りをやめ、本気で書いて欲しいものである。


ライター

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