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まずはお坊さんからやめてみよう「安い=優しい」という生き方

よい宗教者がもっともっと増えて、人々の心の支えになってほしい――そんな弊社の理念に賛同してくださる仲間や企業から、出資のお話をいただいている。有難いことだ。この会社を私のプライベートカンパニーにするつもりはないので、リスクをとって弊社の取り組みを応援しようという申し出には、感謝しかない。

自社の出資者のことを思索しているうちに、鎌倉投信という会社の存在に行き着いた。ファンドマネージャーの新井和宏氏の著作やNHK『プロフェッショナル』という番組で、その取り組みや考えに触れた。

鎌倉投信は、儲かる会社に投資をするという金融会社のスタンダードを否定する。ときに「晴れの日に傘を貸し、雨の日に取り上げる」と揶揄される金融の世界では、新人は先輩から「借りたい会社に貸すのではなく、借りる必要のない会社に貸すのが一流の営業マン」だと教わるのだとか。
鎌倉投信は違う。社会に必要な会社、従業員を幸せにする会社に資金を投じて、その経営に資するという、投資哲学を実践している。
一度投資を始めれば、会社経営が厳しいからといって資金を引き上げたりはしない。
資金以外の面も含めて、一緒に経営再建に取り組む。
そんな会社だ。

鎌倉投信に投資されるような会社になりたい。
そう思った。

新井さんの著作は、お金を再考すること、「誰かの犠牲で成り立つ経済を、終わらせよう」と促している。

私は思う。お坊さんも、お金との向き合い方を見直さなくてはいけない、と。

――お墓は安くないと売れない
――お布施の価格低下が止まらない
――葬儀社が布施の額をアドバイスするなどナニサマだ
――布施からこんなに多額の手数料を取る僧侶派遣業者がいる
――あの石材店がこんな高額で商売をしている

お坊さんの浪費といった「金銭感覚」の話もあるが、そのいったことではなく、お坊さんがイチ消費者としてお金を支払ったり、他の事業者のお金の流れを評価するといったような「金銭感覚」の話だ。

他者から物を買う際に、複数の売り物があるとき、品質・本質に違いがないならば価格だけが論点になるだろう。葬儀の際にお坊さんに来てもらう施主の感覚も同じだ。どのお坊さんに来てもらっても同じなら、そこには払う金額の違いしかない。さらに重要なことは、多くの布施を払うことで、故人の成仏に違いがあるとは誰も考えていないことだ。それは、私も含めて同じだ。「安いことは良いことだ」、「値切った分だけ得をした」とする思想に生きる限り、安さを支える人・値切られた人の存在は、その脳裏には浮かんでこない。

貧困の原因となっている、途上国の生産者と先進国の消費者のアンバランスな取引を正そうとする、フェアトレードという貿易の仕組みが広がっている。安い商品を手に入れるため、わたしたちはその生産を海外の安い労働力に依存している。これは、安さのツケを、海外の労働者に付け回している。チョコレート一つをとっても、カカオ豆の生産者の暮らしを考えれば、安さだけを喜ぶことができるだろうか。

(フェアトレードを知らない方は、ぜひPeople Treeの取り組みを知ってほしい。https://www.peopletree.co.jp/food/index.html#story)

価格競争にしのぎを削るお坊さんが、「ビジネスマインドを持った経営感覚ある住職だ」などと評価されるような話を聞くと、わたしには笑えない皮肉にしか思えない。『ゆっくり、いそげ 〜カフェからはじめる人を手段化しない経済』(影山知明著)などを読んで、何が手段で、何を目的とすべきなのかを思索してほしいと願う。

お寺の経営を支えるために、地域住民がいるのではなく、地域住民のためにお寺がある。宗教者が存在する。

その宗教者が、どう振る舞い、お金についてどんな価値観を発信するのか? 尊敬される宗教者たるには、お金に対する価値観も地域の見本となるべきではないか。お金は手段だ。人を幸せにする手段だ。それを得ることも、貯め込むことも目的ではない。嫌ったり、恐れたりする必要もない。

寺院経営が以前よりも難しい時代。まずは、お金に関する考え方を、お坊さんから改めていくべきではないか。

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