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『汝、星のごとく』を読んだ。

前回文を書いた『流浪の月』繋がりで
今年の本屋大賞受賞作でもある
凪良ゆう著『汝、星のごとく』を読んだ。
ネタバレに気を遣った文ではないことを
承知のうえで読んでもらいたい。

嫉妬と羨望

この本を読み終わっている人に聞いてみたい。
読み終わって最初に出てきた感情が何だったか。

私は“嫉妬”そして”羨望”だった。
暁海が羨ましかった。
北原先生というひとりでいる不安を
取り除いてくれる人がいて、
櫂の元へ行くこともできて、
自分がやりたかった仕事もできて、
いいよね暁海は。
私の頭の中ではそんな感情が犇めき合っていた。

ひとつの作品として
『汝、星のごとく』は大変良いものだった。
しかし、それとこれとは話が違う。
私が暁海に嫉妬し、羨んだのは
自身のこれまでと比較してしまったからだ。

前回の『流浪の月』でもそうだったが
どうやら凪良ゆうは、詳細は違えど
「ああ、私にもそういうことあったな」
と読者に思わせるのが大層上手いらしい。
まんまとそう思わされて登場人物に共感するでもなく
ただ負の感情を抱いている。
物語終盤で私は読みながら
涙を堪えることができなかった。
それは暁海と櫂の愛に感動したからではなく
「どうして私はこうなれなかったんだろう」
という気持ちからだ。
おおよそお気付きだろうが、ここで書かれる文は全て
読書感想文とは名ばかりの気持ちの吐き出しである。

遠距離恋愛の障害

遠距離恋愛をそこそこ長期間していたことがある。
距離が離れていると、会いたいときに
気軽に会うことができないという障害がある。
作中でも互いが互いに会いたいと
思っている描写があったが、
それが簡単にできないのが遠距離恋愛だ。
これは本当に大きな障害で、
1度会いたいときに会えないくらいで
どうこうなるものではないが、
何かどうしても会いたいと思った時
そばにいるのが恋人ではないという事実、
あるいはそばにいるのが自分ではないという
事実の積み重ねがどんどんと二人の関係を
薄めていってしまう。
誰が悪いわけでもない。
ただ人間はそんなに強くない。
それで魔が差すこともあるだろう。
魔が差さなくともどんどんと二人はすれ違うだろう。
暁海と櫂もそうだった。

私は暁海のように
自分が支えなければならない家族がいるわけではなく、
噂話が瞬く間に広がるような土地に
住んでいるわけでもないので
生活を比べると何倍も穏やかで安定していると思う。
しかし遠方に愛しいと思う人間がいて、
つらい時や嬉しい時に気軽に会えない。
それも年々すれ違ってきている、
というところには変わりなかったため
遠距離中の暁海に自分を重ねることが容易にできた。
例えばせっかく会えた恋人が
全く自分の話を聞いていない時、
私も大層ショックを受けた。
真意は分からねど軽口のように
人生に関わる重大なことを言われて
腹を立てたこともある。

2人が別れるまでの遠距離期間の描写を
そういうこともあったな、と思いながら
懐かしむように読み進めた。
これは遠距離恋愛をしたことがあるから
できた読み方であり、その点については
自分の経験も悪くなかったと思う。

凪良ゆうに教えてもらったこと

ここ数か月ほどで本を読む機会が増えた。
それまで1年に数冊読めば多い方であった読書量が
ひと月で5~6冊になった。
読了後に人の読書感想文や考察を読むのが好きだ。
自身からは出てこない考え方が見られてとても面白い。
みんなはこうやって本を読んでいるのだな、と知った。
それから一通り落ち込んだ。
自分には物語を深く考察することもできない。
登場人物に感情移入して喜んだり悲しむこともできない。
読書に向いていない人間なのではないか、と思った。
そんなときに凪良ゆうの『流浪の月』を読んだ。
自分を重ねて読むということを
これでもかというほどさせられて、大変しっくりきた。
もしかするとたまたまだったのかもしれないと思い
今回『汝、星のごとく』を読んだところ
たまたまでなかったことが分かった。
これが私の読書の仕方。
凪良ゆうに教えてもらったことだ。

夕星を見つけられたら

離れたとしても二人は夕星として繋がっていた。
空を見上げて丁寧に夕星を説明してもらったことがある。
「あれが宵の明星。金星。一番光って見えるでしょ?」
そういって笑いかけてくれた人がいた。
ところが私にはいまだに夕星を見つけられないでいる。
空を見上げてもどれが夕星か分からない。
夕星はどこにいても見つけられるほど大切な
きらきら光る、たったひとりのあなたなのに。
もし夕星を見つけることができたら、
空を見上げてどれが夕星か悩むことはなくなるだろう。
その時初めて嫉妬や羨望でない涙を
暁海と櫂に流せるかもしれない。


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