名作/迷作アニメを虚心坦懐に見る 第4回:『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』
はじめに
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年)は、『機動戦士ガンダム』(1979~1980年)・『機動戦士Zガンダム』(1985~1986年)・『機動戦士ガンダムZZ』(1986~1987年)の3作に続いて劇場公開され、アムロとシャアの物語としてのガンダム・サーガに一区切りをつけた伝説的なアニメ映画だ。しかし、私が虚心坦懐に見たかぎり、『逆シャア』は作中のクェスよろしく、「私、みんな知っていたな」という調子で既視感に溢れた作品だった。何となれば、『逆シャア』は『Z』(及びその続編である『ZZ』)と同じ主題を反復しており、新味に欠けたからだ(詳しくは後述する)。もちろん、モビルスーツ及び戦闘シーンの割合気合の入った作画やそれを盛り上げる重厚な音響など、『逆シャア』に見どころがないわけではない。だが、『逆シャア』が富野由悠季の最高傑作であるかのような評価に対して、私は首肯しがたい。『逆シャア』に対する世評は過大評価気味に思えてならないのだ。
アニメスタイル編集長の小黒祐一郎は、コラム「アニメ様365日」のなかで、第455回から第471回まで全17回、合計4万文字超を費やして『逆シャア』に対する思いの丈を打ち明けている。この異例とも言える熱量とは対照的に、小黒は『Z』に対して「僕はこの作品を肯定できない」(第241回)、あるいは「僕にとっては『逆襲のシャア』が完成形であり、『Zガンダム』は作り切れていない作品だ。『逆襲のシャア』の後に『Zガンダム』を再見して、それがよく分かった」(第243回)という否定的な評価を下している。しかし、単純に論理だけで考えれば、『Z』を肯定できないなら、同じ主題を反復している『逆シャア』に対しても拒絶反応が出て不思議ではない。小黒の評価を分けるものは何なのだろうか。
これは仮説にすぎないが、『Z』がとっちらかった失敗作、あるいは『逆シャア』に向けての助走にとどまるように見えるのは、アムロとシャア以外のキャラクターでは役不足だと無意識に考えているからではないだろうか。そうだとすれば、ガンダム・サーガとはアムロとシャアの物語なのだという固定観念をいったん取り払ってみる必要がある。『逆シャア』を『ファースト』の完結編としてではなく虚心坦懐に見たとき、見えてくるのは『Z』の主題の執拗な反復である。これを発展的継承と呼びうるか否かは、具体的な検討を要する。
『逆シャア』に新味はあるか
アニメ評論家の藤津亮太は、『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社、2003年)に収録された「アムロとシャア――名付けることをめぐる九年の夢想」という評論文のなかで、村上春樹の飛躍と『逆シャア』の達成をあえてパラレルに書いている。藤津は「もちろん村上春樹と『ガンダム』の間にはなんの関係も、ない」ことを前置きしつつ(同書94頁)、『ファースト』から『逆シャア』までおよそ9年をかけて一区切りを迎えたアムロとシャアの物語を、村上春樹の『風の歌を聴け』(1979年)から『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)までの展開に重ね合わせる。藤津は評論家の畑中佳樹による村上春樹論を引用して、「村上春樹の世界は……普通名詞の世界から固有名詞の世界へのリハビリである」と述べたうえで(同書95頁)、「普通名詞の世界」と「固有名詞の世界」の対抗を『逆シャア』の分析に転用する。この転用によって、『逆シャア』は「固有名詞の世界」に到達したアムロと「普通名詞の世界」にとどまるために汲々とするシャアの争いとして読み解かれる。
このように述べて、藤津は『逆シャア』を「苦い映画」(同書103頁)と評する。なお、小黒も前述のコラム「アニメ様365日」において、「アムロとシャアが、クェスの父親代わりができるほどには人間として成熟しなかったのも、若い男性が大人になれていない事の反映ではないか。2人が10数年前に出逢った少女に固執し続けるのも、僕達がいい年をしてアニメに固執し続けている事の比喩かもしれない」と言いつつ、『逆シャア』に「苦い」という形容詞を与えている(第471回)。
以上のような整理に、私も異存はない。しかし、『逆シャア』の劇場公開から3年後に刊行されたムックにおける次の記述は、『逆シャア』のまとう既視感をうまく伝えているように思われる。
