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「八月のサーカス」 羅津の夢・ソ連参戦前夜に見たサーカスの記憶 ~ 戦後80年に寄せて
この本は、ちょうど10年前、2015年に出した本です。
その年は戦後70年ということで、戦争の体験に関する多くの書籍や雑誌の特集、テレビ番組などが作られました。
戦争の生の記憶を持つ方々が高齢を迎えられており、今のうちに語っておきたいという意思を持つ人々もたくさんおられましたし、世の中全般にも、できるだけ多くの記憶を記録し、語り継がねばならないという機運が高まった年でもありました。
私は当時、京都の新聞社で働いていましたが、その読者投稿欄にも、戦争の体験を持つ人たちからの投稿が寄せられていました。
その中で、私が注目したのが、1945年(昭和20年)当時、朝鮮半島北部の羅津という町に家族で住んでいた男の子で、同年8月9日未明のソ連による攻撃と山越えの徒歩の逃避行を体験した方の文章でした。
羅津の町では、直前(8月8日夕刻)に慰問のサーカス団による公演が行われており、町の人々にその余韻が残る中での、突然のソ連軍の侵攻でした。
しかし投稿者の方の「あのサーカスを見ていた夜も、今の生活とたいして違わない夜だったと思う」という一文が印象に残りました。
私は、投稿者の方に連絡を取り、お住いの滋賀県北部の町を訪ね、直接様々なお話を聞く中で、この記憶を本にして残しておきたいという気持ちがわいてきました。
そして、投稿者の方のご協力を得て、ご本人の体験をモデルに書き上げた物語が「八月のサーカス」です。
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文と絵 隅垣 健
(京都新聞出版センター, 2015年)
この物語は、徒歩で深い山を越え、満州へと続く鉄路にたどり着いたところで終わっています。
主人公の男の子は、その鉄路の先が、遥かな祖国・日本につながっているはずだという希望を抱きます。
しかし、投稿者の方の実際の体験では、その先も苦難の連続でした。
乗り込んだ汽車がソ連軍機の標的になったり、ようやくたどり着いた満州の撫順では日本人は収容施設に入れられ、厳しい冬にそこで多くの人々が亡くなったり、そうこうしているうちに撫順のそばで国民政府軍と八路軍の戦闘が始まったり、そう簡単には日本への帰国はかないませんでした。
しかし、あえて私は、鉄路をみて希望を抱いたところで、物語を終えました。
この本を読んだ子供たちが、その後、満州へ逃れた人々はどうなったのだろうと、自ら調べ始めるきっかけにしたかったからです。
ただ、投稿者の方から伺った話やいただいた資料のコピーは大切に保管しているので、いずれに時期にか、続きの物語も書くことができればと思っています。
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