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随筆(2021/9/6):ファッションを無から生成するとファッションゴミになりがちだということと、伝統的価値観が価値観ゴミの防波堤であること(中盤)

2.基礎知識無しで山に放つな。基礎知識の話をちゃんと教えろ。そして、教えるということは、思った以上にそうは簡単ではない

2.1.基礎知識なしで山に向かう人を、笑顔で送り出した人は、嬉々として人を遭難させているのと同じ

(おい、中盤ってどういうことだ。前後二編じゃなかったのかよ)

(収まりませんでした)

(テメッコラー! そういうとこやぞホンマよう)

***

さて、ファッション初心者が、何の体系的な基礎知識の話もされず、

「自分のセンスだけでファッションを選べ」

という無責任なアドバイスに従い、ファッションを自分で考えるのは、非常に危険である。

我流ファッションゴミ生成行為としか言えないものになるし、高度な人間性を欠く二等人類として扱われるし(二等人間扱いしてしまう人のいう高度な人間性、何やねん)、次からはファッションに対して数十年続く憎悪を抱き続けるだろう。

という話があります。

***

だから、個人的には、漫画『げんしけん』ファッション回について、実は割と批判的ですね。

あれを実際にやって、我流ファッションゴミ生成行為を行なって、二等人類として扱われて、その後ファッションを長い間憎悪してきた人、たくさんいたはずだ。

(成功した人にとっては「いやいやいや。は?」だろう。だが、それは生存者バイアスというか、成功者バイアスであり、そうでない人のことが見えなくなっているだけだ)

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例えば、基礎知識なしで山に向かう人を、笑顔で送り出したら、どうなるか。

送り出された人は、かなり高い確率で、山で遭難して、地獄を見るんですよね。

嬉々としてやることとちゃうやろ。

2.2.どこかの場で先輩をやるなら、教育は極めて重要になってくる。それはいい加減にやれることではない

仕事組織や、どこかの場で、「先達、先輩をやる」という状況が、かなり高い度合いでありうる。

ならば、教える行為は避けられない。

ただ威張っているだけの人が、大なり小なり、仕事組織の中で、長期的に受け入れられるという話はない(あるとしたら創業者一族とかだし、それも代替わりの際に連判状か下剋上からの放逐の可能性はそこそこあるときた)。

そして、教えるということは、片手間でやれることではない。

相手に聞く余裕があり、聞き終えるまでにバテてもおらず(バテてるなら、「その説明はもっと短くして、そのために解像度を数段階落とすべき」ということだ)、

・相手に「聞かねばならないから聞く」「そうではないが聞いてもいい」程度の意思がある時に、

相手の理解度に合わせて咀嚼した内容で、

相手の理解が深まるような説明をして、

・相手が、適正に理解して、再現性のある形で実践できる、という状態にまで持っていきたい。

・当然、本当にちゃんとそうなっているかは、念の為確認せねばならない。

(これすら個人的に我流で生み出さざるを得なかったので、試行錯誤でひねり出したもので、もっと適切なフレームワークがあるはずだ。俺の気が向いた時に、いつかはそれを獲得するであろう)

***

こうした教育が出来てないなら、ファッションだろうがなんだろうが、ただの独自研究、個人技の域を出ないままで終わる。

相手に伝授? 出来る訳ないやろ。

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当然、これはメチャクチャ大変だ。

そして、この大変さも、「先輩がやるべきこと」の一環だ。やるしかござんせん。

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嫌なら部署替えか、いっそ転職するかだ。

そして、どうせその先でも、おそらく同じことが待っている。

いつかは、肚を極めて、キッチリやった方がいいですよ。

3.(警告)ここから先、伝統的価値観を嫌う方や、伝統的価値観より独自の価値観が一貫して「より良い」と思う方には、読むと脳がバグる内容になっております





3.1.パッケージ丸呑みの利便性というのは、ファッションだけでなく、価値観においても、ありうる

さて。

そう思った瞬間、

「定番の伝統的な価値観を丸呑みする行為」

を、二度と非合理と言えなくなっている自分に気付いたんですよ。

***

パッケージ丸呑み利便性と言うのは、ファッションだけでなく、価値観においても、ありうる。

「迷わないからストレスが少ない」

「試行錯誤と破滅のためにコストを割かないで済む」

「処世である程度受け入れられる」

ファッションにおいて、パッケージ丸呑みに、これほどまでに絶大なメリットがあるんだ。

そりゃあ、価値観においても、同様に絶大なメリットがある。と、当然考えるだろう。

3.2.初手インディーズ価値観独自研究が、インディーズ価値観ゴミ生成行為をもたらす

価値観もファッションと同じように、一から自力で作ることがありうる。

そして、インディーズファッションゴミ生成行為より、インディーズ価値観ゴミ生成の方が、処世上はるかに有害であろう。

***

極めて言いたくないことだが、ある年代以降の、かなり少なくない日本人は、新興宗教団体一般に対して、かなり強い警戒心を抱いている。

(何のことか分からない人は、「サリンガス」「地下鉄毒ガステロ」について、40代以上の大人たちに訊いてみてもよいでしょう。

ぼんやりとながら「当時途方もなく陰惨でおぞましい事件があった」ということが分かってくるかも知れません)

