エッセイ | 穢れなき行進
お盆に実家へ帰省していた。
普段はあまりドラマを見ない私だが、実家はドラマを毎日見ているため居間にいると9時以降はドラマの時間だ。
帰省している時だけ見るドラマは話が入ってこない。第1話から見ているのであればいいのだが、登場人物の関係性も分からなければ、当たり前のように出てくる用語も分からない。
ただ1つだけ『ばらかもん』はアニメを見たことがあったため、なんとなくだけれども内容がわかった。離島に暮らすこととなった書道家の話だったはずだ。懐かしいなと思いながら見ていたが、アニメが放送されていたのも9年前になるため内容はあまり覚えていなかった。
内容はそこまで覚えていないだろうと諦めていたが、登場人物すらも覚えていなかった。
「こんな人いたっけな」と思いつつ、スマートフォンで分からない登場人物を検索しながら過去の記憶を呼び出していた。
その日は作中で重要な役柄のおばあさんが亡くなる回だった。葬儀もにぎやかに執り行われ、最後は旗などを持った大人たちが列をつくって歩いていく。それを主人公たちが見守っているといった具合だ。色とりどりの旗がはためく様は見ていてもキレイなシーンだった。
私は書道や離島について詳しいわけではないのだが、この葬儀シーンについて説明不足ではないかと思ってしまった。ただ、ドラマの中で説明しようとしても難しいのは確かなことだ。
ドラマは大人も見るが子どもだって見ている。大人であれば最後のシーンが「野辺送り」だと分かるだろう。だが、子どもにはきっと分からないはずだ。分かるとしたら野辺送りの文化が残っている地域に暮らす人だけだ。
ただ、一部のシーンだけでも野辺送りを表現することには感心した。
「野辺送り」を簡単に説明すれば、故人の遺体を魔から守り、遺族たちの生活に穢れを持ち込まないための儀式だ。今では野辺送りをする文化もなくなっているが、部分的に風習が葬儀の中に残っていることもある。
なくなりつつある文化を作品に描くのはすてきなことだと思う。もう触れられないものに触れられ、形として文化が残るのだから。『ばらかもん』自体は五島列島を舞台にした作品であるから、五島で野辺送りは生きているのかもしれない。
お盆の時期は家族がそろってドラマを見られる数少ないチャンスだと思う。そのタイミングで葬式にフォーカスをあてた話を放送することは、人の死をタブー視する日本ではなかなか挑戦的だと感じた。
「野辺送り」は日本人が死者や魔を恐れ、それをタブー視した時代の儀式だと思える。この時代から人の死をタブー視していた日本人は、時代が進んだ今では野辺送りをしないのにもかかわらず人の死をタブー視する。
テレビを見た子どもに「この行列はなに?」と尋ねられた場合どこまで答えられるだろうか。全てを答えてしまったら私たちはずっと人の死をタブー視し続けてしまう。
どう説明するのがよいか悩んだ末にネットで検索してみると「埋葬地や火葬場まで遺体を運ぶこと」と記載されていた。かなり簡略化されており力が抜けてしまった。
タブー視しているから簡略化したのか、その文化を残したくないために簡略化したのかは分からない。ただ、旅立つ故人のため、先へ進む遺族のために行う穢れなき行進なのだと分かってもらいたい。
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