この記事は次の書籍に基づいたものである。 結婚というワードを聞いたとき、今までは全く何も思わなかったし、自分は結婚するのか、どんな人をするのか、結婚したいのか、あまり考えもしなかった。しかし、同年代で結婚している人がちらほら現れ、数個年上の知り合いも結婚するらしいという話をちょこちょこ耳にする。結婚が近づいてきてまず思うことは、うれしくないなということだ。単純に結婚するということは働いて家庭を養うということであるから、今のまま学生で遊んでいたいと感じる。次に、これから先その
プログラマーは世界をどう見ているのか (SB新書) | 西村博之 |本 | 通販 | Amazon この本は2ch創設者である西村博之氏による本である。ひろゆきという名前につられて選んだ。この本では、プログラミングを身につけることで得られる情報整理術、物事を俯瞰する能力、効率化、数値化、優先順位をつける力、シミュレーション力、模倣するショートカット術、その他もろもろについて言及すると書かれている。私が読んだ感想としては、プログラミングを少しでも触ったことのある人からすれば当
今回は3か月目の活動で『旋回する人類学』『純粋異性批判』『死ぬんじゃねーぞ!』の3冊を扱ったグループが集まった。その中で「女性」というキーワードで議論がなされた。「女性」について私の考えなどを述べていく。 実際にグループで出た内容としては女性は好きか嫌いか、また好きな嫌いな女性はいるかというものだ。1つ目の問いに対する私の答えは、多分、普通である。主語が女性となっているということは特定の相手ではなく一般的な女性ということになるが、私が今まで嫌いだと感じた人がいたときに、女性
まず私は「文化人類学」というものが何なのか今まで知らなかった。この本を選んだ方(同コミュニティの)はばりばりの理系だが大学で人類学が面白いことに気づきこの本を読んだという。私は大学に入ってから確かに高校から好きだった数学や物理は今も好き(しかしさぼってしまってはいる)だがほかの学問に興味をもった試しがない。せっかく学びの機関にいて図書館も使い放題だったりするしもっと多くのことに興味を持ちたい。 本書ではまず文化人類学のその定義が困難だと書かれている。なぜなら文化人類学は何度
真山仁氏による「疑う力」をふまえた文章である。この本では「正しいを疑う」がテーマになっている。これは作者の座右の銘の一つでもある。そしてこの本では「幸せの定義」「民主主義」「ミステリー小説」「エネルギー問題」「戦争」「日本の未来」というトピックがある。 幸せの定義正しさとは何か、幸せとは何か、こういったテーマはよく取り上げられる。その理由は答えがないからだ。絶対的な正しさなんて存在せず人によって様々である。幸せについても同様だ。そんな中、私にもっての幸せとはどういったものな
はじめに提出の期限遅れなどによりいきいきルームに配属となりその中のタスクの一つとしてタイトルの本を読むことになった。一般的に期限遅れになる条件としては興味関心が低い、遅れたときの罰がゆるい、やりきる能力がないなどが考えられる。今回は一週間で本を一冊読みその感想を書ききる物理的な時間と能力はあったので能力がない以外の理由が要因だったと思われる。 本の内容について01.結論から話す この本の一番最初に取り上げられている内容である。コミュニケーションや会議の発表では結論を最初
いきいきすることになりました。2,000字書かないといけません。僕は様々なスポーツをやってきたのでスポーツを軸に紹介します。各スポーツについてもっと深堀りした記事もいつか書きたいと思っています。 (現在大学3回生) 水泳《歴》 小3~小6:水泳教室 中1~中3:部活動 高2~高3:部活動 人生で一番長くやっていたスポーツです。親が水泳をやっていた(現役で)影響で水泳教室に通っていました。小学生の頃なので楽しいとかやめたいとか考えていたか分かりません。なんとなく行っていま
ホームレスはどんな生活をしているのか?多くの人は何かの拍子で職を失い、自分がいつホームレスになってしますのかと恐れを抱いている。しかしそれはホームレスがどのようなものなのかをよく知らないからではないのだろうか。そこで、ホームレスの実態を知るべく筆者の國友公司氏は約2か月間ホームレスとして過ごすことにする。本書はその様子を記した本である。 世界各地で、ホームレスの人々が直面する生活環境は、多くの社会問題の一つとして注目されている。ホームレスとは、適切な住居を持たず、公共の場所
