随筆(2024/1/26):困っている時にやるべきことには、問題解決のみならず、全部で6つのパターンがありうる
1.困っている時のモードと、それぞれに応じた望ましい対応は5つ、やらんよりマシな対応は1つありうる
人生で、困っている時、というのは多々あります。
自分の困っている時をパターン分けすると、困っている時のモードと、それぞれに応じた望ましい対応は、ざっくり5つあることに気付きました。
望ましくない対応というのもあり、その場合にやるべき、よりマシな対応というのも1つあります。
それを含めると、計6つですね。
他の方にも共通するものかどうかは分かりかねるのですが、念の為メモします。
1.1.とにかく困っており、それ以外のレベルの感情がない。「とにかく困った」
しばしばあります。
直近で身近なことを言うと、地震で食器が散らばり粉々になった時とか、途方に暮れるしかないのですね。
(うちは金沢市で、令和6年能登半島地震の影響を多少受けてる地区です)
1.1.1.「とにかく困った」という気持ちを受け止めるために「酷いことになったね」と相槌を打つ。最も初歩的な受容をする
こういう時の人には、どういう対応が望ましいのか?
まず、その人は
「困った」
と思ってるので、その人の
「困っている」
という気持ちを認めることです。
ちゃんとそこは受け止めなければなりません。
「酷いことになったね」とか相槌を打つことが、最初にやるべき、鍵と鍵穴の話になります。
逆に言うと、それ以外の対応は基本的に
「お前は特に困ってない」
という意味を自動的に帯びます。
当然、
「困った」
と思っている人と、
「お前は特に困ってない」
という意味の言動を示す人との会話や共存など、成り立つ訳がないでしょうね。
これには、
「先の話もしない」
ということも含まれます。
先の話をすることは、
「お前が困っているかどうかは二の次で、別の話をする。お前の困りについて、特筆すべき重みを認めていない」
という意味を自動的に帯びるからです。
「今は先の話まで考えてられる場合ではない」
という人に、熟考を要する長い話をしても、聞ける状態にない訳です。
そこで、フォアグラアヒルトウモロコシ流し込み行為をしたら、キレられて当たり前。とは分かってなければいけません。
いずれにせよ、なるべくちゃんと
「自分はあなたの苦痛をちゃんと気にしている。
平たく言えば、あなたの味方だ」
と宣言しておいた方が、全てにおいてスムーズでしょうね。
というか、これをしてからでないと、
「自分はお前の苦痛を特段手当すべきものと認めない。
平たく言えば、お前の敵だ。
その上でガタガタ言わずに自分の言う通りにしろ。
敵のやることが利益になるとは到底信じがたい?
従わされた上で、リソース吐き出させられて、害がもたらされる、という話にしか聞こえない?
いいから黙って従え」
と自動翻訳される類いの言動をひたすらやっていくことになります。
こんな事では、問題解決なんか、無理だ。
協力? なぜ?
抵抗? 当たり前では?
