鬱な発達障害者の独白。20歳までに死にたかった。
○○くんへ。
私は、自分のやりたいことを見付けて迷わずに進めている君が羨ましい。本気で生きられているのが羨ましい。
私とは全然違いすぎるし、そんな君だから憧れたんだとは思うけど、遠くに感じてしまいます。
私はいつも、自分を繕うことばかり考えている気がする。人に認めてもらうこと、見てもらうことばかりに気を取られて、自分の人生を生きることができません。
私ほどつまらない人間なんてあまりいないような気がします。
いくつかのものを提示されて、「どれがいい?」と聞かれても、答えられません。自分が何を好きなのか、本当に分からないのです。「あなたは何がしたいの?」と聞かれても答えられません。自分のしたいことが思い浮かばないのです。
自分の意見として言ったことがあっても、本当にそれが私自身の思っていることなのか、実の所よく分かりません。そんな自分を情けなく、悲しく思います。
きっと人はみんな呆れるだろうし、中身のない、退屈な人間と思うだろうし、それを取り繕うとするけど、すぐボロが出てしまうでしょう。
ずっと誰かの指示にばかり従ってきたし、もう自分でものを判断する力が、何かを選びとる力がないように思います。
私が何かをやっても無駄なんじゃないかとすぐ思ってしまうし、私の決断や思考はみんなおかしくて間違っているんじゃないか、といつも不安になります。
こうして文章を書いているのも本当は怖いのです。だけど誰かに分かってもらいたい、助けてもらいたいという気持ちをなくすことができません。
ずっと自分がゴミのように感じられます。
私は子供の頃からずっと、自分は死んだ方がいいようなろくでもない存在なんだと思っていました。
当時どうにかして死にたくて、でも子供だから死ぬ方法はよく分からなかったし、怖かったのもあって、神様に私を殺してくれるようお願いしたり、頑張って自分に呪いをかけて早死にしよう、成人する前に、20歳になる前に絶対死のうだなんて思っていたけど、結局こうして生き延びてしまいました。
もちろん、そのおかげで君と出会えたのもあるでしょう。けれど、自分の存在を相変わらず、ちっともいいと思えません。何の価値もなく思えます。自分以外の人はみんな優れて見えて、自分があまりにも劣っていて、何もできなくて、苦しくなります。
毎日何をしたらいいか分からないし、何をやってもすぐつまらなくなるし、全て無意味で、興味が持てなくて、虚しく感じてしまいます。
何のために生きるのかよく分からないし、意味がないならやめちゃってもいいんじゃないかとか思ってしまいます。ただ、そんな勇気もないので無駄に今も生き続けています。
何かをやらなきゃ、状況を変えなきゃという気持ちはあっても、どうしたらいいか分かりません。家ではぼんやりしてばかりいるし、何も頑張ることができません。そもそも何を頑張ったらいいのか分かりません。やる気が湧かないし、ただ退屈です。
努力を何より尊ぶ君は、きっとこんな怠惰な私に呆れるだろうし、興味をなくしてしまうかもしれません。
だからこそ、自分の性格を取り繕って、君と私が似た者同士であるかのように振る舞うこともありました。どうしても離れていかれるのが怖かった。というか、自然とそうなってしまうところもあります。私、自分がないから。自分が何を考えているのか、何を感じているのかよく分からないから。
関わった人のいろんな特徴、思考を勝手に自動収集してしまう。そんな寄せ集めが私。まるで、ツギハギだらけのいびつな人形みたいです。
本来、私と君では水と油のようだと感じています。 私は私が嫌いだから、真逆の君に憧れたのでしょう。
でも、それでも君を諦めることができないのは、エゴなのかもね。
君はネガティブな話なんて聞きたくもないだろうし、ただ聞き流すかもしれない。またバカなことを言っている、と思うかもしれない。どうしょうもない奴だって嫌いになるかもしれない。
それでも、ここまで読んでくれてありがとう。
またお便りします。
私より。
今回は空想の存在への手紙形式で書きました。その方が書きやすいと思ったからです。