養老孟司・甲野善紀『古武術の発見』【基礎教養部】
この記事は下記の書評とnote記事をもとに作成したものである。
私が柔道と聞いて思い出すことといえば中学生のときの体育の授業で行った柔道である。そのときの授業には体育の先生が確か2人か3人いた。そのうちの1人がとても若い先生で過去に柔道経験のある人であった。その先生が話したことが今でも記憶に残っている。
その内容は昔、その先生が柔道教室にかよっていたときどうしても勝てない相手がいた。しかしその人はろくに練習もせず、熱心に柔道に取り組んでいる様子がなかったという。その相手を批判するように、その先生は私たちに対して、どれだけ結果が出せても過程が悪ければ意味がないと言った。
つまりその先生が伝えたかったのは結果より過程の方が重要であるということだ。しかし実際、結果と過程はどちらの方が重要なのか。私がアニメの中で1番好きといっても過言ではないコードギアスという作品でもそのことが取り上げられている。主人公のルルーシュは結果がすべてだという考えをもっているのに対し、間違ったやり方で得た結果に意味はないと考えルルーシュとは別の道に進むスザクが登場する。そういった部分もこのアニメのおもしろいところなので、ぜひコードギアスを一度は見てほしい。
話は戻るが、結果と過程はどちらが重要か。私が思うのは、過程というのは結果に含まれるのではないかということだ。さっきの柔道の話で例えると、過程が悪いのではなく間違った過程によって引き起こされる結果が悪いのではないかということだ。どんな過程に対してもそれに付随して結果というものは存在するはずである。「過程」と「結果」が比較可能なジャンルではないとすると、どちらが重要かという問いは、問い自体が間違っているともいえる。これらの意味もこめて、もしどちらが重要かと聞かれれば私は結果の方が重要だと答える。
次に私が高校のときにやっていたフェンシングについて述べる。フェンシングはフランスで発祥したスポーツであり、中世ヨーロッパの騎士の剣術がルーツである。アニメで出てくる戦闘シーンとかが好きでそれも要因の1つとなり高校でフェンシング部にはいることにした。フェンシングにはフルーレ、エペ、サーブルの3種目がある。ただ、最近4種目目のライトセーバーというものが追加されたらしい。種目による違いをざっくりと説明すると、フルーレが最もオーソドックスなもので、胴体を突いて点を稼ぐ種目。エペは頭から足先まで全身が的になっている種目。サーブルは上半身が的であり、さらに剣で突くのではなく斬る種目。ほかに攻撃権(優先権)といったものがフルーレとサーブルにはあり、これがフェンシングのルールの最も難しい部分になってくる。私はフルーレとサーブルの2種目をやっていた。一対一形式のスポーツをやった経験はこれが初めてで、おもしろい部分がいくつも発見できた。1つが相手との読み合いである。私の所属していた部活の練習内容としては、筋トレ、技の練習、試合形式の練習の3つが主である。技の練習では止まっていたり、規則的な動きをする相手に対して練習を行う。しかし、実際の試合では相手は無数のパターンの動きをしてくる。つまり、どう動くかというのは、実際に相手を前にして対戦を始めないと決めることができない。さらに相手によっても好んで使う技や、苦手とする部分があったり、相手がどう動くかを予想する必要がある。私が過去に経験した陸上や水泳では味わうことができなかった面白さだ。また、フェンシングは15点を先に取った方が勝ちというルールだ。相手が13,14点を取ってきたときの焦りの感覚はとても記憶に残っている。冷静であることが難しく絶対に動きがいつもと変わってしまう。先輩に「負けているときは後ろ(応援している人がいる場所)を見ろ」を言われていたのを覚えている。それは本当にその方がよく、どうにかして冷静さを取り戻す必要があった。