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【エッセイ】予定未来を書き換える。そして、さよなら。

何もできない。もうなにも、したくない。
そんな無気力状態の私を、ずっと変えられずにいた9ヶ月だった。


しばらく何かをするのはやめます。
自分も他人も受け入れられないので、なにも書けない。
最近ずーっとそんな感じなので、一度距離をおくべきなんだなと思います。
正直、今の私はだめです。無理です。
諦めたわけではないので、どうにかして戻ってはきます。


この前投稿した、誰に宛てたのかもわからないつぶやき。
つぶやきですら自分を表現できなくなっていたことが、なによりももどかしかった。
その気持ちをどうにかして伝えようとしたけれど、深夜の2時に投稿するくらいしかアイデアがなかった。

それから1か月半が経った今、私は自分の未来を変えるために行動している。
そして先日、そのスタートラインにあたる「大学生になる」ということにひとまず成功した。

つまり、私はこの前まで浪人生だった。
今年の春、高校を卒業したものの、次に進むことはできなかった。

なぜ私がこの選択をしたのか。なぜここへ戻ってきたのか。
9ヶ月にわたる、私の裏側を、文章にしていこうと思う。



話は去年の12月にさかのぼる。

ちょうど雪が降り始めた頃、私たちは来月の共通テストに向けひたすらに演習を繰り返していた。
ひたすらに問題を解いて、採点。
教室を移動して、また問題を解いて、採点。
その繰り返しが1か月半続く。

私は共通テストがとにかく苦手だ。
短い時間の中で、たくさんの問題を手順通りに、かつ手早く解いていかなければならない。
記述ではそこそこ点を取れていたものの、この決まりの多いフォーマットの下では思うように点をとれていなかった。
それに、私の通っていた高校は、県の中でもトップクラス。
難関大学でそこそこの判定をもらっている人もたくさん。
私はその位置にたてない、いわば「上の下」の存在として高校生活を送っていた。
もちろん、私は自分の目指していた大学に向けて少しずつ勉強を進められていたし、他人と比べるよりも自分が成長したかどうかを見るようにしていた。
それでも「偏差値」や「順位」という、他人との違いからうまれる数字に目を閉じるわけにもいかないし、私がこの数字をもとに「行けそうな大学」を志望していたのも事実である。
テストや模試のときは1ヶ月に一度だけ確認する程度なので、数字を見て負うダメージを追っても、次のときにはだいたい癒えている、というのがいつものことであった。

しかし、この冬はそうもいかない。
その数字を毎日のように見なければならない。
しかも、学校内という不利な状況で。
それが私の心をむしばんでいったのだろう。

演習のときには、本番の時間より10分短く解かされた。
「見直しの時間が取れるように解くこと」が教師にとってのモットーで、それができるならば困ることはない。
解説も短くざっくりで、特に難しい部分のみがピックアップされる。
生徒の平均値が高いからこそ、自分の時間でその溝を埋めなければならない。
余裕なんて、どこにも見いだせなかった。

おそらくこの苦しさを持っていたのは、私だけではないだろう。
周りも多かれ少なかれ、窮屈そうにしていた。
いつも早く教室に来る人が、ホームルームの直前に来たり。愚痴混じりの会話が毎回耳に入ってきたり。
緊張した空気に飲まれて、心のすり減りがだんだん激しくなっていくように感じていた。

寒い外の空気を吸い込み登校して、
温かくて窮屈な教室の中でひたすら問題を解いて、
聞こえてくる愚痴に嫌気がして、
自分はなにも吐き出さないようにして、
急いで帰って、
自分のたりないを埋めて、
明日のために眠る。


この繰り返しの途中で、ある日突然、私は勉強ができなくなってしまった。


朝と寝る前に必ずやっていた英単語も、毎日やっていた復習の時間も。
朝7時に家を出て、1分でも多く勉強するのも。
昨日までの「普通」「当たり前」が「困難」「苦痛」に置き換わる。

私の大学入試に対する思いが
「勉強という努力を積み重ねて、自分のやりたいことができる大学で進む」
ではなく
「苦しさから解放されたくて、それを邪魔する大きな壁」
であること。

自分の中でごまかしていたものが、直前になってどうしようもできなくなった。

「(大学に行かない生き方がわからないから)大学に行かないと将来困りますよね。」
「(教育課程も変わる、メンタルもすり減るで、浪人は辛いから)現役で行けるように頑張ります。」
「(自分と比べてほしくないから)そんなに成績良くないよーエヘヘ。」
「(レベルを下げて家族に負担をかけたくないから)私立はあんまり……。」

言葉に出さず心の奥にしまっておくことで、私の本心が「解放」ではないように自分に思い込ませる。
これを乗り越えることができなかったのが、私を無気力状態にさせた一番の要因だろう。

学校ではなんとか取り繕っていた。
けれど、家では毛布にくるまってスマホを見たり、ペンを持てず部屋の中でうなだれたり。
受験生としてあるまじき生活に変貌していった。


