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橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか』【基礎教養部】

皆さんは日常で「美しい」と感じることはどれだけあるだろうか。私はおそらく日常的に「美しい」と感じる瞬間はあると思うが、すぐにはあまり多く思いつかない。ただその中でも一番に思いつくのは自然を見たときだ。以前京都に行ったとき、そのときに見た自然がとても美しかった。ネットやテレビで見る景色とはやはり違う。その理由はまず視界の端から端まで景色があることだ。画面ではそれが四角く制限されてしまう。さらに視線を動かすと横や上にも景色が広がる。また、奥行きを感じられるからか迫力が感じられる。

そこで他にも自然を見てみたいと思い世界中の世界遺産に登録されている絶景や秘境に行ってみたいと思った。初めに行ってみたいと思ったのは、テレビで見た中国の断崖絶壁のような場所でアニメでみるような光景が広がっていた。

そういうわけで今まで生きてきた中であまり意識をしたことがなかった「美しい」について取り上げているこの本を書評に選んだ。

本書はタイトルの通り、人はなぜ「美しい」がわかるのかについて書かれた本である。最初にはこのちょっと変な言い回しにもみえるタイトルについて述べられている。まず、本書は脳のある構造によって「美しい」と感じるといったようなことについて書かれた本ではない。ひとはなぜ「美しい」が「わかる」という個別的なことが起こるのかといったことについて書かれている。また「美しさ」ではなく「美しい」とされているのは、ものの性質として「美しさ」が備わっているのではなく、ものに対して人間が「美しい」と感じるものであるからだ。

「美しいがわかる」を理解するためには「美しい」と「わかる」の両方を理解しなければならない。まず「美しい」とは何なのか。それは「合理的な出来上がり方をしているものを見たり聴いたりした時に生まれる感動」のことだと本書では規定されている。合理的=美しいということなのだ。「美しい」がわからない人は「合理的」という言葉の方が好きということになる。

「美しい」はとっさに出る感動の言葉で、「合理的」はそこにあとからやってくる言葉だ。感動とは自覚してしまった自分自身であり、しかし何がおこったのかはよくわからない。それを説明するものとして「合理的」がある。この「美しい」に対する理解は恋の訪れと似ている。人は恋をしてそのあとで、恋をした人がどんな人物なのかを知ろうとする。

よく「好きなタイプは?」という質問がある。しかしその質問は本当に意味があるものなのだろうか。この質問に答えるとき人はどういう風に考えるだろうか。今までに何人か好きになった人がいるとしたらその人たちの共通部分が好きなタイプになるのだろうか。しかしそれが必要条件だと言える保証はない。偶然共通していただけの可能性もある。他には、単純にどういうタイプの人が自分に合うかを想像して答えるのだろうか。しかし実際、人に好きになるときに、この人はこうだから好きになろうと考えてから好きになる人はおそらくいない。好きになったあとにわかることである。結局、好きになるまでの間に、思考することはなく気づいたら好きになっているのなら好きなタイプというものは存在しないのかもしれない。また、「なんでその人のこと好きになった?」という質問も同様である。あれこれ条件をクリアしていった先に好きになったというのが存在するわけではない。その質問の答えは、好きになった後に考え出したものである。

人に限らず「好きになること」に理由はあるのだろうか。私は趣味でよくランニングをしていて「走ることのどこが好きなの」とよく聞かれる。実際自分でも難しい。走り終わった後の達成感よりも走っているときの苦痛の方が大きい気さえする。それでも自主的に走ろうとするということは何かに惹かれて好きなんだということになる。好きになるという感情は脳が何らかの物質を出してなんやら起こっているということなのだから、本当に突き詰めていってどういう場合に脳がそう動くのかを調べればわかるのかもしれない。

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