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髪120cm分の思い出と突然の別れ

先日、10年以上お世話になっている美容師のMさんに突然「3月いっぱいで辞めることになりました」と告げられた。

Mさんとの出会いは、高校卒業を間近に控えた年明け。
雪の降りしきるなか、Mさんは駅前で美容室のチラシを配っていた。いつもならチラシなど受け取らないのだが、このときは快く受け取った。それまで1000円カットで済ませていた高校生が「オシャレ」に興味を持つようになり、ちょうど美容室を探していたタイミングだったのだ。

「探していた」と言っても、友人に相談したり、美容室に片っ端から電話していたわけではない。当時から内向的でめんどくさがりな性格だったので、特に自分から動くわけでもなく「美容室の方から来てくれないかな」と、自分勝手でわけのわからない思いでいた。

そんなとき受け取った美容室のチラシ。
「本当に美容室の方から来た!これは千載一遇のチャンスだ!」と思い、すぐにチラシに書かれている番号に電話…できればよかったのだが、当時電話がとてつもなく苦手だった。

電話が繋がったところでなんて言えばいいのだろう?
なにを聞かれるのだろう?
名前を言えばいいのか?
まずはこんにちは?

そのようなことを延々と悩んでいた。
一週間くらいだろうか。チラシを見ながら電話番号を打っては消し、打っては消しを繰り返していた。今思い返すと小さすぎる悩みだが、そのときの自分には大きすぎる壁だった。純粋だった。

緊張しすぎていたのか、電話でなにを話したのか、なにを聞かれたのか今では全く覚えていないが、初めて美容室を訪れたとき店先で出迎えてくれたMさんの優しい笑顔ははっきりと覚えている。

それがMさんとの出会いであり、わたしの美容室デビューだった。


それから約10年、髪を切るときは必ずMさんのいる美容室に通った。
最初こそ緊張したものの、いつの間にか2ヶ月に1度、美容室に行くが楽しみになっていた。お互いの恋人のこと、おいしかったお店や旅行先であったことなど、なんでも話した。10年もの年月で、お互い結婚したり引っ越したり、数え切れないほどたくさんのことを共有してきた。
Mさんの何気ない心遣いが「心地いい」ということばでは表現できないくらい心地よかった。


そして先日、突然告げられた。
いつものようにカットを終え、いつものようにセットしてもらいながら、いつものように他愛もない話に花を咲かせていると、「3月いっぱいで辞めることになりました」と。

あまりに突然の告白に、気の利いたことも言えずただただ固まっていると、「家業を継ぐことになって、どうしても美容師は諦めなければいけない」と続けた。祖父が亡くなり、どうしても自分が継がなければいけないのだという。
「もっと早く言えばよかったんだけど、先に言っちゃうと手が震えて施術できなくなっちゃうから…」と言いながらセットする手は少しだけ震えていた。

長年通ううちに「カット」か「パーマ」かを伝えるくらいの曖昧な注文をするようになったのだが、すっかり意図を汲んでくれるようになっていた。毎回思い通り、いや想像以上の髪型にしてくれた。特にパーマがいちばんのお気に入りだった。

行ったらお互いの近況を報告し合い、ほぼ「おまかせ」で切ってもらい、いつの間にか施術が終わる。
当たり前に思っていた。辞めることを伝えられて、はじめてこれは当たり前のことではなかったんだと思い知った。

チラシを配っていた当時、Mさんは美容師になりたてで、ほぼ初めて自分についたお客さんだったことも打ち明けてくれた。

あのときMさんに出会っていなければ、チラシを受け取っていなければ、勇気を出して電話していなければ、今も1000円カットに通っていたかもしれない。髪に限らず、オシャレとは無縁の生活をしていたかもしれない。ハードなパーマや、派手なカラーにも挑戦していなかったかもしれない。
Mさんには、長い年月のなかで数え切れないほどたくさんのことを教わった。


3月までにあと1回は行けるだろうか。
ここ数年は年齢を言い訳にカットのみだったが、最後はもう一度お気に入りのパーマをかけてもらおうかな。あと、なにかちょっとしたプレゼントでも買っていこうと思う。

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ヤサグレフクロウ
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