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900円の救い/エッセー


 彼はひとりで無人島に漂流し、生活した。28年間文字通り、文明もない誰もいない無人島で生きたのだ。どれだけ孤独で、どれだけ何かに助けられたのか!絶望を感じながらも、彼は自ら現状の「ないもの」だけではなく「あるもの」も見た。無人島に流れ着いたロビンソン・クルーソーはその絶望的とも言える状況をGood(善い点)とEvil(悪い点)に分けたのだ。

 私はそれをたまに思い出して実践する。まだ自分にはなにかが「ある」と思っているときには全く意味がないのだけれど。今日もそうしてみると、自信を失ってる気などはしなかったが、心がバスボムのようにしゅわしゅわと溶け、軽々しく前を向くための姿勢を取り戻した。軽々しく、だけどあたたかかった。思いあがって道を見失っているときにも、有用だと思った。現状をどのような方法であれ見直そうとすることは、みちしるべとなり道は照らされる。

 私は高校生の頃に『ロビンソン・クルーソー』の文庫本(上巻)を読み、大好きな本になった。驚きと刺激に溢れていたから。そして前述の通り、ロビンソン・クルーソーがないものばかりじゃなくて「あるもの」をちゃんと見ていたことは、偉大なお手本になった。

 たとえば私には今、頼れる人がいなくて孤独と不安を感じるけれど、既にたくさんの人を知っていて、助けられてきて、感謝の想いはあたたかい。困っていたら絶対に助けたい大好きな人たち。実は気づかないうちにその人の誰かに助けられていたりする。頼れる人がいなくても、孤独じゃないことを思い出す。
 あたたまった心は、頼れる人を探すよりも、頼れる自分になりたいと願う。(ロビンソン・クルーソーでさえ、ひとりではいられなかった。一緒にいたのは蛮人に囚われていた通称、フライデー。)

 失敗や経験のなさが私を落ち込ませることもある。その時は同じくらい、役に立てたり、些細だけれども確かに経験を活かすことができたことを思い出す。もう無理だ、経験もない、と打ちのめされても、できたことを思い出して「今」勇気があればできることはなにかと考えたい。
 こんなふうに、ほほえましく、つつましく考える自分を、私たちは貶(けな)すことができるだろうか? 私にはできない。全ては人の心に発する。怒り、混乱、憎しみに、愛も感謝も!だから、前向きに考えることを選ぶことで、自分の心を照らしたいと思う。

 さいごに。ロビンソン・クルーソーは流れ着いたその島で、城を築き、王となった。

※デフォーは『ロビンソン・クルーソー』の作者。『ロビンソン・クルーソー』は1704年の小説。イギリス文学史では最初の小説と位置付けられている。


エッセー:900円の救い
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