このnote記事は土井隆義氏の「友だち地獄」という本を踏まえての文章である。この本は若者の人間関係について述べられた本である。以前では親友とは互いの対立や葛藤を経験しながらも、訣別と和解を幾度と繰り返す中で、徐々に揺るぎない関係を作り上げていけるような間柄を指しているものであったが、現在(この本は2008年に書かれた)では、絶えず場の空気を読みながら、友人との間に論争をつくらないように心がけるような対立の回避を最優先にするような人間関係(「優しい関係」と呼称)となってしまって
私は大学で理工系の学問を学んでいて科学というものに親しみがある。数学、物理をはじめとして授業で扱うものはほとんどが科学だ。では、学生以外の人間からして科学とはどういったものになるのだろうか。科学自体は日常のほぼすべてのものに対して使われている。電化製品は当然として木で作られた机や、家具のデザインも科学の力を使っている。私たちはそれらが科学だと実感しないままその恩恵を受けている。たとえばAIはその中身がブラックボックスとされている。内部でどのようにして結果を生み出しているのかを
皆さんは日常で「美しい」と感じることはどれだけあるだろうか。私はおそらく日常的に「美しい」と感じる瞬間はあると思うが、すぐにはあまり多く思いつかない。ただその中でも一番に思いつくのは自然を見たときだ。以前京都に行ったとき、そのときに見た自然がとても美しかった。ネットやテレビで見る景色とはやはり違う。その理由はまず視界の端から端まで景色があることだ。画面ではそれが四角く制限されてしまう。さらに視線を動かすと横や上にも景色が広がる。また、奥行きを感じられるからか迫力が感じられる。
この記事は下記の書評とnote記事をもとに作成したものである。 少し前に友人に仮想通貨で稼ごうと勧められた。私は仮想通貨について何も知らなかったがオススメされたものを少し買ってみた。するとレートは上がったり下がったりして一番いいときには購入時より30%くらい高くなっていた。毎日上がってるかなとレートをチェックするのはちょっと楽しい。いつか上がることを希望に現在でも売らずに温存している状態だ。仮想通貨を買ってみたはいいもののその実態については知らないことが多かったのでこの本は
この記事は下記の書評とnote記事をもとに作成したものである。 私が人より能力がないと感じたことの1つは中学のとき、部活でやっていた水泳だ。小学2年生のときから水泳をはじめて高校まで続けた。男女合わせて20人ちょいいた中で私の泳ぐ速さは下から数番目くらいだった。私の部活での練習メニューというとひたすら泳ぐことだった。泳ぎ方について教え合ったり技術的な面についての練習はなく、足だけで泳ぐ、手だけで泳ぐ、何秒以内に泳ぐといった制限はあるものの基本的に泳ぎ続ける。今までの人生を振
この記事は下記の書評とnote記事をもとに作成したものである。 私が柔道と聞いて思い出すことといえば中学生のときの体育の授業で行った柔道である。そのときの授業には体育の先生が確か2人か3人いた。そのうちの1人がとても若い先生で過去に柔道経験のある人であった。その先生が話したことが今でも記憶に残っている。 その内容は昔、その先生が柔道教室にかよっていたときどうしても勝てない相手がいた。しかしその人はろくに練習もせず、熱心に柔道に取り組んでいる様子がなかったという。その相手を
第2章「こどもと秘密」において取り上げられた著者のエピソードの1つを紹介する。著者はある母親から、自分の子どもが養子なのであるが、そのことを本人に告げるべきかどうかで相談を受けた。生まれてすぐ親類からもらい受けて、本人は全く知らないはずである。ところが、本人が高校二年になってからきゅうに成績が低下し、どうも不安定なように思われる。これはひょっとして「秘密」を知ったのではないかと思い心配になってきた。そこである教育者に相談すると、「真実は隠すべきではない」と言われ、それでも不安
この記事は下記の書評とnote記事をもとに作成したものである。 けろたん氏はこのnote記事で感情について書かれている。私は体操競技をしていて体操と感情のことについてその際少し話したのでそのことについて述べていく。 体操競技についてだが内村航平選手を思い浮かべてもらうと分かりやすい。くるくる回ったりひねったりするスポーツである。体操には男子6種目、女子4種目ありそれぞれの種目に大体100個以上の技がある。そこで新しい技をする際に私は怖いと感じることがよくある。ここではその