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最近 #生きるとか死ぬとか

10月29日(火)
相変わらず寝れない夜だった。
バタバタと動いてるわけでもないのに、くしゃみが出たり、鼻水もズルズル。

今日もおはようの下痢!
それ以外体調は平気だったから、9時過ぎにゴミ出しのついでに買い物に行った。
涼しくて気持ちが良かったから、運動不足解消と気晴らしに歩いて行った。

朝ごはんのおにぎりも買って寄り道して外で食べた。

近くで保育園の子たちが遊んでいて可愛かった。
1人が泣きだすと連鎖してあっちもこっちも泣き出して、先生たちが帰ろう!帰ろう!と大変そうだった。

私も帰ろう、と思って微笑ましく思いながら横を通ったら先生と目があって、やれやれ〜って感じの顔で笑ってくれたので、私も笑って返した。

動いた後の気持ち悪さみたいなのもなくなった。
体が動くとなると、気持ち的に休んでばかりはいられないモードになってくる。

今の派遣の退職の手続きの書類もひとまず目を通して、11月から面接を入れれるように、求人を眺め始めた。

救急で病院に行ったときに、看護助手の仕事、仕事としては好きだったなぁと思い出してた。それに、病院の動きだったり、頻繁に使われる医療用語や薬剤の名前が、いざ自分が患者として病院に行き耳に入ってきた時に理解できるって気持ちが楽。すごく働きながら勉強になってたな、と感じた。また戻ってもいいなって思える仕事だけど、今戻るかって言われたらなんかそんな気分ではないというか。

引き続きCADオペ関連の求人も眺めるけど、前回就活していた数ヶ月前とあまり状況は変わらないな。
派遣系は結局、釣りのような、転居求められそうな求人だったり...面接の日程を決める際にちなみに転居は可能ですかということを聞かれて、不可にしたらその時点で期待に添えないと面接がなくなったりする。

今回の就職-退職でも改めて身をもって感じだけど、職場環境は蓋あけないと分からない。もうここまできたら、この調子であけまくっていこうくらいの気持ちでやっていくしかないと思っている。プライベートと心身を大切にできる場所で、無理なく働く。労働に求めるもの、目指す先はそこだけ。

何度も人生詰みすぎて今も詰んでいるけど本当にあっけらかんとしてる。あっけらかんと、死に損ねたなぁ!とも思っている。

このアカウントを始めたばかりくらいの頃だったと思うけど、
おすすめか何かに出てきたとかだったか、理由は忘れたけど全く知らない人の記事に飛んで、その人のフォロー欄に偶然にも知っている子がいた。写真も本人だったからすぐに分かった。

「世間狭!!!!怖!!!!」と驚きながら、勿論その子のアカウントにも飛んでみた。

その子との接点があったのは1年そこらだったと思う。まともに話した事もなかったけれど、ただしっかりした子な印象があった。noteを知るまで知らなかったけれど、両親が離婚していて引き取られた母との関係に問題があって躁鬱を繰り返しているようなことが書かれていた。職を転々としていたようで、住む場所も転々としているようだった。私は変なんだとよく書かれていた。抱えるものは違うけれど、生きづらさを感じている部分にはすごく共感するところがあった。

自分で言うのもなんだけれど、転職が多くても、仕事ができなくて辞めたということはない。何なら、仕事ぶりに関しては褒められる。今回辞める仕事も、業務自体は好きだったけれど、それ以外の問題で辞める事になった。それはそれで、毎回悔しい気持ちにもなる。

どの仕事も向いていないというより、どの職場環境もしんどい、どこに行ってもしんどい。そして、真面目に働いていたのに、唐突に限界が来て辞めてしまう。
彼女日記を読んでいて、彼女もこのタイプなんだろうと思った。仕事ができなくて困ってるわけじゃないし、それが理由で辞めるわけじゃない。

新卒の会社も島の会社も今回の会社も、こんな経験するか?ってくらいヤバい人がいる会社だった。
新卒の時通っていた病院の先生にも、今の病院の先生にも、私がおかしいわけじゃなくて、環境が環境だから辞めて休んだ方がいいって言われた。冷静になれば自分でもそうだって分かるのに、私がおかしいのかもとか、環境がおかしいにしてもこんなハズレ中のハズレを引く自分もきっとおかしいみたいな考えになってきたりもする。それを耐えることができる人がいる以上、耐えれないこちら側の人間はおかしい。そう考えれば考えるほど、自分にも問題があるのだ、と思う。

元気な時はこんな経験も全部ネタにして生きているけど、そうポジティブじゃいられないときもある。私のポジティブはネガティヴの上に立っている。

彼女の最後を仄めかす投稿から、もう2週間ほど経つ。それ以降、更新はない。命を経ってしまったかもしれないし、生きているかもしれない、分からない。
沢山の眠剤でも寝れていないみたいだった。精神的に参っている状態で寝れないことが続く時の絶望感や判断が悪い方に狂う思考の恐ろしさ、近い経験をしているので想像がつく。
現に、体調が優れないことで、どんどん気が滅入ることを痛感したばかり。

毎日、彼女が生きているだろうかと考える。
さっきも書いた通り、アナフィラキシーで"死ぬのは苦しい"を体感したけど、「死に損ねたなぁ〜」ってちょっと思ったりする。
死にそう、怖い、苦しい、死ぬところだった、恐ろしかった、苦しかった、は思っても、死にたくない!とか、死ななくて良かった!とは一度も思わなかった。
今死んで惜しいと言えば、家族のこととこの世の音楽が聴けなくなること、これは別に悲観してるわけでもなく本当にそのくらいだなって思ってる、何年も前から。悲しいことでも寂しいことでもないし、なんならそれしか悔いがないって幸せじゃない??

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