とやかく言いたくないが、価値観を拗らせた結果、処世どころか、社会を暴力で壊すか、社会の一部を分捕りたくなる人たちは、かなりいる。

繰り返すが、とやかく言いたくないのだが、価値観に立ち入らないとしても、社会を暴力で壊したり、社会の一部を分捕ったりするのは、社会にとって基本「極めて猛烈にやるべきではないこと」だ。

(これは通常「テロリズム」とか「社会的分断」とか言われることだ)

3.3.社会を暴力で壊したり、社会の一部を分捕ったりする、インディーズ価値観は、社会との激しい摩擦を起こす。それを避けるためにも、そもそもインディーズ価値観独自研究自体、避けるに越したことはない

で、価値観に立ち入らないにせよ、最初に

「その価値観、インディーズで閃いて、適当に既存のもので切り張りして都合を合わせたものじゃないんですか。

つまりは、処世や適応を度外視した、内部の動機や論理にとって都合の良いものではないのですか。

もしそうなら、それは処世への適応に向かないし、何ならそれが社会を暴力で壊したり社会の一部を分捕ったりする方面に発展した時に、歯止めはまるで利かなくなっているだろう。

私はそれで人生棒に振った挙句、獄中で死ぬリスクは負いたくはないなあ」

くらいのことは、真剣に考えた方がいいですよ。

***

じゃあ、そういうのに陥らないよう、最初から仮に価値観をプリセットしよう。というのは、残念ながら大いにありうる選択肢だ。

「ああー、伝統的宗教のパッケージ、そらベタの安牌だわ」

肚落ちしてしまった。これかぁ〜!

3.4.もちろん伝統的価値観が安牌であることと、それが本当に信頼しきれるものかどうかは、別の話として眉に唾つけておく必要がある

ただしこれは、子供にはかなり重い呪いにもなるだろう。

伝統的価値観は、世間的にそこそこ擦り合わせが行われ、社会に受け入れられた、理屈のつくものである可能性がかなり高い。

だが、ダンプカーが突っ込んできた時にどうこうしたり、病気を治したりすることは、そもそも向いてない。

それは物理学医学に比べるとまるで効かない。頼りない。

メカニズムを聞く限り、

「それは、そうやって効き目があったら超嬉しい。ということに過ぎなくて、それじゃ効かねえよ

としか言えないことばかりであろう。

もちろん、かつての子供が余程

「こんなのおかしい。そうじゃねーんだよ」

と思ったら、その価値観から自由になる可能性はかなり高まる。

だが、そういう改宗行為自体が、通常は人の気力をへし折るに足る、途轍もないストレスであり、コストであろう。

3.5.相手のインディーズ価値観に意義があり、交渉に応じると建設的である場合もあるが、相手の目標が「社会の破壊や分断」と同義であるのなら、社会はそれには応じられない

例外として。

相手がヤケになっているのであれば、その心情には寄り添って、話を聞いてやるくらいはしておいた方がいい。

その上で、「処世上の価値観としてはダメ」正直に言ってやる方が、建設的な話になる。

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また、社会生活の累積で出来上がった制度や、そういった制度によって円滑化された処世において、利害関係者の一部に、過大な負荷を余儀なくしていることがあるかも知れない。

(この意味合いに限り、政治運動の文脈でよく言われる「個人的なことは政治的なこと」という話には、一定の意義がある。

つまり、「お前の処世のために誰かに不利な制度を採用しているんじゃあない」ということだ。

なお、それ以外の文脈で使われている場合、これはたいてい罪悪感で相手を操縦しようとしているだけだ。

要するに、机を叩いて相手を恐怖心で脅迫して操縦しているのと、本質的には同じ。

そういうのを正当化するなよな。だから、この言い回し、盗人猛々しくて、嫌い

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世間が標榜している価値観に、実は反しているのに、処世としては「これしかないんだから仕方がない」と通されている場合

「どういう価値観によって、そのような処世の手段が容認されているのか」

詰めが甘い。という話にしかならない。

それで、納得しない相手を、説得出来る訳がない。詰めが甘いんだから。

というか、そこはむき出しの、目に見えている倫理的脆弱性なので、そりゃあ切りがなく蹴っ飛ばされるだろうし、果てしなく突っ込まれるだろう。

(それにもちろん、「これしかないんだから仕方がない」のは、あくまでそれで便宜を受けている側であって、迷惑を被っている側にそんな説得をして通じる訳がない

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その納得行かない怒りが昂じて、彼らが社会を壊したり、社会の一部を分捕ったりしようとしているのなら、そりゃあ説得できない方が「まず」「悪い」。

