教育における自己認識と指導者の役割
自己認識って何?
自己認識とは、自分自身のことを深く理解することです。はじめての授業で「他人の評価や思い込みによって自分を捉えていた。未来を心配して本心からの行動を避けていた」とは、普通はすぐには分かるものではありません。時間をかけて経験を重ねることで少しずつ分かるものです。もし最初の授業でそれが分かるとしたら、それは先生が生徒を特定の方向に誘導した結果かもしれません。
先生と生徒の関係ってどんな感じ?
授業での先生と生徒の関係は、好むと好まざるとに関わらず、お互いに影響を与え合います。先生が生徒を心地よい状態に導くと、生徒も先生に対して良い感情を持ちたくなります。しかし、この関係が続くと、互いの行動が相手に影響される自家撞着が起こる可能性があります。
はじめての授業で「本当の自分」って感じることができる?
生徒がはじめての授業で「本来の自分でいられた」と感じることがあるかもしれません。これは、先生と生徒の相互依存の中で生まれる感覚です。先生が「本来の自分になる」と繰り返し言うことで、生徒はその言葉に影響され、自己の本質を理解する前に、理想化された自己像を追求するようになるかもしれません。これは、生徒が自己の真の本質を見つけることを妨げる可能性があります。
自己認識はすぐにはわからないもの?
自己認識では、「本来の自分」とは、自分がまだ認識していない自己の側面を指します。はじめての授業や、何度も授業を重ねたとしても、そのような深い自己認識を感じることは期待できません。本当の変化は感動を伴わないもので、自然にかつ無自覚に進むものです。そのような変化を重ねると、「本来の自分」が認識不可能であると理解し、いつの間にか「本来の自分」という自己認識そのものに興味を持たなくなります。「本来の自分」という言葉を使う講師は、まだ「本来の自分」というものに憧憬があり、講師自身の経験不足を露呈させています。生徒の感想が感動に満ちている場合、指導者は自分の教育方法について深く内省し、生徒を感動させることによって生じた可能性のある誤解に対して、危機感を持つべきです。
教育者が自己の内面を見つめることを避けるためにする行動
教育者が自己の内面を見つめることを避けるために取りがちな行動は、教育者としての責任を逸脱するものです。以下にそのような行動を詳述します。
① 他者への教育を通じて自己正当化を図る: 教育者は、自己の信念や価値観を他者に押し付けることで、自己の行動や責任を正当化しようとすることがあります。これは、教育の本質を歪め、生徒の体験を妨げる行動です。
② マインドコントロールや洗脳に類似した手法を用いる: 教育者が教育の名の下に、不適切な影響力を行使し、生徒の体験や自己認識を制限する行動を取ることがあります。このような手法は、生徒の精神的自由を侵害し、教育の倫理に反します。
③ 政治や社会の問題点を指摘して注意を逸らす: 教育者は、自己の行動を棚上げするために、社会的な問題に焦点を当てることで、自己の問題から目を背けることがあります。これは、個人的な課題からの逃避行動であり、教育者としての自己反省と向き合う姿勢が欠如していることを示しています。
これらの行動は、教育者としての役割を逸脱し、生徒の成長と発展を妨げるものです。教育者は、自己の行動や言動について常に自己反省を行う必要があります。生徒が自分自身を客観的に見ることができるように、教育者は自己の影響力を慎重に行使し、生徒の自己認識の発展を支援することが求められます。
以上の点を踏まえ、教育における自己認識の探求は、指導者と生徒の間の健全な相互作用に基づくべきです。指導者は、生徒の自己発見を支援するために、権威主義や自己満足に陥らず、生徒の自由意志と自己認識を尊重することが不可欠です。また、指導者は自己の行動を客観的に評価し、生徒の真の成長を促すために、自己批判的な姿勢を維持することが重要です。