なぜジョージメン◯コーチは有害なのか。【弱者男性と自己啓発】 #動画台本
とある自己啓発系のYouTuberの動画を、どんな感じ何だろうと思ってリサーチのために見ていた時があったんですよ。でその方のコメント欄を見ると「人生を変える」とか「這い上がる」とかばっかりでさ、なんか見てて可哀想になったんですよね。
今のだめな自分を認めて受け入れてあげてもいいんだよって言ってあげたいというか。男磨きして人生を変えるモチベーションって、ダメな自分だと愛してもらえないからだと考えると、私もそうだったんだけど、
そういうモチベーションで努力しても、どんどん愛されたいって渇望が増えていくだけです。そのエゴ意識に呑まれる前になんとか成功を収めないといけないっていう自分の心とのレースんだよね。焦燥感が半端なく生まれてくる。
成功してない弱者ってそれほど弱くて醜い。でもそれがありのままなんだよ。そこから目を逸らすべきではないと私は思う。
私も、本気で人生変えたい、彼女を作りたい、と思ったことがあって、自己啓発的な努力を3、4年くらいやってました。
まあ一回本気で人生変えるために努力してみるのはいいことだと思う。それで人生変われたならとても素晴らしいこと。
でもいくらやっても効果がないとか、そもそも能力が低かったり意思が弱くて実践できないとか。そういう時に根性論では何とかならないから、私は一旦辞めてみることをおすすめします。
自分の限界から目を背けて脳死で努力を続けるのは強さではなく弱さだから。
自分で限界を決めてるだけなんだ、みたいな根性論で努力できてるならいいけど、まだ辞める時ではないんだけど、努力できない日だったり、ノルマ達成できない日が続いた時点で一旦休むべきなんですよ。
そこから何で自分はモテたいんだろう、成功者になりたいんだろう、って自己受容の方向に行ってもいいと思うし、単純に少し休んで美味しいものを食べたりしてもいい。
幸せって高みに登って勝ち取るものじゃなくて、拾うものでもあると思う。
何でもいいんだけど、例えば何気なく食べている野菜とか、それを作ってくれている農家の方に感謝しよう。私たちの食を支えてくれてありがとうございます。野菜も、一生懸命成長してくれてありがとう。
あとこの瞬間も休むことなく働き続けてくれている心臓やその他の臓器たち。胸に手を当てて、頑張ってるね、僕も頑張るよ、と声をかけてあげよう。
そうすると少し満たされるような感覚があるかもしれないです。ぜひやってみてください。それが本来の幸せなんじゃないかって思うんだよね。自己実現っていうのは幸せのほんの一部に過ぎないから。
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コメント欄の雰囲気が、ネガティブなことを書きにくい雰囲気だから、その場に支配されて、本当は辛いのに、自分を鼓舞するために
「自分磨きによって毎日充実してる。〇〇さんいつもありがとう。いつか変われる日が楽しみだ」ってポジティブなコメント書いて。はーあ、ってベッドに倒れ込む人っていると思うんですよ。そういう人は決してダメなんかじゃなくて、単純に向いてないんですよ。
向いてないことをやり続けても成果なんて出ないし、本当に成功したいなら、自分の体質や遺伝傾向なんかをまずは理解するところから始めないといけないんですよね。
詳しくは、私がよく参考にしている自己啓発系のチャンネルの当該動画を概要欄に貼っときます。
お陰様で成功しました!って人はいいんだけどさ、そういうコメントがあることによって、「俺もいつか成功できるんだ。間違ってないんだ」って思って、
結果成功しなかった時に、多大な時間を失ったっていう事実だけが残って、心が荒んでいく。努力によって自分は優れてるんだって肥大化した自我だけが残る。努力すれば夢は叶うという思想は叶えられない弱者にとっては有害でしかないです。
そういう叶えられない弱者は一定数存在するわけ。そういうモンスターを生み出した責任を自己啓発は全く被らない。ポジティブな部分ばかりに焦点を当てる。
彼はポジショントークが強すぎるよ。金稼ぎのためにあえてやっているのか、それとも本気で信じ込んじゃってるのか分からないけど。動画見る限り本人は金稼ぎのためではないと主張している。そこはどうでもよくて、やっぱり二元論的に語るのは良くないと思うんだよね。
理想に向かって規則正しく努力する人生と、どうせ無理だと思ってダラダラして一生後悔しながら生きる人生。どっちがいいの?みたいなことを言うわけですよ。そこが一番害悪なんだよな。答えは多様にあるはずなのに二つしかないように錯覚させて、よくある宗教のやり方なんですよ。何でそのやり方にこだわるんだろうね。結局そうじゃないと再生数伸びないからでしょ。普通にやったって埋も(コメ
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色々な多様な生き方がある中であなたが自分を高めたい、理想を実現したいと思うのであれば俺の動画を見ろと、そういうスタンスだったら何も言わないけど、そうじゃないじゃん。
自分の歪んだ誤った価値観を広めていってるんですよ。それによって不特定多数の人間が生きにくくなるわけ。こっちはこっちでやってるんだから外野は何も言うな、って問題じゃない。どこを批判されてるのかぜひ気づいてほしいですね。
あと彼は自説の補強のために孤独死とホームレスの男性の割合の多さを例に出してましたが、それって何か意味あるんですか?
