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来世では、もう出会わない気がしてる「さようなら」って言えてよかった|中村森【一首評】

数ある好きな短歌から、今日はこちらの短歌をいただきます。

来世では、もう出会わない気がしてる「さようなら」って言えてよかった

引用:中村森「太陽帆船」|KADOKAWA(2024)

ほかの短歌鑑賞(一首評)は、こちらからどうぞ。


STEP1:ひとくち食べた印象やイメージ


「さようなら」はとても言いにくい。

なぜなら、そのタイミングが「現在と未来を繋ぐ線の上にある」からだ。

はじめまして、おはよう → 現在:点の上にある
さようなら → 未来:線の上にある

はじめて会った時の「はじめまして」や1日のはじまりに使う「おはよう」は、使う場所がはっきりしている。

はじめて会った時というある一点で使う限定的なあいさつだから、迷いようがない。

一方、「さようなら」はどうだろう?

もちろん、物理的に居場所を変える時などに「あ、ここかな」という瞬間はある。

でも、明日もまた言うような気分で「さようなら」と言ったきり、何年も、何十年も会わなくなることも、意外とあるのだ。

いや、そのもう二度と会わないように見えた別れだって、まだどうなるかわからない。

生きている限り。

何十年も前に軽い「さようなら」をした人と、また久しぶりに会える日が来ないともかぎらない。

STEP2:食べ続けて見えた情景や発見


別れはいつも突然だ。

わたしにも、昨日までとなりにいた人と急に連絡がつかなくなった経験がある。

数年たってやっと、風の噂で病気になったことを知った。

人は繋がっているようで、繋がっていない。

どちらかの意志で、または意思が全く関与しないところで、別れというのはやってくる。

その人は仕事もプライベートもすべてのつながりを絶った。そして、SNSに上がっていたすべての写真を消して、アイコンもデフォルトに戻した。

かろうじて自分の写真ではなかったLINEの白熊のアイコンだけは、昔と同じ。

いつかまた、このLINEを見てくれる日が来るような気がして、わたしは白熊をたまに見にいく。

決して「さようなら」が言えない別れが悪いわけではないけれど、やっぱり「さようなら」を言いたかった。

でも、もしあの時ちゃんと「さようなら」が言えていたなら、たぶん今のわたしは白熊を見に行ってない。

***

作中主体が「さようなら」を言えた相手は誰なのだろう?

ヒントは2つ。

1:「さようなら」を言えた
2:「来世では出会わない」気がしてる

「さようなら」をちゃんと言えたことに対してよかったと思えるぐらいだから、それなりに近い人ではあったはずで。

ただのクラスメイトとか、同僚とかと言うよりは、関係は深くあってほしい。ましてや、ただの通りすがりの通行人…ではないだろう。

相手が生きているとすれば、その本命は恋人。

死による別れの可能性も踏まえるのであれば、家族という線も考えられるが、いったん家族はのぞいて考えたい。

来世では出会わない気がしている理由はなんなのか?

1:来世で追いかけようと(自分が)思うほど好きではない
2:来世で追いかけようと(相手に)思われているほど好かれてはいない
3:来世で追いかけたところで(自分も相手も)しあわせになれない

1だとしたら「さようなら」を言えて「よかった」とわざわざ言わない気がする。2だとしてもちゃんと始まってもない関係にあえて「さようなら」を粒だてない。

そう考えると、3がいちばん濃厚だ。

***

1987年にダニエル・ウェグナー(ハーバード大学教授)が提唱したシロクマ実験(皮肉過程理論)をご存じだろうか?

人間の脳は、否定形を理解できない。

皮肉過程理論(英:Ironic process theory)は、1987年にダニエル・ウェグナー(Daniel Merton Wegner)が提唱した、「何かを考えないように努力すればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなる」という現象を説明する理論である。

引用:ウィキペディア「皮肉過程理論」

作中主体のように「来世では出会わない気がする」と思ったことがあるか考えようとしたが、なかなか出てこない。

考えれば考えるほど、逆に「来世でも出会う気がする」と思った人が浮かんでしまう。

それは、数年前に亡くなった父だ。

父の死は突然だった。

かけつけた時はもう亡くなっていた。

だから生きているうちに(死ぬ直前に)、「さようなら」は言えなかった。

でも、不思議と焦らなかったし後悔もなかった。

ただ、「ありがとう」と「またね」しかなかった。

不思議なくらいあたりまえに、わたしは来世でまた父と出会うと思っている。

理由は自分でもよくわからないが、今でもずっと。

だからこそ、作中主体がもう出会わない気がしてる相手は家族ではないと思う。

やっぱり、恋人説が濃厚だ。


まとめ:好きな理由・気になった点


・解釈が分かれそうな「来世では、もう出会わない気がしてる」の意味
・意外と言えないことが多い「さようなら」への発見と共感


とても好きな短歌のひとつです。

ごちそうさまでした。

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石井しい
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