自己否定の強かった私が自分大好きに変わるまで⑦~毒親編~
昨日は友人がやってる理容院でヘッドスパを受けてきました。
完全個室のプライベート空間なのでとっても静かでマッサージも気持ちよく、いつのまにか寝てしまってました。
夜もぐっすり眠れたので、からだも軽い気がします♪(頭のこりがほぐれると血行がよくなって睡眠の質が上がるらしい)
こんにちは!
大阪・兵庫で活動するファッションセラピストの上杉いとです。
今年の秋はヘッドスパ三昧が決定したところで、シリーズ「自己否定の強かった私が自分大好きに変わるまで~毒親編~」を
この軽くなったからだで♪
たのしく♬
書いていきますよ~!
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▼シリーズ1話目からお読みになりたい方はこちら
離れたいけど離れたくない
幼いころから両親に嫌われ、邪魔者・疫病神扱いされ、その存在を否定されつづけてきた上杉。
そんな育てられ方をしてまともに育つわけもなく、自己否定をしては毒親を恨んで生きてきました。
▼幼いころの詳細は以下のブログにまとめています
毒親から離れたい。
不幸の人生を毒親に望まれていても、自己否定する自分を変えてしあわせになりたい。
自己否定ではなく、自己肯定できるようになりたい。
新しい出会いがあるたびに、自己否定のかたまりであるわたしであっても、普通の人が望むしあわせを求めていいんだと気づかされます。
しかし、毒親のそばにいてはその正常な考えもすぐに消えてしまいます。
まずは物理的に離れようと、28才のときに友人たちの協力を得て毒親から離れ、ひとり暮らしをはじめます。
毒親から離れたら、きっと自己否定もしなくなるはず。
だから、もう二度と実家には帰らない!
そう意気込んで毒親から離れたものの、実家を出てそう経たないうちに祖父の訃報を受けたので、毒親に会うのは気が引けるけど、祖父を見送るために実家に帰りました。
このタイミングで当時恋人だった夫を両親に紹介する機会があり、それ以降、夫を連れて実家に度々行くようになります。
それは、夫のことを気に入った毒親は夫にやさしく、その流れでわたしにも普段よりはやさしく接してくれるからでした。
だからわたしは勘違いしてしまったのです。
毒親がわたしを否定せずやさしく接してさえくれれば、わたしは強く自己否定することなく良い親子関係が築けるのだと。
他人軸のこの思い込みはさらに自己否定の沼へと沈めていきます。
毒親に依存する本当の理由
毒親は男尊女卑的な思想を持っているので、わたしたちの結婚後、
「夫の名前を呼び捨てにするな。腰を低くして夫を立てろ。ケンカしたらお前が折れろ。女が忍耐強く我慢すれば家庭はうまくいく」と言ってきました。
毒親は実の娘より夫の方がかわいいんだろうな…
毒親にないがしろにされていることがひしひしと伝わってきて、言葉にできない感情が湧きましたが、それでも前に比べれば自己否定も減ったし、良い関係になれてると思い直しました。
あるときから、毒親に愚痴を聞かされるようになります。
毒親「弟が約束したのに実家の手伝いに来てくれなくて困ってる。」
いと「なんで甘やかすん。弟にはっきり言えばいいやん。」
そう伝えると、毒親はごにょごにょと口ごもります。
いと「そうやっていい加減にしても許されるんなら、わたしも実家の手伝いするのやめるから。」
甘やかされてる弟への嫉妬もあって反発すると、毒親はハッキリとした言葉で言ってきました。
毒親「あんたはだめでしょ。」
(は・・・?)
いと「弟は親にお願いしたいことがあって、その代わりに実家の手伝いをする約束をしたんでしょ?なんのお願いもしてないわたしはなんでだめなん!?」
毒親「よくよく考えたら、その約束はしていなかった。だからあまり強く言えない」
(わたしには強く言えるくせになんやねん・・・)
いと「そもそも、昔、『あんたはいるだけで家の空気を悪くするって』って言ってきたよね?それなのに、手伝いのためなら帰らせるん!?」
毒親「だって、それは本当のことでしょ。」
(はぁ!?)
