
「相手の気持ちが分かるということ」
妻は老化のせいか、半月板損傷と整形外科に診断された。
左足の膝関節が悪く歩くと痛みを感じ、ゆっくりと足を引きずるように歩くようになった。自宅でも歩くと痛い、痛いという。

買い物は辛そうで、わたしが妻と一緒に付き添うことが多くなった。
妻は歩くのが遅くなった。足を引きずりながら歩くのだからそうなるであろう。
わたしは、妻を気遣うようにゆっくりと歩いた。何度も、大丈夫?休憩する?と声をかけた。
わたしは、妻と共にゆっくり歩くことは苦にならない。

そういうわたしも、脊髄官狭窄症になり、脚が痛くてほとんど外出しない時期があった。20メートル歩くのに3回は休息を入れないと足が痛く歩けず、そこにしゃがみ込むほどであった。
整形外科で神経ブロック注射を打つようになってから軽快し、今では、普通に歩けるようになった。
妻が元気で、わたしが脊髄官狭窄症のため足が痛くてまともに歩けないとき、何度か外出したことがある。わたしは、杖をつきながら一歩、一歩で非常に歩くのが痛みのためにゆっくりであった。
妻は、そんなわたしに対して、一緒にゆっくりと歩いてくれなかった。
自分だけスタスタと早歩きで、わたしが亀のようにゆっくり歩いていると、腰に手を当て、仁王立ちになり、あなたまだなの?遅いわね、もっと早くならないの?行くのやめて帰る?という有様だった。
わたしのこと何て全く気遣ってくれない。
今は、運がいいのか悪いのか、立場が逆になった。
足を引きずる妻をケアしながら、わたしが足が悪い時、あなたは今わたしがしてあげたようなことをしたかな?
と意地悪に言った。
妻は、わたしそんなことしたかしら、ごめんなさいね、という。
許してあげない、などこと子供のようなことは言えないので、分かればいいんだよ、体に気を付けて長生きしてもらわないと困るからね、と優しく言った。
それを娘に話すと、昼メロ見たいという。
違うだろう、夫婦の愛情なのと思いながら、苦笑した。