孤独死する人やホームレスの人は無条件に不幸であるという先入観による思い込み、他人への見下し。そういう精神の未熟さに関しては問題視しないんだな、と思いました。
結局女性からモテればいいわけでしょ。しょうもないって。精神が弱いって。見せかけだけの強さに何の意味があるの。結局与えられたものがないと幸せになれないんでしょ。
強い男を取り戻さないと社会が衰退するとか言って、正しいことしてますっていうブランディングなわけよ。でもそれって、お金がないと幸せじゃない、モテないと幸せじゃないって価値観を植え付けてる洗脳行為だから。
凝り固まった勝利至上主義の価値観から己を解き放て。
「正解はひとつ!じゃない!!」っていうミルキィホームズの曲を聴いて、正解はいっぱいあるんだよって。本来私たちは、自由な存在。競争に勝つことだけが幸せじゃないし、男としての価値だけが魅力じゃない。
自分自身の価値観で生きることが真の自由人なんだってトレトレチャンネルのトレトレ店長も言ってました。
逆にそれが真の男らしさなんじゃないのかと私は思うし、男に生まれたから男らしくして男磨きして勝たないと幸せになれないー。そんな価値観に縛られてるのが本当に男らしいかって疑問ですよ。
ジェンダーの奴隷じゃん。本能の奴隷じゃん。それが絶対的な男の幸せだなんて、そんなことはないわけで。
私は自由のために進み続けるよ。何者も私の意思を妨げられない。ストア派哲学エピクテトスの語録・要録でも意思とは自らの権内にあるものだと示されている。
あと、諦めることは決してカッコ悪いことじゃない。ダメだったら諦めてまた新しいことをすればいいだけであって、そうやって人生を能動的に楽しんでいく姿勢が大事なんだよ。
ジョージさんは、逃げずに頑張って戦って勝ち取った男だから、それが正しいんだって思いたいんだよ。過去や現在の自分を否定しないために。そういうポジションなだけで、彼はそれでいいと思うんだけど、でも盲目的に正しいと思うことは良くない。
辛かったら心がスカスカと死んでいく前に逃げればいい。戦略的撤退という言葉もある通り、この世界は、どれだけ負けが続いてもいかに心を充実させて生きていくか、それだけなんだよ。
それが弱者の生存戦略。
強者男性の方々はね、競争によって幸せを得られると思うのでそれでいいと思いますけど、弱者男性の方は競争以外の道ということで参考にするといいかもしれないっていう動画でした。最後まで聞いていただいてありがとうございます。では。
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概要欄に記載した文章。簡潔にまとめようと試みた。
〈要約〉
彼がやっていることの一つである、努力しないデメリットなどで煽ったりすることは再生数を伸ばしてより多くの人に主張を届けることができる(その分成功も多く生み出せる)一方、それにより人生の幅が狭まったり、歪んだ価値観を持ってしまう人を生み出すやり方。
もちろん努力することは人生を豊かにするし、やりたいことは分かるんだけど、そのやり方が他の多くの啓発者が越えない一線を越えているのではないか、と。
つまり、勉強をすることは大切だけど、学歴煽りをしてその個人に対して学歴コンプを植え付け努力させることが果たして正しいのか。
だからWaka◯te.tvもジョ◯ジメンズコーチも反発を招いている、ということが認識される必要があるだろう。
彼が今のやり方を続けるなら、成功、失敗した後のケアをする必要があるのではないか。本質的には成功に価値はなく、大事なのはその成功によって精神的に成長できることや、幸福を掴むこと、そして更なる自己実現を前向きな気持ちでやっていけること。
もう少し精神的な部分も動画にしたり、男らしくないといけないという歪んだ価値観が足枷にならないように何か対策を講じるのであれば、良コンテンツになると思う。
〈追記〉
コメントもいただいたけれど、やはり自己受容は成功プロセスと同じくらい重要であり、そこに気づいて認め、実践することができればより良く生きられると思う。
彼が掲げる"強い男を取り戻す"という理想に反する、弱さを肯定する男たちに対して、「それもお前らの自由だから」と言う寛容なスタンスなのであれば私は彼を否定する理由はないが、もう少し分かりやすくスタンスを明示するべきだとは思う。
勘違いを生むから。
「モテない道があってもいい」と言う必要はない。
ただ、コンプレックスを煽るやり方はどう考えても有益とは思えないから、もう少し和らげるか方向転換した方が良いだろうと思う。
でも彼のコンセプトが、変わりたいけどなかなか変われない人を追い込んで努力させるものであり、それによって救われる人はいるわけで。
そのやり方の負の側面の対策、克服ができれば無理に変える必要はないのだろうか。
変わらなきゃダメなんだ、這い上がらなきゃダメなんだ、という後ろ向きな努力が私は健全だとは思えない。
初めはそれで良くても、最終的には自分を認められた上で、変わりたい、這い上がりたいと前向きに思えるようになっていけるコンテンツでなければ不完全である。
であれば彼は、そういった自己受容の必要性の明示、寛容さの明示をして視聴者がそれが必要になった時にたどり着けるよう誘導するだけでいい。彼自身がそこのところまで深入りしてやる義務はないし、主張の一貫性を欠かないためにも概要欄なんかに示しておくといいと思う。
自己受容など精神的な部分での補完は他の専門的な発信者が行えばいい。
少しでも負のスパイラルに陥る人が減るためにどうすればいいか考えよう。
どちらか間違っているとかではなく、両者は表裏一体であり、「弱いって。逃げてるって」みたいな的外れなコメントを叩いていこう。誤りを指摘していこう。※人格攻撃はしてはいけない。
私も自己受容、弱者でも幸せに生きていく生存戦略をできる限り伝えていきたい。
そのためには弱者として身をもって実践、日々試行錯誤していく所存。