1.1.1.1.外形的に次の脅威の緊急度の高さが疑われる時は、「全てに優先して安全なところに逃げろ」という。安全なシェルターに誘導する
とはいえ。
次の脅威が来るかもしれない。
それもかなり近いうちにありうる。
そういう時は、緊急事態です。
しばしば、混乱していると、次の脅威の緊急度の感覚が働かなくなるものです。
平たく言うと、ボカーンとする人はかなりいます。
他人の目から見たら緊急事態であるが、本人は茫然自失で、頭の中にクエスチョンマークが生えたまま何の思考も出来ない。ということはかなりあります。
例えば、私と弟たちは地震の際に即緊急モードになりましたが、母は
「どうすればいいのか」
とひたすらオロオロしておりました。
まあ、それはそうです。あることです。
こういう時は、
「全てに優先して安全なところに逃げろ」
と手短に誘導することになります。
これは天災でも人災でも同じです。
なお、これと
「酷いことになったね」
と言うことは両立しますので、両方やっておいた方が、より相手の安心に効くでしょう。
結果的に私や弟たちは、これを母にしながら、近くの避難所(学校の体育館)に逃したのでした。
1.2.困っており、なんとかしたい。「どうしたらいいと思う?」
1.2.1.相談に乗る。問題解決を示す
この題の通りのとき、かつこのときに限り、問題解決の相談に乗ることには効き目があります。
逆に、この時以外に問題解決の話をしても、聞ける訳がないのですね。
平たく言うと、TPOに反する。
そんなんで問題解決をしようとしてはいけないのです。
問題解決、思ったより、無力なものですよ。
こういう時にしか成り立たない、狭い道です。
そこはそういうものだ、という認識は、頭の片隅にでも一応置いておきましょう。
1.3.困っており、なんとかできると思えない、助けて欲しい。「どうにかしてくれないか?」
1.3.1.代わりに助ける、あるいは助けられる誰かに振る。支援、場合によっては救助をする
問題解決は本人がやることですが、本人が「出来るとは到底思えない」というモードになっていることは多々あります。
そういう時は、もちろんこれは
「助けて」
「どうにかして」
という話になります。
これは基本的には
「できる人が代わりにやってくれ」
という形を取ります。
***
ここで本人に問題解決をさせようとするのは、ちょっと思い止まった方がいいですね。
本人にとっては、やる気にさせてくれる励ましは、まあ嬉しいものです。
しかし、助けて欲しい人は、やれそうな望みが薄いから現にこうなってるのです。
そこで
「あくまで発破かけて本人にさせようとしている。
本人に問題解決をさせることに固執するのは、なぜか」
という話に基本的にはなるし、その観点からすれば、この発破は
「助けない。
お前がやれ。
枯渇したリソースを吐き出しても、故障した箇所が大破しても、死んでも、当方の感知するところとしない。
勝手に君は死に給へ」
という意味を自動的に帯びることになります。
まあ、キレますよ。
当たり前なんだよな。
***
ここで
「助けて、じゃないんだよ。
お前の問題だろ。
お前が自力で問題解決しろ」
と言う人がいます。
他人に自分のリソースを吸われたくないから、所有や自由や公正の観点からこれを言うのでしょう。
つまり、
「他人にやらせるやつはズルだ」
という観点です。
それそのものは、まあ、そうでしょう。
***
ただし、これは
「困っている人を助けることを、少なくとも特筆すべき価値と認めない」
という価値観を前提にしない限り、成り立たない理屈です。
もちろんこんな理屈では社会保障も教育も成り立たないのです。
これを言う人はたいてい、子どもの時に社会保障も教育も吸えるだけ吸ってきたからこそ、自力でバリバリやれるほど強くなったのですね。
そこで
「己の所有や自由や公正は、社会保障や教育のせいでどす汚れている。穢らわしい」
と言うバリキャリ、まあ見たことないですね。
むしろ、総合的に見れば
「己の受けた社会保障や教育は嬉しいが、他人に割く社会保障や教育は忌まわしい」
というバリキャリはかなりいます。
「己は良いが他人にするのは嫌だ」
というのは、一般には不公正とかズルとか呼ばれる事態です。