だとしたら、実際に破壊される前に、社会が話を聞かなきゃならんし、「理屈がちゃんとついて、説得が通る筋道をイメージ出来る状態にした上で」交渉もせなならんところだ。

場合によっては、大なり小なり、制度上の方針転換もありうるだろう。

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とはいえ、社会が壊されることや、社会の一部を分捕られることは、基本的に容認されない。

つまりは、相手が

「理念たる価値観とか、理屈たる正当性とか、そういうのはどうでもよく、この交渉で譲歩と便宜を引き出すためにゴネている」

こともありうる。というかかなりある。

これは、社会において、妥協した一線から向こうを、分捕られているのと同じだ。

そういうの、ダメですよ。容認しがたい。

「社会を破壊ないし分断する」ということの有害さは、本当に重いんだ。

***

「そこから先の社会において、制裁の権利が、ここから手前の社会と違う」

という事態を、新たに生じせしめると、どうなるか。

日本国で言うと、日本国刑法以外の制裁が、司法や刑務以外の人の手で行われる。ということだ。

突き詰めて言うと、「彼らの拷問も、報復合戦も、止める意思がありません」という意味です。

こんなことを黙認する社会に、今の時代に期待されているだけの信頼が、備わっている訳がないんだよな。(少なくとも、この日本では)

3.6.初手インディーズ価値観独自研究が、インディーズ価値観廃棄物処理無許可業者をもたらす

さて、話がちょっと変わってきました。

「インディーズ価値観を持っている人たち」から、「インディーズ価値観を持っている人たち「の行う」制裁」に、重心が移ったんですね。

***

ちなみに、「インディーズ価値観を持っている人たち「に行われる」制裁」という形でも、ネガティブな話はかなりあります。

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醜い二等人類だから食い詰めさせる。という話は、割とあるリスクだ。

そりゃあ、外形的に見ていてポジティブな気持ちになれない人を、雇用したくはないだろう。

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だが、悪い二等人類だから、通信回線への攻撃が可能な情報をフルオープンにして、誰でも罰せる状態にして良い。ということになると、これは実害が飛躍的に大きくなる。

最悪、家が放火されて、中の人が死ぬ。(あるいは毒ガスが撒かれて、中の人がやはり死ぬ)

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放火に限ると、これはかなり刑罰の重たい犯罪であり、ということは立法議員の目からは「かなり猛烈にやるべきではないこと」と考えられているし、国民の多くもこれを「そうだ」と思っている訳だ。

日本国刑法
第108条
放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。





また、「あいつに天誅あれ」とさんざっぱら騒いでいた人たちは、放火が起きた瞬間、「そう思ってんのと、実際にやんのとは、全然別だろうがっ!」と言って、掌を返して、放火魔を叩き始める訳です。

これは、放火でなくても、その天誅とやらが、何らかの犯罪であったり、危害損害をもたらすものであったりした場合、かなり高い確率で、こうなる。

これはそういうものです。

だから、じゃあ、天誅の類い、しない方がいいですよ。

これが天誅、正義の制裁であることを、誰も保証してなんかくれないんだから。

今は善きことのように言われている感じでも、やった瞬間、そういう扱いではなくなること、たくさんある。

ということは、覚えておくと、非常に処世サバイバルに効いて来るところです。

***

インディーズ価値観独自研究をしていると、例えば刑法とかとバッチバチに競合します。

また、価値観を貫徹する場合、制裁はかつて非常に必要とされたものなのですが、これも今はふつうは刑法の範囲内で曲りなりとも処理されているものです。

というか、平たく言うと、職務にある者職務の中でやっている。

職務にない者職務の外勝手に制裁を行うこと自体が、今の刑法では許されない。

そりゃあそうでしょう。これを素通ししたら、Sound HorizonのCD "Chronicle 2nd" 1曲目 『黒の予言書』じゃん。

敵は全部殺すんだ 盟友(とも)よそれで一時安心だ
けれど味方も敵になるんだ ならば先手を打って殺すんだ
しかし敵は無くならないんだ だから怯えながら暮らすんだ
されどそれを繰り返すだけだ それが幸せを掴む途だ





概して近世刑法以前自力救済の、大きな弊害。治安の激烈な悪さ。

これで構築出来る、建設的な制度上の事柄など、そう多くないんだよな。

今、世界的に可能であってほしいレベルの信頼のほとんどが、自力救済を大々的に採用した社会では、一日か一週間か一か月で、丸ごと吹っ飛ぶだろう。(比較的最近の、2021年8月15日前後のアフガニスタンを見ちゃうと、そりゃあなあ)

***

インディーズ価値観ゴミ生成行為もそうですが、インディーズ価値観廃棄物処理無許可業者行為も、「かなり激烈にやらない方がいい振る舞い」です。

できれば、やらないに越したことはありません。

少なくとも、評価され続けるようなことではない。

好き好んでやる値打ちもない。

私だったらやりたくない。

(続く)

(こいつ…)

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