いと「もういい!疫病神は今後は一切かかわりません!!」
あまりのことで怒りに身を震わせました。
毒親にとってわたしは娘ではなく、疫病神だけど使えるから利用できるときだけ利用する道具でしかないのか
だからそうやって、こころない言葉を吐けるのか
怒りと悲しみで気づくと涙を流していました。
毒親に関わると自己否定を強めるだけとわかっていたはずなのに、どうしてそれでも毒親に近づいてしまうのか、この会話で思い知らされました。
30才を過ぎて結婚しても、いまだに親に愛情を求めてしまっている
愛されるわけがないのに
毒親が変わることなんてないのに
今度こそ本当に縁を切る覚悟でかかわりを断とう
毒親にかかわると
自分は親に愛されない生きる価値のない人間だと
いつまでも自己否定してしまう
もう完全に親子の縁を切ってしまおう
しかし、かかわりを絶ったからといって、自己否定する癖はそう簡単に治りません。
時期的にも友人たちにあまり会わなくなっていたときだったので、毒親から否定されることによる自己否定はしなくても、孤独を感じたときや夫とケンカになるたびに自己否定して苦しんでしまうのでした。
初成功した会話のキャッチボール
たび重なる夫婦喧嘩で自己否定をする生活がしばらくつづいていましたが、友人たちのおかけで自分の弱さを受けいれられるようになってきたころ、毒親と会う機会がありました。
ある日突然、毒親が家にやってきたのです。
最近はどうだ、夫君とはうまくやれてるかなど聞いてきましたが、わたしはつい反抗的な態度をとってしまいます。
すると母は、「やっぱりこの子は無理。話したくもない。お父さん、先に帰ります。」と言って出ていきました。
(この人は一体なにしにきたんだろう・・・)
母の言動に思わず、わたしのせいでと自己否定したくなりましたが、せっかくの機会だからと冷静になり、父にいまの素直な気持ちを伝えました。
いと「お母さんの態度を見てわかるように、こんなにいがみ合ってるのに、会う必要ってある?」
いと「わたしたちって依存しあってるよね。依存してるものは遠ざけた方がいいっていうのはお父さんが一番分かってるんじゃないの?」
(父は大学で心理学を専攻していたので詳しい)
父「そうか、依存してるか…。」
いと「少なくとも、わたしは親に依存してしまってる。だから苦しい。今までのように縁を切るとは言わない。でも、離れたい。わたしのことを思ってくれてるのなら、距離を置いてほしい。」
父「……わかった。お前がそうしたいのならそうしよう。」
はじめて、冷静に自分の思いを伝えられた瞬間でした。
また、親がわたしの望みを肯定的に受け止めてくれたのも、33才にしてはじめてのことでした。
父の「わかった」という言葉を聞いた瞬間、つきものが落ちたように肩の力が抜けて気がラクになりました。
いまのわたしが求めている言葉はこれだったんだ…
自分の気持ちを受けとめてもらえたことで、幼いころからぐちゃぐちゃに絡まってほどけることができずにいた毒親との関係性に整理できたと感じました。
そして、いままで感じたことのない心の軽さをかみしめました。
これからは
毒親のために生きることはやめよう
これからも自己否定するかもしれないけど
自分のために生きよう
そう決意すると、これからの人生が楽しみに感じられました。
そして、自己否定するのをやめなきゃと思うのではなく、わたしは自己否定するこころの弱い人間だと認めて、上手に付き合っていくほうが大事だと考えられるようにもなりました。
抜け出せない自己否定の沼
毒親に対して気持ちの整理がついてから、自然と夫婦関係も良くなっていきました。
自己否定と自責をしながら、結局はすべて毒親のせいにしてしていました。
そして、毒親に接するように夫にも同じことをしていたことに気づいたのです。
自分の人生を歩むということは、だれのせいにもしないこと。
自分が悪かったと反省するときは、自分の存在に価値がないからという自己否定的な考え方ではなく、自分のどんな選択・行動がよくなかったのかを考えられるようになりました。
もちろん、完璧に自己否定しなくなったわけではありません。体調が悪くなったり、イライラしているときはつい自己否定するときありますが、確実に激減しました。
ようやく自己否定する癖が和らいできたと思ったのに、ときどき、無意識に自己否定の沼に引きずりこまれ、恐怖に襲われるような感覚に陥るようになります。
それはたいてい深夜で、布団の中でぼんやりしているときでした。
孤独や不安、怒り悲しみなどいろんな感情が入り混じって勝手に涙が出てしまうのです。
当時はその悲しみをどう形容していいのかわからず、夫に打ち明けることはできませんでした。
また、仕事で疲れてスヤスヤと眠る夫を起こすのも気が引けて、いつもばれないようにすすり泣いていたのです。
ひとしきり泣き終えると少し落ちつくのですが、そんな日は自己否定の気持ちでいっぱいになってしまうので、苦しみで眠りにつくことはできませんでした。
少しずつ自分を肯定的に捉えるようになってきても、突然やってくる自己否定と恐怖心がネックとなって、こころの底から「自分が好き」と思いきることがどうしてもできなかったのです。
そんな状態から、上杉はどうやって自己否定を克服したのか?
こころから「自分が大好き」と自己肯定できるようになれたその方法とは!?
次回はいよいよこのシリーズ「自己否定の強かった私が自分大好きに変わるまで」の最終回でございます。
告知もありますので、お見逃しなく!!