富野自身が明らかにしているように、『Z』の企画書段階のサブタイトルは「逆襲のシャア」であったが(同書121頁)、マーチャンダイジング的な理由から『Z』の続編の製作が決定されたことで、シャアの反乱は先延ばしとなった。『Z』の続編の企画書からは、シャアがハマーン側に寝返ってアーガマに攻撃を仕掛けてくること、シャアが最終的にはハマーンを自らの手で討つこと、シャアがニュータイプとしてジュドーほどの覚醒は果たせないことが窺われるが(同書124-125頁)、実際に放送された『ZZ』にシャアが登場することはなかった。結局、富野の構想が『逆シャア』に結実するまでに、『Z』の放送開始から3年を要したわけだが、その過程でファンが愛してやまない『逆シャア』のエッセンスは『Z』及び『ZZ』に溶け込んでいたように思われる。『逆シャア』がまとう既視感の正体を明らかにするためには、今一度『Z』及び『ZZ』へ遡る作業が必要となる。
『逆シャア』がまとう既視感の正体
第一に、『逆シャア』の骨子をなす「アクシズ落とし」は、『Z』及び『ZZ』ですでに見られたアクシズを質量兵器として利用する作戦を反復するものである(『Z』第45話「天から来るもの」、『ZZ』第46話「バイブレーション」)。金平糖のように凸凹状の突起を持つ小惑星アクシズがゼダンの門(旧ア・バオア・クー)を破壊するシーンは『逆シャア』における「アクシズ落とし」に勝るとも劣らないスケール感で描かれている。シャアが口走る「忌まわしい記憶」が何の謂かは議論の余地があるものの、少なくとも「アクシズ落とし」の悪行が過去の作戦に呪縛されていることは確かであり、アクシズ自体が戦争の「忌まわしい記憶」を帯びていると解釈することも不可能ではないだろう。然らば、「アクシズ落とし」のオリジナリティも疑わしいものとなってくる。
第二に、『逆シャア』におけるシャアの表面的な主張は、ダカール演説(『Z』第37話「ダカールの日」)やハマーンの恨み節(『ZZ』第27話「リィナの血(前)」)と重複している。人類があたかも寄生虫のように地球を汚染しているという観点、そのような人類のエゴイズムを許すわけにはいかないという憤り(ないし逆恨み)、そして強きに媚びへつらう「俗物」の連邦上層部に対する嫌悪感は、以下に掲げるとおり、『Z』及び『ZZ』ですでに示されている。
さらに悪いことに、『逆シャア』は地球環境の保護をだしにして、関心事をアムロとシャアの一対一の因縁(俗に言う「関係性」)に縮減してしまっている。シャアの「私はあこぎなことをやっている」という独白、そして敵に塩ならぬサイコフレームを送る所業によって、『Z』及び『ZZ』との表面的な重複は虚しくも際立って見える。ナナイが言うように、「アムロ・レイは、優しさがニュータイプの武器だと勘違いしている男です。女性ならそんな男も許せますが……大佐はそんなアムロを許せない」ということだけが物語の核心なのだとしたら、カミーユからジュドーにいたる2年間のTVシリーズはいったい何だったのか。さすがに「あんまりなんじゃない!?」(澁谷かのん)と言わせてほしい。
第三に、『逆シャア』で描かれる人間模様についても、「歴史は繰り返す」ことを印象づけるための舞台装置に思えてならない。クェスから選ばれないギュネイ。ハサウェイを庇って絶命するクェス。激昂してチェーンを撃ち抜くハサウェイ。こうしたボタンの掛け違いは、すでに『Z』におけるシロッコ・サラ・カツの三角関係において極大化しており、『逆シャア』におけるさらなる錯綜も変奏の一つでしかない。サラは最期の瞬間までシロッコを庇い、結果的にカツはどうしても振り向いてくれないサラを自らの手で撃墜することになってしまう――このシンプルな嫌がらせの強度に、『逆シャア』が到達しているようには私には思えないのだ。
とはいえ、『逆シャア』にも明確に発展的継承と言いうる箇所がないわけではない。ガンダムシリーズの文脈からは外れるが、アストナージとケーラの関係には『超時空要塞マクロス』(1982~1983年)の第18話「パイン・サラダ」を鏡写しにしたような創意工夫が見られる。「パイン・サラダ」では、前線の男と銃後の女というありがちな構図が示される。恋人同士であるフォッカーとクローディアはカフェで次のような会話を繰り広げる。
その後、フォッカーは敵との空戦で被弾してしまい、手負いのままクローディアの部屋までは辿り着くものの、そこでパイン・サラダを食べる約束を果たせずに力尽きる。これに対して、『逆シャア』は「サラダ」というキーワードを使って、男性メカニックと女性パイロットの恋愛を描く。アストナージは「とっておきのサラダ、作っとくからな!」と出撃するケーラを見送る。しかし、ケーラはギュネイに捕らえられて帰らぬ人となり、アストナージは愛した女性の亡骸を前に「サラダを一緒に食べるんじゃなかったのか?」と悲嘆に暮れる。
もちろん、こうした鏡写しですら、「考えてみれば、男の戦場にこんなにまで女性が前に出てくることは異常だ。世界が変わってきている」というカミーユの言葉(『Z』第23話「ムーン・アタック」)を裏付けるものでしかないと言うこともできるだろう。だが、ケーラの後を追うように『Z』以来パイロットたちを支え続けたアストナージが無残な死を迎えたとき、一瞬『逆シャア』が『Z』及び『ZZ』の発展的継承としての終曲に思えたことは否定しがたい(私の『Z』に対する思い入れの強さのなせる業かもしれないが)。そうした意味でも、『逆シャア』は一時代の終わりを告げていた。
