リスペクトこそあれど冒険と驚きが少なくて残念だった(キャメラを止めるな!)
#ネタバレ ありで感想書きますよー。
▼全体の感想
予想以上にオリジナル版に忠実な作りでした。これは「良くも悪くも」だと思います。好意的に捉えれば【原作へのリスペクト】だとも言えますが、個人的には【フランスで作るからこそのアレンジ】をもっと入れてほしかったです。
映画は全く同じ流れ。全く同じオチ。特にラストは物足りないと私は感じてしまいました。私はリメイク映画を観るときは、その監督がどんな個性を付け足したのかに興味があります。…伝わりますかね?物語の本質や精神性だけは継承して、展開とかオチはズラしていくのがリメイクの醍醐味じゃないですか?その快感があまり無かったんですよね。…まあ、それだけオリジナルが完成されている、と言うこともできるかもしれませんが。
▼フランス人は間が悪い?
全体的にテンポが悪いと感じました。日本版のテンポの良さで笑わせていく感覚がほとんど殺されてしまった感じです。特に、30分ワンカット部分で役者たちがカンペを読んで時間稼ぎをするシーンが日本の3倍くらいありました。
笑いはセリフの内容だけはなくて、言うタイミングで作られたりするものです。同じ内容でも人によって面白さが変わるのは、上手い人は「間」が良いからです。ただし間というのは多分に国民性や言語の特徴も反映するもので、もしかしたら、あの間がフランスではウケる間なのかもしれません。実際にカンヌ映画祭では4分間のスタンディングオーベーションだったらしいですし。
もしくは、リアル志向の一端かもしれないと感じました。本作の肝は、30分ワンカットにおける不自然な引き延ばしが実は撮影現場のトラブルに対処していた結果だった、という種明かし(怒涛の伏線回収ラッシュ)です。ところが日本版には「たったそれだけの時間稼ぎでそのトラブル対処を完了するのは無理でしょ」というシーンがよくありました。これはリアリティより面白さを優先してテンポを早めた結果です。その点、フランス版では本当に舞台裏のトラブル対処の演技まで同時進行で進めていたんじゃないか、というくらいたっぷり時間を使っていました。
▼消されたオープニングクレジット
日本版では30分ワンカットが長いアバンタイトルのような扱いになっていて、派手なオープニングクレジットが入っていましたがフランス版では消えていました。これは日本でも席を立ってしまう人が多かったからかもしれないですね。そう考えるとワンカットのエンドロールも爆速でした。日本よりも海外は席を立つのが早いイメージがあるので、ここは鬼門なんでしょうね。退屈させないため(笑)に最速でドラマ部分が始まります。
▼完全オリジナルキャラ:音楽担当くん
フランス版で追加された要素として、音楽担当の陽気な若者がいました。撮影現場で最も監督への忠誠心が高く、真摯に仕事に打ち込むナイスガイです。彼が30分ワンカットではライブ中継のモニターを見ながらリアルタイムでシンセを演奏して音楽を付けていくのが、フランス人には面白いのかと思われます。場面ごとにノリノリで演奏したり、脚本にないことが始まると手が完全に止まったりするのは、滑稽ではありました。ただ私にはよく分かりませんでした。でもあれだけフィーチャーされていたのだから多分おもしろポイントなのだと思います。(笑)
しかし彼には決定的すぎる弱点がありました。それは、彼はラストの組体操に参加できないことです。
スタッフ全員が一丸となって映画作りを支える(文字通り組体操で土台になる)、というのが本作のクライマックスですが、音楽担当くんはBGMと効果音をつけるためにコントロールブースを離れることが出来ません。あんなにずっと監督の味方だったのに、最後は一緒に組体操させてもらえないなんて寂しいじゃないですか。
もちろん現場に居ることだけが映画作りの仕事ではないので、ブースで役割を全うした彼も美しいことは美しいのですが、全員が集合して青空のもと笑顔で寝そべってるシーンに参加できないのはダメージが大きいです。これこそ日本版では音楽にあまりフォーカスが当たらなかった理由なのかもしれませんね。
せめて全部終了してから走って現場に駆けつけて「おいおいコリャひでえな」って言って皆が笑うシーンが必要でした。ポストクレジットで脚立を探しに行ったクルーなんか追加してる余裕があるなら、そのくらいしなさいよ。(笑)
▼完全に消えたキャラ:助監督のオバチャン
日本版で影のMVPだとも言えた吉田美紀が演じる助監督のオバチャン(失礼な言い回しですが敢えてこう呼びます)が居なくなりました。これは地味に残念でした。日本だと監督の右腕的なポジションで適宜フォローしたり、監督代理でクルーに指示を出したり、ジャンプしながら小道具の生首を投げ入れてそのまま転がってドアの影に隠れたり、など【イイ歳こいたオバサンが必死に頑張ってる】のが、可笑しくもあり胸が熱くなるポイントでもあったのですが…。
多分こういう立ち回りをする女性って日本に独特で、フランスには相当する存在とか文化とか風習が無かったんですかね。男女に関係なくそれなりにポジションがある人が身体を張って頑張るというのが、きっとヨーロッパの人達には理解されないと判断されたからオミットされたのでしょう。
彼女が担っていた裏回しの役割は、コントロールブースに座り続けるプロデューサー男性に受け継がれていました。(*彼も最後だけは走りますが)
▼撮影クルーが女性ばかりだったのは何故?