自分がズルをやることの正当化のために、他人をズルと言い放つの、もはや誠実にすら反してますね。不誠実です。
人助け、ケアをしないことで、所有や自由は守られるかもしれませんが、公正や誠実は失われます。
自分のやってることが、ケアと公正と誠実の観点からみるとマイナスであると、ケアと公正と誠実のテーブルからは降ろされてしまいます。
仲間内ではともかく、それ以外の人からは、何の信頼もないので、不信に基づく粗略さで扱われます。
つまり、
「あいつらガメた上でナメやがって盗人猛々しいんだよな死ねばいいのに」
ということです。
これは脅威なので(しかも自分が煽ったのだ)、安全に生活していたいのなら、これを向けられないようにせねばならない訳です。
人助けにはある程度はそういう護身としての意味合いもあります。
(ひでえこと言ってるなあ)
***
そもそも、たいていのことは、役所に窓口があるので、
「国か都道府県や市区町村のホームページを見て、適切な窓口に問い合わせましょう」
とか
「調べたらあれが窓口のようなので、ここに問い合わせますか?」
とかの手を使った方が、総合的に見ればスムーズなことも多々あります。
(今回の震災の時には、地方自治体や政府主導による、壊滅した交通網の開通と体系的な救援活動が必要不可欠かつ最優先でした。
「それを待っていたら時間切れになる。とにかく数日分の救援物資を届けろ」
という話はもちろん動機は死ぬほど分かるのですが、
「その最中に崩落した道路で立ち往生し、交通網の開通の際のむしろ支障になった」
とか
「当時何度か悪天候になり、航空事故も連発した中で、なおも救援物資空輸投下作戦を主張する民間の動きがあった」
とか、救援のむしろ支障になる話がたくさんあったことを、私は忘れないようにしようと思います。
例えば、下の新聞記者の方のポストは2024/1/6なんですよ。
2024/1/3に羽田空港で震災対応中の海上保安庁機とJAL機が衝突した後でこの発言なんですよね。
被災地であり tenki.jp の観測地点である輪島市の天気は一貫して悪かった。つまり航空事故リスクは高かったということである。
救援物資は誘導兵器ではないので、その投下は一般に精密性を欠く。悪天候ではなおさらだ。
悪天候の中で、とにかく体力を温存すべき立場である疲弊した被災者に、km単位でのズレが生じた落下地点の山岳地や海中に拾いに行って回収してもらう(この時点で最悪なんだよな)、そして中身は落下の衝撃でどうしてもトラック輸送の時より破損の割合が高い、という話、
「被災者に何させる気だ」
としか言えないんだよな。
そうこうしているうちに、悪天候による輸送機の墜落で山火事が起き、巻き込まれた被災者は逃げ場がなく焼死、という話も当然考えられる。
JAL機は全員脱出できるかギリギリの瀬戸際だったし、海上保安庁機は5人亡くなられたのだ。山火事だともっと死ぬ可能性がふつうに高い。
「そんなリスクのある作戦をやるのが当たり前だと主張している訳か?
被災者に山火事に晒す気か?
むしろ、何さらしとんがじゃ???」
とは正直に思いましたよ)
1.4.困っており、誰にもどうにもしがたい。「どうにもならん」
1.4.1.耐えられるように、憂さを晴らす気晴らしの話や、未来に希望の持てる話をする
自分にも他人にもどうしようもない場合は、しばしばあります。
そうなると、どうにもならないから、耐えることになる訳です。
もちろん、これは、キツい。
問題は解決しないし、誰も解決してくれない。
時間が解決してくれるかもしれないが、それは今しばらくはそうはならない。
そうして、問題のデメリットは、常に横から流れ込んでくるし、こちらはその被害を受ける。
これに耐えねばならない訳ですよ。
これより他に、どうしようもないんだから。
だから、耐える気力が湧く話をしてほしい。
これは基本的に気晴らしの話か、未来に希望の持てる話になるし、
「いつかなんかうまくいくよ」
とか
「いつか自分にご褒美をあげよう」
とか
「いつかどこかヴァカンスに行こう」
とかそんな話になる訳です。
気休め?
問題解決にならない?
今問題解決できないという現状をまず認識しろ。
問題解決できない今、必要なのは、気休めそのものだ。
というか。
問題解決できないことに打ちひしがれたことも、気休めを求めたこともないのですか?
