おだいりさまのてにもってるのはなに?《疑問ググログ》
娘が、朝ごはんを食べながら言った。
「おだいりさまのてにもってるのってなんなん」
わからない。知らない。茶碗にごはんをついでいて話しかけられ、振り向いたとき片手に持たれたままのしゃもじのように、みんなで首をかしげた。
「お内裏様 手に持っているもの」でググってみる。子どもの疑問は新たな世界への一歩だ。
「伝統の木目込み雛人形 真多呂人形」のサイトによると、お内裏様の手に持っているものは「笏(しゃく・こつ)」というもので、男性が威儀を正すために持つものとのことだ。雛人形の表す場面は婚礼の儀だそうだが、笏には式次第などが記載されることもあったそうだ。カンニングペーパーのようなものと説明しているサイトもあった。
だが、もとからカンニングペーパー用途ではなかっただろうとぼくは思う。なんというか、自分の感覚では何も持っていない手というものは、無防備でやり場に困るものだ。ボールペンも持たず、ポケットに手を入れることもなく、もう片方の肘をつかんだり、組み合わせるでもない手を想像してほしい。座ってひざの上に揃えるとか、直立して腿の両側に沿わせるとか、そういうときの心情としてはまず「緊張」が思い浮かぶ。
威儀を正す以前に、人の前で何かを手に持っている安心感というものはあると思う。何も持っていなければ、TEDの登壇者のように表情豊かなジェスチャーを駆使することだ。
そういえば源頼朝の有名な肖像画を思い浮かべると、彼の手にも笏がある。カンニングペーパーと言われると間抜けだが、「抽象化された剣のようなもの」と思うと威厳がある。
雛人形の婚礼に比べると、現代の結婚式の新郎新婦は、正装こそしているものの、威儀を正すというよりはどちらかというとサービス提供側の礼儀正しさで、もし普段から人に頭を下げる立場なら、晴れの日も基本は変わっていない。自分の結婚式は緊張して食事も喉を通らなかったが、どうせ緊張するならかしこまって笏を持ってみたかった、と今更ながら思ったりする。あの日ほど、まさか自分たちが主役になって、こんなにもちやほやされるとは、と思ったことはなかったけれど。
銀婚式にはぼくは笏を、妻は檜扇を手に、上座に座り、二人の子どもに改まった祝のことばを述べさせてみたいものだ。娘よ、「おだいりさまのてにもってるのはなに」と、よくぞ聞いてくれた。父が威儀を正す姿をそのうち目にすることになるから、待っておるのだぞ。威張るのはその日だけにするから。