あなたは''ケーキが買える人か、買えない人か"
辻村深月先生の小説『スロウハイツの神様』の中で
主人公の妹が、自分と姉の個性を話す時に使った表現
姉の環はギリギリでそれを手に入れることができるけど、妹の桃子はそれを手に入れられない、惜しくもない。
これは、
いつでも、全力で自分の全てを出し切って勝負をし、それで掴んだ取っ掛かりを決して手放さない環の個性を
"それを手に入れられない側"の桃子がすごくわかりやすく表現している。
一見、環の個性を表現する時にしか使えないようなケーキ屋さんの例え話。
登場人物一人一人の"個性"を重んじる辻村先生らしい表現で、初めて読んだ時から面白いなって思ってました。
でも、この"ケーキが買えるか、買えないか"の例えって実は、人の個性を表現する時にすごく応用がきく気がするんです。
すごく緩いけど、割と的確な自己分析なのではないかなと。
例えば、私がこの話をした親友は、
自分のことを
"自分1人の行動ではケーキは買えないけど、たまたま周囲にケーキを買えた友人がいて、そのおこぼれをもらえる人間"
と言ったんです。
「なんだよそれは笑」ってなりそうな話なんですけど、これが私からしたらかなり的確な表現に思えて。
親友の私からみた彼女の個性は
①しっかりしてそうで、全くしっかりしていない
②人が自分を好きであることが1番大事
この2つ。
だから、まず"自分だけの行動ではケーキは買えない"は①の個性そのまんま。
"たまたま周囲にケーキを買えた友人がいて、そのおぼれをもらえる"は、①と②の個性がそれぞれいい方向に働く結果起きること。
彼女が"一見すごくしっかりしてそう"というとこが大事で、
『みんなの前ではしっかりしてるあの子のことだ、きっと何か事情があるに違いない。あの子が自分に頼ってくれるだなんて嬉しい、何とかしてあげなきゃ』
ってなる。簡単に言ってしまえばただのギャップ。
で、そこに彼女の最大の個性である"②他人が自分のことを好いていることが何より大事。"これが合わさる。
この思考を実行できてしまうんだもの、彼女は天性の人たらしなのです。
多分彼女は、今までの経験を元にこの"おこぼれ話"をしたんですけど、私からしたら彼女のその様子を想像するとあまりにもしっくりきたものだからびっくり。
"ケーキが買えるか買えないか論争"
これはかなり馬鹿にできないと思いました。
それこそ、新種の自己分析なんじゃないかと。
この論争で、全部ではないけど少なくとも自己分析の超土台、"自分の個性"の部分はわかると思うんです。
『ケーキをどうやってその人が手に入れるか、
なぜ手に入れられないか。』
ちなみに私は、自分は
『買える時は、人の何十倍もそれに賭けて準備をして、1番か2番くらいに並んでそれを手に入れる。
でも買えない時は、買いたい気持ちはあるけど、日付とか場所すらちゃんと把握してなくて、購入のステージにも立てない。惜しくもなんともない』
そういう人だと思いました。
で、これまでの人生を振り返ると、確かに自分の人生は成功と失敗が極端だったなって。
やる気にムラが激しくて、何事も一定の順位とか、評価とか、テンションを保てることがほぼなかったなって。
そこからわかった私の個性は"程よいバランスがとれない"ということ。
そんなこと、就活時の自己分析では思ったこともありませんでした。
でも、自分の中では"努力"だとか、"継続力"だとか、"協調性"とかよりも、よっぽどしっくりきて。
気持ちのムラがどうこうだとか、
親友のように他人からのおこぼれをどうこうだとか、
そういうことって、"未来の仕事を見据えて過去と現在の自分を振り返る自己分析"の中では、実はあんまり見えてこないものなのかもなと思うんです。
現実世界に想像しやすいけど、自己分析という点では少し変わった"ケーキを買えるか買えないか"という視点から自分を見つめるからこそ、出てくる答えなんじゃないかなって。
"ケーキ買えるか買えないか論争"
意外と面白いので、ぜひやってみてください。
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