一方で後半パートで映る撮影クルーはほとんどが女性でした。これは何か意図があるのかしら。不自然なくらい女性ばかりでした。それとも手足が長くて画面映えしやすいから目立っただけかしら。
一つ考えられるのは、最後の人間ピラミッドを作るときに出演者が協力せざるをえない理由にするため、ですかね。芸能人は顔が命のキャストがあんなに身体を張って危険な組体操をする前に、まずは撮影クルーが率先してやるのが自然ですから。ところが本作ではなぜかプロデューサーまで土台として参加しています。他のクルーが全員女性だったとするしか合理的な説明ができないような気がします。
▼パールハーバーの意図が謎すぎる(1)
これはFilmarksなどでも他の方がちょくちょく書かれていたのですが、【フランス的な味付け】としてパールハーバー批判が入っていました。しかし私にはこの演出意図はよく分かりませんでした。
まず最初に「日本人は真珠湾攻撃で騙し撃ちをするようなヤツらだ」という監督の発言。んーこれは言っちゃいけないやつ。人種差別をはじめポリコレにうるさい業界に辟易してるのは私も共感するのですが、数十年前の戦争を批判材料に使うのはちょっと違う気がするんですよね。本作でもそれは同じスタンスなのか、自分で失言に気づいて慌てて発言撤回を申し入れる監督。しかし怒り心頭でそのまま翻訳する通訳。それを受けて静かに怒るミスマツダ。ここまでは、まあ分かるのですが、その先です。
後日、笑顔で制作現場に現れるミスマツダ。まるで先日のアグレッシブな発言への腹いせのように「フランス側の相談内容は全て却下。役名から設定まですべて日本版の脚本に忠実にやれ」と言い放ちます。しかも撮影前日に。こんな無理な要求を突きつけるなんてどうかしてますよ。日本人ならこんな無礼なことは絶対にやらないと思いますけど。
しかもその理由が「日本の原作者が許可しないから」とのことですが、いやいや、それって上田慎一郎が拒否したってことになっちゃうんですけど、上田さんはそんな人じゃないぞ!と思わずにはいられませんでした。
逆に、フランスだとこのくらいの意地悪は平気でやりそうな気もしますけどね。オーダーを出す側は相手の現場が大変になることには冷淡なことが多いです。ヨーロッパの価値観だと「それはそちらの問題なのでそちらで解決してください」と突っぱねるだけです。オーダーされた方もされた方で、フランス人は良くも悪くもルーズで不真面目なので、「じゃあ間違っても良いから言われた通りにやっとくか、知らんけど」くらいのノリでこういう無理な要求も割とスンナリ受け入れるような気がします。だからミスマツダが【立場だけ日本のフランス人】になったように見えて、この違和感は凄かったです。
▼パールハーバーの意図が謎すぎる(2)
さらに不可解な演出は続きます。ミスマツダが監督に向けてすごく怖い顔しながら言います。「パールハーバーと同じように忠実にやってくれよな」と。
え?
…ええええ?
繰り返しになりますけど、心ある日本人だったらこんなこと言わないんですよ!
パールハーバーには当時の日本軍の決定を、批判する意見も擁護する意見もありますが、どちらだったにせよ相手に売り言葉に買い言葉でぶつけるために使うような人はいないでしょう。
おそらく『命令されたら人道的な問題はさて置き、忠実に動き続ける不気味な日本人』を表したくて、ああいう演出にしたのだと私は解釈しましたが、ちょっとユーモアのセンスがフランスすぎて私には即座に理解できませんでした。ヨーロッパでは互いの国民性を弄るユーモアは日常茶飯事なのでしょうが、そもそも国民性への理解がズレてると素直には笑えないですね。
日本人ならあんなふうには言わないよね?