そうして年をまたぎ、共通テスト本番の日がやってきた。
白いカーペットの上を歩いて会場へ。
はじめましてに囲まれながら、小さな選択を繰り返す。
こうして2日にわたる試験をやり過ごし、翌日は自己採点。

ケアレスミスはほとんどないのはよかった。
しかし、演習が始まった頃の自分と比べると、目の前の数字は少なく映る。
教科によっては、30点近く下がってしまったものもあった。

その作業を淡々と行い、結果を提出。
およそ1時間たったあたりで、校内順位と志望校の判定がプリントで渡された。


第一志望、E

第二志望、E

E
E
E
E
D
D


自分がここまで繋いできたものが、短い期間で歪んでしまったこと。
それを数値で、アルファベットで、改めて突き付けられる。
吐きそうだった。

((やるだけのことはやった。でも、ダメだった。))
((共テも全然取れないのに、二次で点取れるの?))
((本当に、行きたいの……?))

皆はすでに二次試験に向けてラストスパートをかける中、私はとにかく自分を責めた。

その後も授業はできるだけ出席はしたけれど、やる気はどん底。
自己嫌悪がノイズになり、思考のじゃまになる。

そして、この頃から「ひとりごと」が増えた。
たとえば、1日のざっくりとしたスケジュールや、問題を解くとき。
人がいる時は抑え込んでいるけれど、ひとりの時はどうしても思考が零れてしまうことがある。
頭の中に収めることができるはずの簡単なことでも、声に出さないとまとまらない。
18年にわたって溜め続けた頭のキャッシュが、「今」の思考を圧迫しているんだろう。

モチベーションも、集中力も、この1ヶ月ですべて台無しになった。

なにもかも出来なくなっていく。無気力状態に飲まれる私。
それを自覚するのも、周りに知られるのも、怖かった。

でも、なにかはしたい。
それが逃げでもいい。それで少しでも頭のモヤモヤが軽くなるのならば……。

私にとって、それがnoteであった。

ある作品との出会いを通して、アカウントを作って、投稿した。
文章を書くことは面白くて、またそれと同じくらい辛いということを、このときの私はまだ知らない。


そうしているうちにも、本番はひしひしと迫る。
2月の後半からおよそ1ヶ月、いくつかの大学で試験を受けた。

前日は電車に乗って、ホテルへ向かいそこで1泊。
当日は大学行きのバスでキャンパスへ。

同じバスに乗っている50人くらいの受験生を見て、
((この人たちは、今日のために勉強をやりぬいてきた。私は?予定未来と心のすり合わせが上手に出来ずに、今ここにいる。意思が抜け落ちている私が受かっても、それでいいのだろうか。そんな私が受けるわけがない。受ける資格もない。))
なんてことを思っていた。

問題用紙はできるだけ埋めた。
自分の最大値を、自分の言葉で。
そのときそのときでぶつけた。

けれど、合格発表のときに自分のコードは見つからない。

「だろうね。」
思わずこう口にした。
受からなかった悲しみなんてものはなく、むしろ安堵感があったくらいだ。

ある友達は京大に行った。
ある友達は医大に行った。
いつもなにげなく会話をしていた人はやっぱりすごいんだ。強い人なんだ。
成績でも、人柄でも、かなわない。

そして私は、1年のタイムラグを乗り越えなきゃいけない。

「おいて行かれる」という不安が、私の思考を覆う。
思い切って自分の気持ちを伝える、なんてこともできる状態ではなかった。
そうして、私は「もう1年やらなければならない」という予定未来に従い、流れるように予備校の手続きをして入学した。

勉強は基礎からやり直し。noteにももっと力を入れる。
それを1年の目標として掲げ、この4月、私の「もう一回」が始まった。

それから2ヶ月半の間、少しずつ勉強習慣を戻したり、noteではいろいろなことを実感しながらも投稿を続けてきた。

しかし、なんとかなりそうになっていた矢先、ふたたび無気力状態に引き戻されてしまう。
梅雨に近づくにつれて、自分の体調が悪化してしまった。
やる気が出ない、集中できずで勉強ができない。
深夜の2時3時まで眠れず、朝も早く起きれない。
作品を受け入れられないから、ゲームやアニメもあまりできない。
他人を受け入れられないから、noteの読み書きができない。

それが「いつも通り」となっていく。

学校を休んで、Youtubeをみたり、音楽を聴いたり。
視覚や聴覚に情報を流して、ノイズの走る思考をシャットアウト。

周りが少しずつ力をつけていく中、私は時間を溶かすように過ごした。

かろうじて模試の成績は悪くなく、第一志望はそこそこ。
A判定を取れているものもある。
「このまま進めば大丈夫だよ。」
と先生からは言われた。

そりゃそうだ、と思った。
私は1年多くやっているのだから、むしろもっととれてないと……。
受験の山は、これからだから。

そうして7月の下旬、夏休みがやってきた。
この期間はよく「受験の天王山」と呼ばれる。
まとまった時間を確保でき、基礎を固めることができる長い休み。
ここでの頑張りが今後の伸びに直結する。
そして、現役生は猛スピードで追い上げてくる。

