私は25卒大学生。文系ゆえそんなに忙しくないので、あと半年は悠々自適な日々を送れる。卒論はあるけど、中堅大学だしそんなに大変じゃないね。 今日は会社の入社式、そのあと懇親会があって、前回の懇親会よりも話せなかったな。新しい同期の人が女性だったからかな。 明らかにタイミングが狂うんだよね、隣に女性がいると。女性ってよく相槌うつじゃん。その相槌負けから始まり、リアクションとかも上手い人が多いからね。 なんか、私って流行りのものもあまり知らないから、話についていけないし、なんかね
はじめに 最近、横浜駅での飛び降り自殺の件や、牛角の男性差別の件でツイッターやYouTubeのコメ欄でレスバをしていて、 改めて私ってマイノリティの弱者なんだってことを再認識できた。 新しい気づきを得られたので、ほぼ丸1日ネットに齧り付いていたのは無駄じゃなかった。 本稿では経営戦略としてまかり通る男性差別の問題について見解を述べた後、それに付随して、弱者としてどのような情報発信をしていけばいいのか、色々考えたので述べていくこととする。 私はリベラル寄りの人間だから、保
はじめに 横浜駅での飛び降り自殺のニュースについて思うこと。 今回、飛び降り自殺した方が、下にいた関係のない方を巻き込んで命を奪ってしまったということで、大変バッシングされていて、私としてはここまで極端なことあるんだ、と驚きました。 嘘です。まあ毎度の如くそうなるだろうと思いました。 飛び降り自殺者は自分の意志でこのようなことを起こしたというよりは、そうせざるを得なかった環境の被害者であったことは言うまでもありません。 つまり両者ともが被害者なのであるが、何故か多くの人間
世間一般的には、コミュ障で不細工で、低身長で、何か能力が高いわけでもなく、恋愛経験もない。そういう人間は弱者って言われて、良くないみたいなふうに言われますけど、 じゃあ何で良くないのか、弱者であることの何が問題なんですか?っていうと、明瞭な答えは返ってこない。問題なんてないですからね。 弱者は努力をして変わらなきゃいけない、なりたい自分にならないといけない、みたいな。そういう風潮はありますけど、あーいうのは全部害悪だと思っています。 何でかっていうと、世間的な価値観に縛ら
私は死を怖いと思ったことがない。むしろ死について考えると心が楽になるし、生きる活力が湧く。 それは若さゆえのものなのだろうか。どこかのタイミングで死が怖くなる瞬間があるのだろうか。たとえば重めの病気になった時とか。 私の死に対する考えが歳とるにつれ、今後どのように変化していくかを観察していくことはわりと有意義ではないだろうか。 そのような考えから、私は死についての考えが変わったり何か新しく思ったことをインターネットに書いていきたい。できる限り生涯にわたり。 それは生きる意味と
『自殺島』という作品を初めて読んだ時に、感じた違和感。 『自殺島』という漫画は簡単に言うと、自殺未遂者たちが無人島に放流されて、彼らはこの新たな場所(島)で生きていくことを決意して、共同生活をしていく。 その中で自殺未遂者同士、争いや事件というのが多々発生して、それでも強く生きる、そもそも生きるとは何なのか。みたいな。そんな感じのストーリー。 16巻で出産をするシーンがあって、そこで私は出産、命を繋ぐということの偉大さに感動を覚えるとともに、どこかモヤモヤする気持ちがあっ
私はふと死にたいと思うことがあり、そんな時に、safariやYouTubeで"死にたい"と検索する癖がある。 特に死にたいと思う瞬間というのは、人からどう思われているかを考える時。 人からネガティブなことを思われることが反射作用的に恐怖と結びついているというか、胸が高鳴る。 恥ずかしい、という感情が一番。もうやめてくれ、という言葉がそれに続く。 このnoteやYouTube活動で、いいねがついたり、いいねがつかなかったり。 その度に私は怖いんだ。人が怖い。 誰からも何も思わ
久しぶりに陽キャにいじられる体験をしました。 中高生の時以来かもしれん。 陽キャの方があまりにもステレオタイプの陽キャすぎて、私の中で恐怖と面白さが入り混じっていた。 そして私自身があまりにもテンプレな弱者(陰キャ)過ぎて、惨めで泣いちゃったよ。泣いてはないけど。 ** 私は週3で荷流しバイトをしていて、いつものようにトラックの荷物をベルトコンベアに流し続けていた。 6時間の労働時間の間、私は様々なことを考える。noteで書くアイデアについても、肉体労働をしながらだとふと
