死について

私は死を怖いと思ったことがない。むしろ死について考えると心が楽になるし、生きる活力が湧く。
それは若さゆえのものなのだろうか。どこかのタイミングで死が怖くなる瞬間があるのだろうか。たとえば重めの病気になった時とか。
私の死に対する考えが歳とるにつれ、今後どのように変化していくかを観察していくことはわりと有意義ではないだろうか。
そのような考えから、私は死についての考えが変わったり何か新しく思ったことをインターネットに書いていきたい。できる限り生涯にわたり。
それは生きる意味となって、より私の人生を豊かにする。
今書けるのはそれだけだ。


◯現時点で死が怖くない理由。
・死は自然現象として誰もが経験するものであり、睡眠状態と対して変わらないという信念。

・肉体である物質は徐々に解体され最後には朽ち、土と同化し分解者に分解され、やがて新たな物質を形成する繰り返しの渦中であるこの肉体に大した意味を見出さないため。

・死が本当に恐ろしいものであるなら、なぜわざわざ痛覚という安全装置が必要だろうか。

・輪廻転生は宗教的フィクションであり、人類が共通して思いつくその神話が事実そのままの現実事象であるというのは考えにくい。仮に天国や地獄のようなものがあったとしても、それは生きている人間が想像するものとはかけ離れて存在するのであり、考えることが無意味。

・どうせ死ぬなら生きる意味がないと無気力になる人はいるが、私が今この瞬間生きている事実は変わらないのだから、死ぬ時がくるまでは、永遠に生きるかのように生きていけばいい。人生を楽しめばいい。人生を楽しむことは今生きているこの瞬間の私にとってのみ意味があるのであり、永遠に意味があるものではないがそれが何の関係があるのだろうか、という信念。

・いずれ死ぬという事実はこの瞬間、この人生に過度に入り込むことを阻止してくれるため、苦しみの軽減装置として機能する。また、死があるから生があるのだという確信。

・全ては自然によって起こることであり、それを人間は受け入れればいい、その方が楽である。ただなるようになるのであり、ならないようにはならない。それ以外に何を知る必要があるのだろうか。

・精神の自由こそが幸福であり、それを最大化するための考えや思想のみを採用しようとする心構え。幸福な人生にとって妨げになるような考えを採用することは合理的に考えれば馬鹿げている。

・死とはただ唯一なる自然と再び溶け合うことであり、元の状態に戻るだけ。シャボン玉が飛んで弾けて気化するのと同じ。私たちというのはただの現象だという確信。


他にもさまざまあるが、基本的なところではこのくらいかな。

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