浪人生の私は早く勉強ができるようにならないと、現状維持は絶対できない。

しかし、連日の猛暑と急激な天候悪化に従うように、私の体調不良は続いていた。

もうダメだ。
また、繰り返しになる。

自分を変えたい。
変わりたい。


それを言葉にして、行動に移したのが8月であった。


受験のために、これ以上体調やメンタルが保てるかが不安。
自立できるようになるまで、もうちょっと時間がほしい。
だから、通信制の大学に進学したい。
必要な勉強や社会経験は並行して取り入れる。
という旨を親と先生に伝えた。

そして、志望理由や与えられた課題などを行い、入学審査のための手続きをした。
病院にも行った。少しでも持病と向き合えるようにするために。

受験生たちが葛藤しながら学力をつけていく中、私は私のために行動した。


合格発表までは、およそ1ヶ月かかる。
ずっと緊張していた。
そこそこの高校を卒業しているし、書類の不備もないから、きっと大丈夫だろう。
けれど、「かもしれない」を考えてしまうと、落ち着かなくなる。
心臓のドキドキがおさまらず眠れない夜もあった。


そして先日、1通の封筒が送られてきた。

大学からの合否の通知。
この中身で、すべてが決まる。
震える手で封筒を開き、中のプリントを取り出した。

すると、1枚目のプリントにはこう書いてあった。

「合格」

半年前、見ることができなかった、この2文字。
それを今までとは違う方法で手に入れた。

これが「現在」の私だ。


私が過ごしたこの9ヶ月は、空っぽだ。
心に溝ができて、それを埋めようとして、また溝が深くなって。
この前までの生きてきた18年が、まるで他人の記憶のように思えてしまう。
そんなふわふわとした乖離感がなくならない。

今までの生き方では自分を保てなくなった。
だから、私は予定未来を書き換えることを選んだ。

そのスタートラインが「通信制の大学に通う」ことである。

正直、不安は消えない。
なにより、勉強をしないと大学生になった意味がないからだ。
私はこれから、今までの空白と未来のページをを埋めていく必要がある。

そして、自分の人生も受け入れなければならない。
どんなに拒絶しても、私はこの18年から逃れられない。
どんなに苦いものであっても、そこに価値や意味を見出せないと、それはただの後悔と恨みとして記憶されてしまうから。
それは記憶の持ち主である私が一番わかっている。
だからこそ、過去を拾い上げる。
その覚悟を、やっと決めた。


この文章を読んでいる人の中に、受験勉強の合間にnoteを読んでいる人や、これから大学入試を経験する人もいるかもしれない。
その人たちに伝えておきたいのは、自分のやりたいことを他人に自信をもって話せる道へ進むことだ。
私は受験の敗者だ。
「生きる意味」と「行く理由」が曖昧なまま、勉強をしてきた。
だから、積み上げてきたものが崩れた。
自分の志望校や、学びたい分野に少しでも疑問を持ったら、悩んで。
親や先生、信頼できる友達でもいい。文字に書き起こすでもいい。
自分の考えていることをアウトプットして、隠れた「本心」を確かめて。

たくさん悩んで、納得のいく答えのために頑張ってほしい。
そのほうが、成功の喜びも、失敗の悲しみも、よりいっそう噛みしめることができるから。

苦しさから逃れられないなら、思い切ってしまうのも手だと思う。
ただ、その場合はその責任を負うこと。
私は、私を認めてくれた家族や周りの人に、成果を形として納めなければならない。
そして、私のように生きても大丈夫だということを時間をかけて証明したい。

私は、書くのをやめない。やめたくない。
中学生からほとんど読書をしなくなって、現代文は苦手。
文章というものを遠ざけてきた私が、ここに執着してしまう。

それだけ、この世界はじわじわと私を変えていった。


私は一人のクリエイターとして、書き手として、発信をしたい。
中途半端やそこそこではなく、自分の感情が文章に溶け込んで飽和している。
そんな「生きている」「色褪せない」文章を書いていきたい。

この望みを叶えるのは、楽じゃない。絶対苦しむことになる。
「書くのが楽しい」なんて、到底言えないだろう。

それでも、書きたい。
まだ、生きていたい。


だから、私は一度さよならを言いに来た。

新しい生き方をする「私」と、発信を通じて紡がれていく「かぐや」という2つの存在。
どちらも再構築し、一つに結びつけるのには、ちょっと時間がかかる。

よっぽどのアクシデントがない限り、必ずこの世界で、また文章を書く。
「ただいま。」と言わせてほしい。
画面の向こうのあなたには、「おかえりなさい。」とより鮮明な私を見てほしい。
それが望み。



どうしようもない過去も、やるせない現実も受け止める。
それでも、私が納得して生きれるように、自分の手でこれからを書き換えていく。

かつての予定未来に、さよなら。





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かぐや(旧)
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