あれが【フランス人が抱く日本と日本人のイメージ】なら致し方ない所はありますが。日本(日本国民)への侮辱に加えて、上田慎一郎への誤ったイメージ植え付けもあって、心穏やかに観れなかったなあ、あの部分だけは。
真珠湾攻撃は扱うのが難しい問題です。まず左翼で定説の「あれは騙し討ちである」という解釈と、右翼で支持されている「米国に追い込まれて他に選択肢がなかった;むしろ米国が日本を騙した」という二つの解釈があります。日本の義務教育では殆どの教師が左翼の文脈で子供に刷り込むので、そちらサイドの認識の方が多いでしょう。ただ国際的に活躍されている日本人は日本のアイデンティティを考える機会が多いこともあり左右をバランスよく見ていてるケースも多く、右寄りの説も知っている方が多いです。劇中でミスマツダがどちらのスタンスだったのかは不明ですが、国際人であればどちらの立場だとしても理知的に回答すべきところです。
しかしそのようなセリフは本作には一切出てきません。カットされたのは竹原芳子(どんぐり)の演技に問題があったからでしょうか?上映時間を削るためでしょうか?どちらにせよ言われっぱなしなのはあまり気分が良くないですね。国民性ジョークはお互いに言い合えるフェアな関係の時にのみ成立する笑いです。
▼ミスマツダのキャラが崩壊している件
さらに気になる演出は続きます。ライブ放送が無事に終わった後のミスマツダの「こんなもんやろ」というセリフです。まったく意味が分かりません。
日本版では「よーし無事に終わった!そんじゃ皆でメシ行きましょ」とノリノリだったのに、本作でも企画をフランスに持ってきたときにはノリノリだったのに、終わってみるとこの評論家のように冷めた感じはなぜでしょう?監督のパールハーバー発言で関係が悪化したからでしょうか?そう解釈されるとますます癪ですけどね。
日本版でのミツマツダは作品を評価しません。ただ褒めるだけです。もとより彼女は【プロデューサーのくせに作品の良し悪しが分からない人】であるというのが日本版での面白みであり、映画のアツアツポイントになっているのです。それが完全に失われています。
日本版では生放送中に不自然な引き伸ばしがあっても、スマホをいじってて気づきもしない能天気キャラだったのに、本作では「いくらなんでも長すぎちゃうんか」と気づいていました。私に言わせれば、そっちこそ違うんちゃうか?という話なんですよ。(笑)
▼未解決で残る日本酒の謎
実は解決してないミステリーが一つだけありまして。それはミスマツダの差し入れの日本酒です。
それを飲んでしまった俳優が泥酔して粗相を起こしまくるわけですが、彼が「いつもはこんなこと起きないのに」と発言していました。これが回収されていません。
ワインがぶ飲みが日常のフランス人をあそこまで泥酔させる?
何か酒に薬物を入れてたってこと?
これもパールハーバー発言を引きずると、そういう解釈もできるようになってて、もうなんだかなー。という感じでした。
ちょっと話題がズレますけど、日本版ではゲロがヒロインの頭にかかっていたのが、フランス版ではしれっと無くなってて、これこそまさに裏側で「私は良いんですけど事務所が」がリアルに起きていたのかもしれませんね。そこはメタ的な視点で笑いました。結局ゲロがかからないなら打ち合わせ時点であのセリフを出す必要ないですから。
▼相違点まとめ
映画の核心となる部分はそのままトレースして、表面上の安易な追加要素として物語上あまり意味がない音楽担当くんとポイントのズレた国民性ジョークを入れる、というあまり野心と覚悟の感じられないリメイク映画でした。悪く言えば【小遣い稼ぎになりそうだから作った感じ】が見え隠れして残念な作品でした。
やっぱりもう少し骨のあるリメイクを期待してしまったかな。オチのトリックか30分ワンカットのストーリーのどちらかくらいは何か別のものを提案してほしかったです。どんどんレールがズレていく快感を味わいたかった。それがないから、ただただ日本版の良さだけが心に残る映画になりました。まだどちらも視聴されてない方がいたら、圧倒的に日本版を推奨したいです。
了。