はじめてのnote売上金で鍋を買った話
noteではじめて100円のサポートをもらった時、飛び跳ねるほど嬉しかったのを今でも覚えている。
だがその100円を何に使ったのか思い出せない。
それ以降もありがたいことに何度もサポートをいただいた。
「サポートのお知らせ」の件名のメールが届いて、小躍りして喜んだ時のことは今でもありありと思い出せる。
だがそれらのサポートでいただいたお金も何に使ったか全く思い出せない。
サポートをもらったのはだいぶ前のことなので、気付かぬうちにAmazonギフト券として払い出され、気付かぬうちに使ってしまったのだろう。
記事の最下部にあるサポートエリアには、我が望みは塩ようかんであると明記しているのに、おかしのまちおか派である自分はAmazonで塩ようかんを買っていない。
有言不実行である。
せっかくのサポートに不義理をしてしまった。
塩ようかんに全額投下はできない。
だから今度はnote売上金の使い道を決める
noteを書きはじめて2年が経過し、最近になってやっとの思いで有料マガジンを作ることができた。そうして自分の記事を商品として販売しはじめた。
ありがたいことにマガジン発刊の数時間後から「マガジン購入のお知らせ」の件名のメールが届き狂喜乱舞した。
しかしそこでハッとした。
このままではサポートの時と同じように、
また気づかぬうちに売上金を使って
何に使ったか思い出せなくなってしまう!
今度はそんな事態を避けたい。
だが塩ようかんに全額突っ込むことはできない。
塩ようかんは中毒性と糖質が高いので大量に購入してしまったら最後、過剰摂取による肥満バッドエンドのルートが待ち受けている。
それはなんとしても避けたい。
そうして悶々と悩み続け、
はじめてのnote売上金の使い道を決めるまでに数ヶ月かかった。
そのおかげで売上は順調に貯まっていった。
欲しかったのは、ゆるいつながり
サポート使途不明事件でショックを受けた理由は、お金の使い道の謎よりも、サポートしてくれた方やその時の喜びを思い出す機会を失ってしまったからの方が大きい。
それは自分がnoteを通じて欲しかったものが、「ゆるいつながり」だからだ。
そもそも収益化しやすい月額マガジンではなく、あえて有料マガジンの形式にこだわったのは、「読者とのゆるいつながり」を大切にしたいという理由が一番大きい。
月額マガジンは購読をやめた読者は一切の記事が読めなくなるので、お金の切れ目が縁の切れ目のような、つながりが切れてしまう感じが嫌だった。
それに対して1回買い切りタイプの有料マガジンは、一度買ったらすべての記事をnoteアカウントがある限りずっと読める。
書く側は新しい記事を作るたびにずっと届けることができるし、届いた記事を読むかどうかは読者が自由に決められる。
読者は読むのをいつでもやめていいし、でも数ヶ月経ってまたふと読んでみようかと思った時には、最新記事からバックナンバーの記事まですべてを読むことができる。
お互いのnoteアカウントがある限り、ずっと書き手と読み手のご縁がゆるくつながっていられる感じが気に入ったからこそ、あえて収益化しにくい有料マガジンにこだわってコツコツと更新している。
自分にとって有料マガジンは、
いつまでもゆるいつながりがある
ふらっといつでも帰ってこれる場所
そんな感じで捉えている。
だからこそせっかくのご縁でいただたお金が、以前のサポートと同じように知らぬ間に消えてしまうのは嫌だった。
そう思いはじめてからnoteの売上金を「記事を買ってくれた人たちからもらった物」だとわかるものに使いたいと考えるようになった。
贈ってくれた人への感謝を思い出せる物はどんなものか
ミニマリストの自分の家にはあまり物がない。
だが家の中を見渡してみると、
1つだけ贈ってくれた人を思い出せる物があった。
それは友人から誕生日プレゼントでもらった物だった。
友人はAmazonの欲しい物リストから適当に誕生日プレゼントを贈るね!と宣戦布告してきた後、誕生日を過ぎて忘れたころにプレゼントを4箱も贈ってくれた。諸々驚いたが、すごく嬉しかった。