『逆シャア』の既視感を超えて
以上述べたように、『逆シャア』は大枠では『Z』と同じ主題を反復しており、新味に欠ける作品だと言わざるをえない。それにもかかわらず、エンドロール直前に突如放り込まれる「そうか、クェスは父親を求めていたのか。それで、それを私は迷惑に感じて、クェスをマシーンにしたんだな」とか、「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ! そのララァを殺したお前に言えたことか!」といったシャアのセリフは強烈な気色悪さを後に残す。本稿を締める前に、苦笑を禁じえないこの気色悪さにも簡単に触れておこう。
評論家の宇野常寛は『母性のディストピア』(集英社、2017年)のなかで(*)、『逆シャア』を「思春期の少年少女たちの物語――青春群像とビルドゥングスロマンとしてのロボットアニメを全否定した物語」と位置づけている(同書194頁)。
宇野は『逆シャア』におけるロボットアニメの物語回路の否定が『Z』に端を発するものであることを正当にも指摘している。この点で、宇野の評論は『逆シャア』に対する(ときに思慮分別のない)絶賛の嵐のなかにあって、雨宿りをする拠点の一つくらいにはなりうる。
とはいえ、宇野も『逆シャア』を凡作と評価しているわけではない。宇野は『Z』と『逆シャア』のあいだにコヒーレンスを認めつつも、「少年たちをその偽史の中に閉じ込めて、やがて呪い殺す『母性のディストピア』」(同書202頁)を本格的に提示したという点に『逆シャア』の達成を見る。
なお、宇野はすでに『ユリイカ』2007年9月号(第39巻第11号、特集「安彦良和」)で、安彦良和と富野由悠季を対比しつつ、『逆シャア』までのガンダム・サーガを念頭に置いて次のように述べていた。ここからは「母性のディストピア」が宇野の年来の主張であったことが窺われる。
ただ、当然宇野も認識しているとおり、「成熟」の問題は富野の後継監督作『機動戦士ガンダムF91』(1991年)や『機動戦士Vガンダム』(1993~1994年)に発展的に継承されているし、振り返れば『伝説巨神イデオン』(1980~1981年)及び『THE IDEON 接触篇/発動篇』(1982年)に萌芽が認められるものでもある(この点について、詳細は別稿に譲らざるをえない)。そうである以上、『逆シャア』に決定的な画期を見出すのはやはり難しいのではないだろうか。『逆シャア』は『Z』が達成した「悲劇」的な否定(この「悲劇」の用法についてはエッセイ企画の第2回を参照)、そして『Z』が見せつけた「女性を『太母』視することから逃れられない男性」像を、再びアムロとシャアを主役に据えて反復した作品と言うほかない。『逆シャア』に対する絶賛のコメントを目にするたびに、私はどうも釈然としない気持ちが残るのだった。
結びに代えて
『逆シャア』には、筋書き以外にも好きになれない点がある。それは、アムロが最後に搭乗するνガンダムがファンネルを搭載している点だ。『ファースト』・『Z』・『ZZ』と順番に視聴してきて思うのは、ファンネルとは敵のボスキャラが使用する「チート」的な飛び道具であり、ファンネルのオールレンジ攻撃をニュータイプ能力で先読みして回避・反撃することに見応えがあるのであって、主人公機もファンネルを搭載して空中戦をやるのは求めてないんだよ……! ということだ。2018年にNHKで実施された「全ガンダム大投票40th」の「モビルスーツ」部門ではνガンダムが堂々の一位を獲得していることに鑑みて、私の感覚がガンダムファンから乖離しているだけかもしれないが。
最後に、余談になるが、『逆シャア』の変な褒められ方も一つ紹介しておきたい。アニメ評論家の氷川竜介は『逆シャア』について、バンダイチャンネルの「見どころ」欄に次のように書いている。「社会に出て体制に衝突し、危機感のない人間に苛立った経験がある人なら、シャアの抱える複雑な思いに共感が持てるだろう」。褒めるにしてもさすがに大袈裟ではないか、視聴者はPEPs(Politically Exposed Persons)ではないのよ……と少し愉快な気持ちになってしまった。ちなみに、私は『逆シャア』のキャラクターのなかではギュネイに親近感を抱く。古典ギリシャ語で「女性」を意味するγυνήを彷彿とさせる名前の強化人間、その「女々しさ」に私は自分を重ねてしまう。
次回更新は2022年9月、主題は『超時空要塞マクロス』を予定している。
参考文献
宇野常寛『母性のディストピア』集英社、2017年。
藤津亮太『「アニメ評論家」宣言』扶桑社、2003年。
テレビマガジン特別編集『機動戦士ガンダム大全集』講談社、1991年。
『ユリイカ』第39巻第11号(2007年9月号、特集「安彦良和」)、青土社、2007年。