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「クリェーターになる準備」

 クリェーターとして「創作」したいという人はかなりいるのではないかと思う。クリェーターという言葉は、響きが良い。その言葉に憧れる人もいるだろう。

クリェーター

 しかし、誰でもがすぐに「創作」できるわけではない。
 何事にも「準備」が必要である。
 「創作」に携わる「活動」をしたい人は、まず、「読書」をする習慣をつけよう。
 最近の人は、ネットが発達し情報過多になってから、活字離れが進んだという。「読書」をする喜び以外のことがあるのであろう。
 マンガ・コミックの氾濫はあると思う。
 なぜ、今の人は、活字だけの本より、マンガ・コミックに惹きつけられ読むのであろうか?
 それは、きっと、今の人のイメージの貧困化があると思う。活字だけを読んでいても何一つ、イメージがつかめず、退屈してしまうのであろう。マンガ・コミックは、挿絵がすごく多い。その挿絵を見るとことで、イメージすることが助けられ、どういう世界が描かれているか理解できるのだと思う。
 活字だけでは、広がるイメージの可視化という作業が行われていないので、つまらない、退屈、わからない、となるのだろう。
 しかし、そういう人が多い現在、彼らをも含めて、クリェーター、創作者になるにはどうしたらいいのであろうか?
 まず、退屈であっても、読書を継続することは大切だ。
 

読書する人


読書をすることで、作者が提起した様々な世界を冒険し、戯れることができる。何故に、このような世界を作り上げ、我々に提起したのか?
 そこには、作者の考え、論旨があるわけだ。それに触れることで、作者の考えに触れることができる。こういう世界があり、こういう考えがあるのか、と自分の言葉をかいして理解することは大切なことである。
 我々は、言葉で考える。言葉=思考することである。我々をとりまく空間は、言語によって構築された「言語空間」であることがよくわかると思う。
 読書することで、作者の展開する「思考」を通して、考えを学ぶだけではない。読書することで、自分の言語の限界値を知り、さらにその限界をも超えることができる。新たな世界が、そこから広がるのである。
 いろいろな表現に触れるうちに、自分の言語表現、文章作法に磨きがかかる。
 読書というのは、クリェーターになるには必要不可欠なことだ。
 読書をせずして「創作」することはできない。
 人の書いた文章を読むとその人が今までどれくらい「読書」してきたのか、または、読書してこなかったのに無理して「創作活動」だけをしようとしているのか、一目で見抜くことは簡単だ。
 故・大江健三郎氏が言っていたが、彼は書く以上の何倍も読書に時間を費やしているそうだ。
 まず、クリェーターになる準備としては、「創造的な読書術」が必要となると思う。「知的読書」と言っても良いであろう。

 

六本木ヒルズ

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