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なんでもないありふれたできごとなどを、どこにでもいる一般人のことばで鼻歌を歌うように綴ります。
ひとりの父親が6歳の娘からの質問に答えようとしたことの記録。答えようとして考えたことや、たどり着いた答えから見える景色について書いています。
昨晩よく眠れなくて、今晩は寝る前にちょっとマンガアプリを、と思ってもすぐまぶたが落ちそうになる。なのにいざそのまま眠気にまかせようとすると、なかなか寝つけない。 なんでやねん。 もっかい眠気こい、と布団のかたまりを抱き寄せてみると、駅前のタクシーばりに割と簡単に眠気がやってくる。なのにさあいざ深い眠りへと思った途端、ぺちゃぺちゃの浅い眠りにしか入らなくて、もはや夢かただの考え事か区別のつかない夢しか見られず。 朦朧としたまま布団の上で転がっていると、足の裏がなんとなく
くそー、あいつめ。 と、ときどき思ってしまうような人がぼくにもいる。その人に対して常は冷静なつもりだが、あるきっかけでその穏やかそうな水面がふっと怒りの沸点に達しそうなことがある。あるいは自分の中に燠のようなものを抱えていて、それが炎をあげそうになる手前でいつも抑えている。ぼくはなんとも煮えきらない生焼けの男である。 「若い頃は瞬間湯沸かし器と呼ばれた」ことを武勲のように話す老人を何人か見たことがあるが、どの人ももはや壊れた湯沸かし器でしかなかった。その人が怒っている場面
長女がアレクサにかけてもらいたい曲があるのに、なかなか思った曲をかけてくれず、迷曲ばかり流れるので、見かねた妻がキッチンカウンターの向こうから、 「アレクサ、つぅいとうをかけて」 と言った。 「?」 ぼくはノートPCを開いて仕事をしていたが、思わず顔をあげて、右手はマウスを脱マウス。すると、 「Amazonミュージックで、つばめを再生します」 とアレクサ。 これぞ娘が求めていた曲! だが、なぜわかったアレクサ! そして妻はなんと言った? 水筒? 追悼? 妻は自分で言っ
どうも、おれは世の中に不平不満ばかり持っているのかと自問自答中の非生産的なクリエイターです。 さて、みなさんそうかもしれませんが、乗り物に乗るとつい広告に目がいきます。 きょう子どもを膝に抱きながら地下鉄に乗っていて(水族館帰りでたいがい疲れていた)、ふと前を見ると、「レトロ婚フェス」を謳った広告が目に入りました。最近何かとレトロなものが尊ばれているようですが、ついに冠婚葬祭業界にもレトロが、と思いました。「レトルト」ではないですよ、「レトロ」です。 最初はちょっと「
noteやInstagramを地味にやっていると、ときどきこの人はなんで自分の投稿に「いいね」してくれたんだろうと思うことがある。 先日、noteでまあまあ字数のある記事を投稿したら1秒くらいで「いいね」してくれた人がいて。そういうことがあるとぼくの場合、読んでないのに「いいね」したよね、と思ってしまう。好意的に、手が滑って「いいね」したんだね、と思う人もいるかもしれない。 それでも、やはり記事を読んで「いい」と思ったから「いいね」したんだ、と考えるならどのような可能性
毎日、ズボンのお尻側の左のポケットにスマホを入れている。それはスマホ以前の携帯電話時代から変わらない。なぜ左かといえば、携帯電話をはじめて持った大学2年の頃には既にお尻側右ポケットには財布が入っていたからである。右側ポケットに財布が入っていたのは、自分が右利きだからにちがいない。 ズボンの前側ポケットには、部屋の鍵や小銭やレシートは入れても携帯電話を入れたことはない。前側ポケットは腰掛けるときに空間が狭まるので、かさばるものを入れるのには向かないとぼくは思う。ときどき、折
はじめに断っておくけれど、今回は娘からの質問に関してググりもしなければ、図書館へ出かけることもしなかった。暖かい午後、娘とふたりでスーパーへ歩きながら、勝手に解決してしまった話である。 「ぐらしってなに?」 と、娘。 「ぐらし、ってなによ」 「あのーすみっこぐらしのぐらしですけど」 「あー、ぐらし、ね」 文学部に入学して、言語学の授業で最初に聴いたのは、日本語の連濁現象について、だった。 記憶を頼りに綴るので、不正確かもしれないが、2つの語がくっついて複合語を成すとき、
保育園へ行く支度をしながら、娘がアレクサに、 「アレクサ、きょうのてんきをおしえて」 と尋ねた。 最近、娘は室内遊びのほうが好きらしい。晴れていると全員外で遊ぶことになるが、雨だと、部屋で絵本を読むことができる。そっちのほうが好きだと。 ちなみにパパは晴れた日に室内で本を読むのが好きである。 アレクサは娘にこう答えた。 「〇〇どおりのげんざいのてんきは、かいせいで、きおんは せっし ごど、きょうのよほうは、くもがおおいみこみです。」 かわいそう! 新聞の4コマ漫画