それは、試行回数が少ない中で、たまたま失敗しなかった、ってだけです。
ある日失敗して、その結果をその姿勢のままでボディで受けると、メリメリへし折れますよ。
先に展望がないんだから、絶望するしかないし、何なら諦めてしまうし、逃げ場もないから死んで世界から逃げることになる。
気休めによって空元気を保って自殺せずに済んで生き延びた人より、気休めすらせずにふつうに絶望して諦めて世界から死に逃げをキメる人の方が望ましいという話、何一つ同意しない。
問題解決の人は、問題解決に失敗してその結果のデメリットに向き合うことも含めてやれていないと、ここで潰れるのです。
潰れないで生き延びるためにこそ、気休めは効くのだ。と理解して下さい。
2.望ましくない対応と、まだマシな対応
2.1.そもそも対応が出来ない場合
「お前の困った話は聞きたくない。
騒音をこれ以上発するな。
うるせえ」
をやるやつもたくさんいます。
これは、対応という観点からは、もちろん何ら望ましくありません。
困ってる人に
「うるせえ」
を叩きつけてるんじゃあないよ。
***
なぜこれをやるかというと、
そもそも受ける側自体が同じ状況下で困っている人だったり、
困りごとに対応するためのリソースの余裕がなかったり、
困りごとに対応するのが面倒だったり、
そういう理由になります。
***
それは、まあ、そうですね。
でも、それが困っている人に
「うるせえ」
を叩きつけてよい正当性をもたらしたりはしない。
当たり前ですが。
2.2.「今はこちらも他人の話を聞ける状況にないです」ときちんと言語化する
こういう場合なら、まだ
「今はこちらも他人の話を聞ける状況にないです」
くらいのことを言った方がマシだ。
これなら、困っている人を叩きつけているという意味合いはグッと減り、単に
「自分が他人を助けられる状況にない」
という事実記述的・価値中立的な話に近づく。
2.3.いずれにせよ、困っている人をどうこうすることは諦める。距離を置く
いずれにせよ、これらを言う状況にある時点で、困っている人をどうこうすることは不可能です。
そんなことはスパッと諦めて、距離を置くのがいいのです。
無理なことはしない。
出来る人たちに任せて、テキパキそこをどく。
3.自分が困っている時に、どう困っているのか、言語化できるようにした方が、話は早くなります
もし、困っている人を助ける気なら、相手がどう困っているのかは、確認せねばなりません。
即ち、困っている人が
とにかく困っており、それ以外のレベルの感情がない時
上記に加えて外形的に次の脅威の緊急度の高さが疑われる時
困っており、なんとかしたい時
困っており、なんとかできると思えない、助けて欲しい時
困っており、誰にもどうにもしがたい時
(例外)そもそも、相談したい相手が、他人を助けていられる状況ではなさそうな時
のうちの、どれか。ということです。
上に応じて、やるべき対応は
「酷いことになったね」と相槌を打つ。最も初歩的な受容をする
「全てに優先して安全なところに逃げろ」という。安全なシェルターに誘導する
相談に乗る。問題解決を示す
代わりに助ける、あるいは助けられる誰かに振る。支援、場合によっては救助をする
耐えられるように、憂さを晴らす気晴らしの話や、未来に希望の持てる話をする
「今はこちらも他人の話を聞ける状況にないです」ときちんと言語化する
というものになります。
***
とにかく、問題解決は何ら万能薬ではない。
限られた効果しかないと認識して使うべきである。
そして、その範疇の外では別の手を使うべきである。
ということは気を付けねばなりません。
***
逆に、自分がいつか困った事態になり、誰かに相談する日が来るかもしれません。
そういう時は、自分が1,3,4,5のうちのどれか、ということは、自分で言語化できるようにしておきましょう。
(2,6はこちらでどうこうしようがありません。
緊急度や他人の余裕が分かればもちろん良いのですが、分からないこともふつうにあるでしょう。
だから
「できればいいが、無理ならスパッと諦める」
くらいの感覚です)
前半の状況と、後半のニーズ、両方まとめて相手に伝えると、極めてスムーズになります。
困ってる時の言語化は一般に難しいので、これも
「できればいいが、無理ならスパッと諦める」
としか言えません。
ただ、やれればお互い明らかに楽なので、頭の片隅にでも置いておいて下さい、という趣旨の記事です。
困っている時こそ、楽な道を行けるようにしましょう。
そして、それができない時は、
「できればいいが、無理ならスパッと諦める」
ということになります。
困って、ジタバタ、なんとかしましょう。
ふつうそれしかできないのだから、それでいいのです。
いつかは少しでもマシになることを願いましょう。
(この記事ここで終わり)