まだ夏休みの時期じゃないのに夏祭り?と思ったけど、七夕だからか、笑。 わんぷり今回の話もとても面白かった。 猫屋敷さんが非常に調子乗ってましたね。 いろはがいる前で「いろはちゃんのこと好きなの?」って悟くんにダイレクトに聞くし。短冊書くところとかもデリカシー無さすぎる笑。 この子のこういうところは純粋に魅力だと思う。 基本的には引っ込み思案で人見知りだけど、感情が高ぶると距離が近くなる。 初めてニコガーデンに行った時もメエメエに対してやたらと距離近かったよね。 今回は、彼
私は人が怖い。 「人が怖い」「あー死にてぇ」が私の自然に漏れ出す口癖だ。 たまに人前でも言ってしまうことがあって焦る。でも幸い私の声は小さいので、相手には聞こえてなかったり、なんとか誤魔化せる。 自分がネットでコンテンツを発信したり、現実で何か発言する時に、それは取るに足らないものだと言われたり、思われたりするんじゃないかと思って、怖くて怖くて堪らない。 無価値感を突きつけられるのがどうしてこんなにも恐ろしいんだろう。 どんなに気にしないようにしよう、と思ってもそれは無理だ
とある自己啓発系のYouTuberの動画を、どんな感じ何だろうと思ってリサーチのために見ていた時があったんですよ。でその方のコメント欄を見ると「人生を変える」とか「這い上がる」とかばっかりでさ、なんか見てて可哀想になったんですよね。 今のだめな自分を認めて受け入れてあげてもいいんだよって言ってあげたいというか。男磨きして人生を変えるモチベーションって、ダメな自分だと愛してもらえないからだと考えると、私もそうだったんだけど、 そういうモチベーションで努力しても、どんどん愛
私は恋愛をする上で、彼女の体型や容姿に関してこだわりがない。 そんなことを言うと「いや、顔は可愛い方がいいに決まってんだろ。ブスと美人どちらか選べるなら絶対に後者選ぶだろ?」というようなことを言う人がいるけど、それってズレてると思うんだよな。 例えば、薄汚れた500円玉と綺麗に磨かれた500円玉があって、「どっちが欲しい?」と聞かれたら、私は「くれるんならどっちでもいい」と答えるだろう。両方とも硬貨としての価値は変わらないから。 そうしたら相手が「でもどちらかというとどっち
『わんだふるぷりきゅあ!』が面白すぎる! 毎週毎週楽しみすぎて、そのお陰でなんとか1週間を乗り切れている。 わんぷりは敵幹部が今のところ登場しない、バトルも封印という革新的なプリキュアではある。 20周年も迎えたわけだし、女の子だって暴れたいというコンセプトを崩してもシリーズとしては問題ない域まできてるよね。 私は今作のゆるい感じがとても好きだな。 個人的に、プリキュアはバトルやシリアスな場面よりみんなで楽しくわいわいしてる場面が好きだ。 でもそればかりだとプリキュアである
20代を過ぎると、 「私は生き残ったんだな」 と思うことが多くなった。 10代の頃は本当に辛かった。本気で死にたいと思ってた。 私は学校という教育機関に馴染めていた時間が皆無だったから。 いつも爪弾き者だった。他人よりも劣っている自分を俯瞰した時に辛くてたまらなかった。 * 私はなんだかんだ生きてこれた。 学生の自殺なんてそこまで珍しくもないのに。 今日命を落とした大勢の人たちの中に自分が含まれていないこと、当たり前のように今日を生きて明日も明後日も生きて
私は多分恋人なんてできないし、結婚ははなからしたいと思ったことすらないから、死ぬとしたら孤独死になると思う。 別に悲観的になることはない。個人的には理想的な死に方だと思う。理由は追々説明するとして……。 私は来年から社会人のSEとして働くことになる。 父母が、 「やっぱり最初は一般企業勤めてほしい。バイトなんていつでもできるんだから」 と、言うから、親孝行も兼ねてまずは普通に就職をすることに決めた。 私は無能だから単純作業系のバイトしかできないんだよなあ、とか思い
https://loser-s.hatenablog.com/entry/2024/05/06/233000 初デートおめでとうございます。 私はこのブログ記事を読んで、この世界って意外と捨てたもんじゃないな、と思えました。 自分がデートしたわけではないのに謎の高揚感があり、そわそわして何も手がつかないので、文章でも書いて落ち着こうと思います。 ふいに中学時代に好きだった『俺ガイル』を久しぶりに思い出しました。 * この記事に出てくる同期の女性というのが、私の