真山仁『疑う力』【基礎教養部】
真山仁氏による「疑う力」をふまえた文章である。この本では「正しいを疑う」がテーマになっている。これは作者の座右の銘の一つでもある。そしてこの本では「幸せの定義」「民主主義」「ミステリー小説」「エネルギー問題」「戦争」「日本の未来」というトピックがある。
幸せの定義
正しさとは何か、幸せとは何か、こういったテーマはよく取り上げられる。その理由は答えがないからだ。絶対的な正しさなんて存在せず人によって様々である。幸せについても同様だ。そんな中、私にもっての幸せとはどういったものなのかについて考えてみる。
まず「幸せ」といってもカテゴリーがまず難しい。「あのころは幸せだったな」というある期間を指すこともできるし、何かを成し遂げた瞬間に対しても適用できる。
受験合格
幸せだった瞬間といってまず思い浮かぶのは受験合格したときだ。高校3年間と浪人の1年という膨大な時間と労力を費やしたことや、将来いい生活をできるだろうという期待などから幸せを感じた。本書の言葉を使うとこれは「刹那的な幸せ」というものだろう。これは本書では「吹雪の中、家にたどり着いて熱々のココアを飲む瞬間」というものがあり、これは刹那的な幸せだと述べられている。
ゲーム
ゲームをしているとき私は幸せだ。スマブラでオンライン対戦しているときなんかは冗談抜きで無限にできるくらいだ。
スポーツ
私は部活動や趣味でスポーツをしていてやっているときは幸せを感じる。しかしゲームと同様に表現としては「好き」「楽しい」といった方がしっくりくる。
高校生時代
今を除いていつが一番幸せだっただろうと考えたとき、高校生のころである。「幸せ」という言葉を日常で一番よく使うのは、過去を振り返ったとき、「あの頃は幸せだったな」というときな気がする。
「幸せ」だと考えられるもの・ことは上にあげたように様々な形で存在するが、では「幸せの定義」は何かというと難しい。貧困の国では綺麗な水がたくさん飲めることは幸せだが私にとってはとくに幸せというほどでもない。つまり幸せというのは絶対的な基準はなく今までとの相対的なものだということだ。
民主主義
民主主義と聞いて一番に思い浮かぶのは、私が一番好きなアニメであるコードギアスの主人公ルルーシュが相手の国の代表に対し銃を突きつけながら「さあ、民主主義をはじめようか」と言うシーンだ。
私は政治に対しての教養がなくさすがにまずいと感じ始めている。本書で組織票の話とかがでていたが、そんなころしていたのかというレベルだ。若者は政治に関心がないだとか言われているが、自分が全く興味が持てない分、この問題は解決するの困難だと感じる。これを機に少し調べたりしてみようと思う。
ミステリー小説
本書ではミステリー小説を読みことには二つの利点があると述べられている。一つは他人の人生を疑似体験できること。複数の登場人物の視点が多様性を養ってくれる。もう一つは疑う力を養うことができること。作者は読者に対し意図的に先入観を植え付けたり、嘘をばらまいたりしている。
本を読むことについて
私は年間に2桁以上の本を読むことはないくらい本は日常的に読まない。大多数の人もそうであると思う。ミステリー小説にいたっては人生で読んだのは、おそらく1冊だけだ。記憶を探って調べてみたら「消える総生縞島」という児童向け(多分)の本だった。この1冊しか読んだこともないせいか、かなり昔に読んだもののうっすら内容は覚えており、最後の結末のシーンではなるほどなぁと思った記憶がある。
私は今は大学生で本を多く読もうと心掛けている。高校生の頃あたりから思ってはいるが、結局少しは読む量が増えたものの月1冊すら読んではいない。ミステリー小説に関しては今まで興味を持ったことはなかった。本好きな女子が好んで読んでそうという雑なイメージしか持っていなかった。しかし本書を通してミステリー小説の有用性を知れたので有名どころくらいは知っておきたいという気持ちもあるので読んでみようと思う。