たくさんもらった誕生日プレゼントの中で1個だけ、それを見るたびに、これはあの人からの贈り物なんだよなとプレゼントをもらった時の嬉しい気持ちと感謝が出てくる物がある。
それが電気ケトルだ。
今まで使っていた物はビジネスホテルに設置されてるようなアヒル口の白いプラスチック製の電気ケトル。
カップ麺にお湯を注ぐにはベストな形状だが、コーヒーのドリップにはダバダバとお湯がこぼれてしまい、いささかスタイリッシュさに欠けるデザインのタイプのものだった。
そんなアヒル口ケトルに対し、友人がくれた物は注ぎ口が細くつるようになっているコーヒーのドリップに適した形の最近のおしゃれ電気ケトル。
それから毎朝コーヒーか紅茶を淹れる時に、このおしゃれケトルを使うととても気分がよくなり、これを贈ってくれた友人への感謝も湧き上がる。
逆にカップ麺にお湯を注ぐ時にこのおしゃれケトルを使うと、その残念なコントラストを目の当たりにして、こんなことに使ってマジすいません的な反省の気持ちが湧き上がるとともに、おしゃれケトルにYOU自炊しようぜと諭されている気分にもなる。
毎日の生活で使うもの、
毎日触れるものを贈ってもらえると、
自分はそれを贈ってくれた人のことを
感謝とともに思い出せる
そう気が付いたので、有料マガジンで受け取ったはじめてのnoteの売上金は「毎日の生活で使う物」を買って、マガジン購入者のことを思い出せるようにしたいと考えるようになった。
たかが鍋、されど鍋
そうして考えて悩んだ末に買ったのは鍋である。
だが単なる鍋ではない。
鍋としては、ぶっちゃけかなり高価だ。
ホームセンターに行けば同じサイズの鍋を10個くらい余裕で買える金額だ。
そしてめちゃくちゃ重い。
鍋の上げ下ろしや、蓋の開け締めが大変だとレビューされているほどに重い。
蓋なしの鍋本体だけでも、2リットルペットボトルより重い。
でも、どうしてもこの鍋が欲しかった。
それがSTAUB(ストウブ)である。
この鍋がどうしても欲しかった理由、
それは「おいしいご飯」を炊きたかったからだ。
土鍋ごはんが美味しいように、STAUBで炊くご飯も絶品と呼び声は高い。
他にも有名なホーロー鍋があるが炊飯に関して言えばSTAUBに軍配があがる。
そんなことで飯が食っていけるのだ!
創作活動をしていると「そんなことで飯が食っていけるのか?」みたいな嫌味を言われることもあるだろう。
土の時代の古い考え方でそんなこと言うな!と切り返したいが、口論に勝つには根拠が必要だ。
そこでSTAUBの出番だ。
noteの売上金でこの鍋を買い、
おいしいご飯を炊いて食べる生活をしていたら、
「そんなことで飯が食っていけるのか?」と言われても
「おうよ!そんなことで飯を食っているんだ!
どうだ!このつややかなご飯を見てみろ!」
と炊きたてホカホカご飯を自慢できる。
そう思ったのだ。
はじめてSTAUBで炊飯した時の感動は発狂ものであった。
見て欲しい、この神々しくご飯茶碗にもられたおこげ付きのご飯を。
あまりの歓喜にまるで聖剣エクスカリバーを抜いて高らかに掲げるような写真になってしまった。だが大満足である。
そうして実際にnote売上金でSTAUBの鍋を買って炊飯をして、ご飯が炊きあがって重い蓋を開けるたび毎回思う。
ああ、これは自分の記事を買ってくれた人のおかげで食べられるご飯なんだ。
そして食卓に並んだご飯を口に運びならがら、マガジン購入者の人たちに毎回感謝することができる。
このおいしいご飯を炊ける鍋をくれたあの人達が喜ぶ記事を書こう。
大切に使えば10年以上も長く使えるSTAUBの鍋。
きっと10年経ってもこの鍋でご飯を炊くたびに、はじめてnoteの売上金で鍋を買ったことを思い出せるだろう。
明日もこのおいしいご飯を食べさせてくれたあの人達に向けてまた記事を書こう。
その人達のために次は何を書こうかと想いをはせる時間に幸福を感じる。
はじめてのnote売上金で鍋を買ったことで、
毎日のご飯を食べる時間が創作の英気を養う時間に変わった。
ありがとう。
そして、毎日ごちそうさま。
これからも自分はこんなことをして飯を食って生きていく。
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