世の中には、誤って作動してしまう物がたくさんある。
これは『誤作動』ではなく『奇跡』にすべきだと思う。
例えば、
私たちのミクロの世界で繰り広げられる細胞分裂は、その名の通り、自らの細胞を分裂させて増殖するという基本設計(=program)のもと働いていている。だが、時々、その過程で『エラー』が起こる。
ある動物の個体にそれが起こると、その種の中では一般的ではない存在になる。
この差異、突然変異的した個体は、生まれてきた環境に対して今までとは異なる振る舞いをするわけだが、それがその環境において、吉と出るか凶と出るかは『運(自然選択的ではない偶然の中立的な進化)』次第である。
この偶然の進化によって、たまたま、物凄く置かれている環境に適応できる個体が生まれたりする。それによって他の『劣等』と見做されるような生存確立が低い個体と、その環境という物差しの中で優れた個体が入れ替わることもある。
どこかマトリックスと似ている。
例えば、体制側(機械)が作ったMatrixという仮想世界の設計者は、自ら、その『自然選択的ではない偶然の中立的な進化』という関数を作り出している。主人公であるネオをその仮想世界に入れ込み、その通常とは異なる振る舞いを学習することで自らの世界を進化させている。
ネオという革命家は、その存在自体が『突然変異』であり、結果として社会(マトリックス世界、体制側)を進化させている。
事実、革命家も、ポジティブな中立的な突然変異を遂げる生物も、『変異性』を持っており、『救世主』としての振る舞いを見せる。後者の場合は例えば、その世界の尺度では優秀な個体が生き残ったから、今の私たちが存在している、という捉え方をすれば『救世主』と呼ぶこともできるはずだ。
私たちは『失敗や間違い』がネガティブなものだという幻想に侵されている。実際は、上記で書いたようにポジティブなものも多くある。
脱線し過ぎて深海を走っていました。
続きをお楽しみください。
科学界においてもその『失敗や間違い』から『奇跡』の産物が生まれたりする。そもそも、『失敗や間違い』というのは『成功確立を上げる過程で伴うもの』であるから『ポジティブな現象』だと思う。
だから『失敗や間違い』を恐れるというのは『非合理』である。
なぜなら『成功確立』が上がりにくいからだ。
生物の #ふるさとを語ろう