おびただしい星におびえる子もやがておぼえるだろう目の閉じ方を|佐藤弓生【一首評】
数ある好きな短歌から、今日はこちらの短歌をいただきます。
ほかの短歌鑑賞(一首評)は、こちらからどうぞ。
STEP1:ひとくち食べた印象やイメージ
佐藤弓生さんは1964年生まれ。
2001年に第47回角川短歌賞受賞を受賞したことをきっかけに、第1歌集『世界が海におおわれるまで』が世に出るが、実はその前に3冊も詩集を出版している。
もともと詩人であることもあり、佐藤さんの作る短歌はどこかふんわりと幻想的だ。
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この歌は口にするとすぐ、目の前に星空がひろがる。
それも、東京の空ではない。
子どものころ、東北の山奥まで行きキャンプをした。その時に見ためちゃくちゃに綺麗なのだけど、なんだかとても窮屈そうな星空が頭の中を覆いつくした。
東京の空しか知らない都会のマンション群で育ったわたしからみると、駅も、コンビニも、スーパーもない山奥で見る星空は綺麗すぎて怖かった。
あれだけたくさん星があれば、ひとつぐらい落ちてきてもおかしくないし、宇宙人もいないほうがおかしい。
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教科書で見た「夏の大三角(こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ)」はほんとうにあった。
あったけど、夏の大三角がぜんぜん特別じゃないことも同時に知った。
こと座のベガは別名「織姫星」で、わし座のアルタイルは別名「彦星」。
ふたつの星は他の膨大な数の星に埋もれている。別にもう無理やり会いに行かなくてもいいのでは…と思った。
STEP2:食べ続けて見えた情景や発見
星が短歌に出てくれば、その意味は多くの場合ポジティブだ。
星を恐ろしいものとして据えているのは、なかなかにめずらしい。
逆に都会に住む人は、あまり星を恐ろしいと思わないのではないかなぁと思ったら、確かに佐藤さんは石川県出身だった。関係あるかわからないけれど。笑
作中に出てくる「子」が一般的な「子ども」を指すのか、自分の「子」を指すのか、この一首だけではわからない。
でも「おぼえるだろう」と予想できてしまうのは、作中主体が大人になり、実際に「目の閉じ方」をおぼえたからこそ言える言葉なのだろう。
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「おびただしい星」はいったい何を指すのだろう?
「人」なのかもしれないし、「世間」なのかもしれない。
いわれなき「疑いの目」や「不平不満」、だれかの「悪意」かもしれない。
いずれにせよ、キラリと光る「おびただしい星」は、どんなときでもわたしたちの周りを陣取り、監視している。
それらの光を目を見開いたまま、まっすぐ受け取るのは困難だ。
だから大人になるまでにわたしたちは目の閉じ方を学ぶ。あくまで自然に。
でも、どうだろう。
目を閉じてしまえば、なにも見えない。
大人になると子どものように、無加工の真実をそのまま見ることはできない。
この短歌は「大人になると見えなくなってしまうものがある」ことを再確認させられる。作中主体はそれを憂いているようにも感じるのだ。
まとめ:好きな理由・気になった点
・「おびただしい」、「おびえる」、「おぼえる」と「OB」音を重ねた音が作る不穏なリズム
・「星」という光り輝く希望的なニュアンスにはそぐわない「おびえる」の言葉つなぎ
・口語「おぼえるだろう」に滲む作中主体の感情(もの悲しさ)
とても好きな短歌のひとつです。
ごちそうさまでした。