髭を剃るのに使うのは、これまでずっと安全カミソリである。安全でない剃刀は、理髪店で使われている類のカミソリであり、他にカミソリといえば電動カミソリであり、という認識だが、合っているのだろうか。きっと事実はそうでないのだろう。調べてみないといけない。 安全カミソリにこだわって使っているわけではない。ただ惰性でずっと使っている。ブラウンの電動カミソリがとてもいいと同僚に勧められて、そのときは購入を検討しようかとなるのだけれど、家に帰ってヒゲを剃る必要がなくなると、それを妻に話
ヤフーオークションもメルカリも、その草創期を知らないとはいえ、自分が使い始めた頃にはすでに「神経質な方」は存在していた。 実際に関わったことはない。 ただ商品説明に「神経質な方の入札はご遠慮ください」「神経質な方のご購入はお控えください」とあるのは使い始めた頃から頻繁に見てきた。正直に言うと、自分もメルカリで出品する際には必ず「神経質な方のご購入はご遠慮ください」、と記載する。出品するのが新品でも、ほぼ未使用でも、中古でも、そしてたとえジャンク品でも、必ず記載する。
娘が食事のあと、 「にわとりはなにたべるん?」 と聞くので、 「え、ニワトリのエサちゃうん」 と答えたら、 「それなに?」 となって。 なんで知りたいのかというと、Minecraftでニワトリをいっぱいスポーンさせて、部屋に入れて、ごはんをあげたいのだが、何をあげていいかわからないと。ついでに、 「うしさんはなにたべる?」 とも聞かれた。牛もたくさんスポーンさせるらしい。 こちらからすると「スポーンってなに?」だが、どうやら「生まれさせる」的なことらしい。とにかく、それ
3歳の息子が今夜寝る前さいごに放ったことばは、 「こ! た!」 だった。息子はダウン症で、言語面の発育もゆっくりである。 『ハイキュー』のTVアニメを毎晩家族で熱心に観ており、きょうは「ゴミ捨て場の戦い」がついに再現した回だったのだ。かつてライバル同士だった仙台の烏野高校と東京の音駒(ねこま)高校の練習試合。カラスとネコの試合だから、ゴミ捨て場の戦い。そして画面に大きく猫とカラスの威嚇しあう姿!! 「こ! た!」 (ねこ! いた!) なぜか語尾しか発音しない息子。ここぞと
娘が夕食中に眉間に皺を寄せた。 「くじらのあかちゃんはいちにちにどれだけミルクをのむかわからない!」 「えっ、ハッピーセットでもらった図鑑に書いてない?」 「ちがうの!」 「じゃあサンタさんにもらった魚のクイズの本じゃない?」 「ちがうよ、ほいくえんでほんをよんだけど、わすれたの!」 時間も時間だし、いまから保育園に本を見に行くわけにも行くまい。もうぼくは食べ終わっていて洗い物をしている最中だし。仕方ない。 「アレクサ、くじらの赤ちゃんはどのくらいミルクを飲むの?」 答え
娘が、朝ごはんを食べながら言った。 「おだいりさまのてにもってるのってなんなん」 わからない。知らない。茶碗にごはんをついでいて話しかけられ、振り向いたとき片手に持たれたままのしゃもじのように、みんなで首をかしげた。 「お内裏様 手に持っているもの」でググってみる。子どもの疑問は新たな世界への一歩だ。 「伝統の木目込み雛人形 真多呂人形」のサイトによると、お内裏様の手に持っているものは「笏(しゃく・こつ)」というもので、男性が威儀を正すために持つものとのことだ。雛人形の表
娘がすみっこぐらしのバスボールを手に、 「わー、これホワイトマスクのかおりやってー!」 と言うので、ホワイトマスク? 白マスク? いやいや、ホワイトマスクメロン? そんなメロンある? と考えていると、マスクの内側の自分の唾液の匂いがするような気がした。 「ホワイトモスク」の読み違いでは? 香を炊きしめたモスクの香りでは?(※モスクを訪れたことはない)と思ったので、娘に、 「ちょっと見せて」 と、バスボールを手に取った。すると、 「ホワイトムスクの香り」 と書いてあった。ホワ
ごめユニコーン ごめユニコーン 貴、婦人でごめユニコーン Eテレ?で『びじゅチューン』という番組があって、会社の人にDVDを借りて観たら、割とツボに入ってしまった。忙しい毎日を送っているので、そうそう観ないけれど、そこで流れる歌と映像は子どもが家の中に勝手に貼るシールくらい脳内にこびりつく。 「地元が快楽の園」とか、 「真珠の耳飾りのくノ一」とか、 さっきの「ごめユニコーン」とか。 明日は休み。なぜか「ごめユニコーン」が脳内リピートされていた夕食後、妻が子どもた