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アボカドのサラダ作ってあげることもうないだろうレシピ聞かれる|俵万智【一首評】

数ある好きな短歌から、今日はこちらの短歌をいただきます。

アボカドのサラダ作ってあげることもうないだろうレシピ聞かれる

引用:俵万智「アボカドの種」|角川文化振興財団(2023)

ほかの短歌鑑賞(一首評)は、こちらからどうぞ。


STEP1:ひとくち食べた印象やイメージ


この歌は、人気歌人のひとりである俵万智さんの第7歌集『アボカドの種』に収められている。

俵さんは自分の目に見えるものをそのまま素直に描くタイプの歌人だ。

わかりにくい暗喩やファンタジーな文脈は少なく、目に見える情景やその時のリアルな感情が活き活きと描かれる。

特にこの歌はその点がとても俵さんっぽいような気がして、目に留まった。

なにも『アボカドの種』というタイトルの歌集に収められた『アボカドの歌』だからというわけではない。

むしろこの歌を詠んだ時、最初に脳の中に出てきたのは「魚」だった。

***

有名な老子の格言にこんな言葉がある。

授人以魚 不如授人以漁
(飢えたものには魚を与えるのではなく釣り方を教えろ)

ほんとうに相手のことを考えるなら、ほしいと言われたそのモノよりも、そのモノを手に入れる方法を教えるべきだ。

それが、世間のセオリー。…でも、本当にそうだろうか。

わたしなら、その相手に対し特別な感情がない場合(別にこれから先会いたい人ではない)にしか教えない。

もしその相手のことがとても好きで、これから先もずっと会う口実が欲しい場合、決してそのモノを手に入れる方法を教えちゃいけない。

その方法を相手が習得してしまったら、相手にとってこちらは用済みだ。

「方法(レシピ)を聞かれること」=「別れ」

今主体は、別れの前のほんの一瞬の隙間に立たされている。


STEP2:食べ続けて見えた情景や発見


果たしてレシピを聞かれたメニューは、ほんとうに「アボカドのサラダ」だったのか。

現代短歌の先駆け的存在である俵さんの第1歌集『サラダ記念日』に収録されている代表作をみてみよう。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

第1歌集『サラダ記念日』

俵さんは後日、本当に「この味がいいね」と言われたのはサラダではなく「鶏の唐揚げ」だったと述べている。

鶏の唐揚げでは重すぎると感じた俵さんは、もっとさわやかな記念日にふさわしいサブおかずである「サラダ」を採用した。

であれば、今回はどうだろう。

「実はアボカドのサラダではなかった」という話になっても、なんら不思議はない。

だって、俵さんには唐揚げをサラダに変えた過去があるのだから。

***

数ある家庭料理のおかずの中で、いちばんシンプルなモノが「サラダ」だ。

こう言っちゃなんだけど、一度食べれば、見よう見まねで近いものは作れる。

・コールスローサラダ(キャベツのみじん切りサラダ)
・シーザーサラダ(レタスとチーズのサラダ)
・ポテトサラダ(じゃがいものサラダ)
など

このあたりのよくあるサラダなら、レシピなんかいらない。一度食べたらなんとなく作れてしまう。

でもこの短歌に出てくるサラダは、コールスローサラダでもなければ、ポテトサラダでもない。

「アボカドのサラダ」だと言う点が、すごい。

「アボカドのサラダ」は、想像する人によって少しずつ見た目が異なる。生のままを想像する人もいれば、焼いているものを想像する人もいるだろう。

形だって単純ではない。さいころ状やペースト状、薄切りを想像する人もいるかもしれない。

誰でも作れる昭和から流れついたみやげ物的なサラダではない。だから、「アボカドのサラダ」でないと、この短歌は成立しないのだ。

もしかしたら、いや、ひょっとすると、このサラダ…本当は違うサラダだったのかな…なんて、わたしは少し疑っている。(あまりにキレイなので)

***

アボカドはメキシコが原産のフルーツで「森のバター」と呼ばれるほどに栄養価が高い。

2014年ごろに健康ブームとともに一気に人気食材の仲間入りを果たした。

アボカドはそのままお醤油につけて食べるのはもちろん、サラダやグラタン、和え物などにして食べられるが、実はその作り方は人によって大きく異なる。

アボカドはただ切るだけだとすぐに茶色く変色し、決しておいしそうには見えない。

おいしい「アボカドのサラダ」を作るためには、コツがいる。

…ということは、ただのサラダではない。サラダではあっても「レシピにする意味があるサラダ」なのだ。

かといってこれが「ハンバーグ」だったり、「グラタン」だったり、「餃子」だったりしたらどうだろう?

レシピを1回渡しただけで「作ってあげることもうないだろう」とはならない。

例えば最愛の息子に「ハンバーグ」や「グラタン」や「餃子」のレシピを教えたとしても、めんどくさがりの息子がその通りに作るとは限らない。

最愛の息子がもし「母さんのハンバーグが食べたい」と言えば、迷うことなく作ってあげるだろう。

一方、アボカドのサラダの場合、コツがいるとはいえ、切って焼くぐらいなら食べたけりゃ自分でやると思う。

そう考えると、意外や意外、レシピを聞かれて決別宣言をする食べ物=「アボカドのサラダ」しかありえないのだ。

主体は息子にアボカドのレシピを聞かれた時、息子が大人になっていくことを感じた。

この短歌には、そんな寂しさと、すこしのうれしさと、親子の愛情が、ぎゅぎゅぎゅっと詰まっている。

まとめ:好きな理由・気になった点


・「ハンバーグ」や「ポテトサラダ」ではなく「アボカドのサラダ」とした絶妙な表現
・「レシピ聞かれる」ことでポジティブな「成長」やネガティブな「別れ」の両方を一度に想像させられる感覚
・わかりやすい「寂しさ」などの単語は一切入っていないのに「作ってあげることもうないだろう」から漂う寂しさ(感情)


とても好きな短歌のひとつです。

ごちそうさまでした。

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石井しい
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